野良犬(1949年日本)
射撃訓練の帰り、乗り合わせた満員のバスに揺られてポケットに入れていた、
コルト拳銃を窃盗された若手刑事が、銃を取り返そうと奮闘する姿を描いた当時の黒澤にしては珍しい現代劇。
まだ時代劇を多く撮っていた黒澤が、珍しく刑事を主人公にしてストイックに描いた作品で、
後々に彼が一つの“形”として確立した社会派な内容を含む現代劇のベースともなる作品と言っていいと思います。
どこら辺がどう、タイトルにもなっている“野良犬”なのかは分かりませんが、
戦後間もない頃の日本の陰気臭い雰囲気と、一方でこれから立ち上がろうとする雰囲気を同時に感じる作品です。
そもそも主演の三船 敏郎も若いわけですけど、若手刑事という割りにはどことなく貫禄が感じられるのが面白い。
この貫禄自体、この時代の若者にはあったのかもしれませんが、本作の三船 敏郎はどこからどう見ても、
中堅刑事のような風格が漂っていて、熱血正義感という感じでアツい。現代の若手刑事では、こうはいかない(笑)。
まぁ、現代的な感覚で言えば、ジャケットのポケットに銃を入れたまま満員のバスに乗って帰宅するなんて、
あり得ないレヴェルの無警戒さだと思いますけど(笑)、銃を失ってしまった刑事が執念で取り戻すというテーマが
当時の日本映画界でも希少な発想だったと思いますし、やはり黒澤 明の才気が既に爆発していた作品と思います。
映画の中盤から、緻密に構成していく捜査の過程の描き方など、社会派映画としてのアプローチもしっかりしている。
ところどころ、映画の流れを阻害している気がしてならない部分があることは否定できないので、
完璧な傑作とまでは思わないし、古い映画なので仕方ない部分もあるとは言え、録音状態も良くないせいか、
各キャストの台詞がしっかりと聞き取れないので、話しのあらすじを追うこと自体に難儀するのも困ったものだ(苦笑)。
(特にこの辺は賛否があるかもしれませんが、字幕をつけるか新たに吹き替えをつけるなど改良して欲しい・・・)
印象的だったのは、とにかく暑い日々を描いている点だ。主人公が熱血漢であることとシンクロするような暑さですが、
第二次世界大戦直後の日本であっても、夏は特別に暑い季節であると描かれていて、随所にウダるように暑そう。
最初に銃を奪われたことに気付き、犯人をひたすら走って追いかける主人公の姿からして暑そうで、
彼らの吐息が聞こえんばかりに臨場感たっぷりな追跡シーンになっている。これは刑事映画のお手本と言っていい。
屋内の取り調べシーンにしても、夜の屋外を映したシーンにしても、全てが熱気に帯びた空気感になっていますね。
そこに強烈な正義感を前面に押し出して、奪われた銃を取り返そうとする熱さが加わって、更に暑く感じる映画だ。
そんな暑さをクールダウンするかのように老獪なベテラン刑事を演じたのが、黒澤映画の常連の志村
喬だ。
映画の中でも彼は大きなキー・マンにもなるのですが、最初っから暑そうな取調室でアイスキャンディーを食べながら、
ゆったりとして和やかな雰囲気で、ピストル屋のヒモの女性を取り調べしている姿が、三船
敏郎と好対照ですね。
とにかく熱血漢のように前に突き進もうとする三船 敏郎を、まるで“操縦”するかのように立ち振る舞う志村
喬。
数多くの黒澤映画で共演している二人ではありますが、本作のコンビは特に印象深い子弟コンビと言っていいですね。
良い味を出す中年俳優が、一種の清涼剤のように機能する映画なんて、他を探してもそうは見当たらないと思う。
そんな清涼剤的存在であった志村 喬がホテルで襲撃されてから、映画は再び劇的に動き出す。
それまでは地道な2人の捜査をドキュメントすることで、緻密に事実を積み上げていく過程を淡々と描いていましたが、
ここからは映画のクライマックスに向けて、黒澤も一気に映画を動かしていく。この緩急のつけ方がスゴく上手い。
そして、ラストの犯人を駅に探しに行って、特定して再び追跡を始めるシークエンスは刑事映画のお手本のようだ。
ここでは暑いどころではなく、もはやムサ苦しい男たちの汗が強調される画面になっていて、
暑さがどうのと言っていられないくらい、額に汗滴る必死の駆け引きと追跡になり、主人公の想いが救われる展開に。
タイトルバックの犬を映すオープニングが印象的ですが、強いて言えば主人公はターゲットへの強い執着を見せる。
この執着はまるで自分の獲物を狙う野生動物のような側面であって、主人公も野生の勘で動いていたということかも。
それでもさすがに野生の勘だけで上手くいくことなどなく、経験豊かなベテラン刑事を頼るわけで飼い犬になったよう。
主人公はすぐにこのベテラン刑事を信頼するようになって慕った結果、自宅に呼ばれたりする人間関係を築きます。
そんな志村 喬演じるベテラン刑事も好きだと明言していましたが、映画の中盤にプロ野球の試合シーンがあります。
マークし続けている男が試合を見に来ているという設定で、観衆が5万人という中で総動員して尾行するわけで
試合のシーンが少々冗長に続いてしまうのですが、それでもこの試合のシーンはとても貴重なものだと思います。
川上 哲治も映っているようで、当時のプロ野球の試合の空気がよく伝わってくる貴重な映像資料と言えると思います。
この野球の試合のシーンが、記録映画として撮影された映像であったのか、妙に長いのも印象的ですね。
現代野球とのスピード感に若干に違いはあれど、戦後の数少ない娯楽であり、その勃興期を示す貴重な映像です。
観衆約5万人を集めて、カメラまで入れて映像資料として残すスポーツというのは、当時としても数少なかったでしょう。
これが相撲のような国技だったら、まだ分かるのですが、野球って基本的には舶来競技ですからね。
ルールも複雑ですし、戦前から親しまれていた競技だったから尚更、戦後はその反動もあって熱狂していたのかも。
本作で突出しているのは、黒澤の先験的な姿勢だと思います。
当時の日本映画界でどれだけ受け入れられていたかは分かりませんが、本作からもパイオニア精神は感じられて、
前述したような、終始湿気ムンムン漂うような画面から、ひたすら暑い雰囲気を強調して一貫して作り上げたり、
情緒を優先するのではなく、どこか本能的で野性的な姿をドキュメントするというのも、他にはあまり無い映画です。
クライマックスの対決も少々ユニークな描き方で面白い。奪われた銃を争点とした映画であるにも関わらず、
銃撃シーンはほとんど描かれないのですが、このクライマックスで主人公に銃が向けられるピンチが描かれます。
近くの民家でピアノを弾く女性が登場するのですが、静寂の中でピアノを弾いている中での銃声だったのか、
この女性が異変に気付かずに、「何かあったかしら?」と瞬間的に不審に感じるも、すぐにピアノに戻ってしまう。
犯人との対峙という緊張感溢れる場面とは正しく好対照で、こんなクライマックスはやはり他作品には見られない。
実際にそう思っていたかは分かりませんが...
「自分にしか出来ないことをやってやろう」という気概が伝わってくるかのよう。これは黒澤の映画の原動力だと思う。
でも、だからこそ黒澤は映画監督としてのキャリアが1950年代に入り、充実した黄金期を迎えることになります。
主には時代劇が主要作品ではありますが、本作のような現代劇でも持ち味をしっかりと発揮しており、
悪に対抗する姿を描き続けていて黒澤の基本スタンスは、「どんな事情があっても悪は罰せられるべき」だと感じる。
一応は悪役をしっかりと描くことは行っているし、被害に遭う人の過失を描いたりしていることもある。
それでも黒澤は冷静に立ち返り、「仮に被害者側に落ち度があっても、悪事は絶対に肯定されないよね」と諭す。
こういう姿を観ると、黒澤の主張としては勧善懲悪なのだろうし、犯罪に至る理由は重要視しないというスタンスかと。
この一貫したスタンスは、現代にも通じるものがあるし、今も黒澤が健在だったら現代社会をどう描いたのか、
スゴく興味深いところでもあり、現代でも十分に通用するレヴェルの映画を手掛けたのではないかと思えますね。
まぁ・・・黒澤はそんなメッセージを込めていたわけではないと否定していたようですけど、
黒澤自身も脚本の執筆に加わっているわけですから、おのずと彼の根底にある主義主張が流れてしまうのでしょう。
でも、これは黒澤映画の根幹として強い一貫性を感じさせる部分でもあるので、一つの“武器”でもあった気がします。
三船 敏郎演じる主人公は第二次世界対戦から帰還した経験があって、その後に刑事になったようだ。
この経歴はもっと映画の中で生かされる展開にして欲しかったですね。少し中途半端に匂わせていたので、
てっきり何かに関係する経歴なのかと思いきや、映画の最後まであまり重要な位置づけとして扱われていないですね。
(映画の途中で三船 敏郎が復員兵の姿で、しつこく尾行するシーンがありますけど、ただそれだけだった・・・)
正直、あまり知らなかったのですが1973年に渡 哲也主演で本作はリメークされているのですね。
どうやら、途中から物語の主題が逸れていってしまったようですが、本作へのリスペクトは大きかったのでしょうね。
あまりヒットはしなかったようですが、このリメークもいつか観てみたいとは思うのですがねぇ・・・。
(上映時間122分)
私の採点★★★★★★★★★☆〜9点
監督 黒澤 明
製作 本木 荘二郎
脚本 黒澤 明
菊島 隆三
撮影 中井 朝一
美術 松山 祟
編集 後藤 敏男
音楽 早坂 文雄
出演 三船 敏郎
志村 喬
淡路 恵子
三好 栄子
千石 規子
本間 文子
東野 英治郎