ナイト・アンド・ザ・シティ(1992年アメリカ)

Night And The City

80年代を代表する演技派俳優ロバート・デ・ニーロとジェシカ・ラングが
91年の『ケープ・フィアー』に続いて共演した、社会のアウトローとして動く男を描いたドラマ。

この映画でデ・ニーロが演じる主人公の弁護士フェビアンは、トンデモないロクデナシだ。
ひょっとしたら、デ・ニーロがかつて映画の中で演じた役柄としては、一番のロクデナシかもしれない。
苦しむ人の救済を申し出ながらも、話題性だけ先行する弁護活動はままならず、そのほとんどが敗訴。
面談に費やした時間の費用はクライアントに請求して、小銭を稼ぐものの、往年の仲間に恩を売ることにより、
偽造の公文書などを手にし、ヤバい仕事にも少しずつ手を染めるという、言わば社会のアウトローだ。

フェビアンを慕う仲間は多くはなく、フェビアンが毎晩のように通うバーの店主からは
散々、嫌味を言われるものの、それでもフェビアンが通う理由は、そのバーの店主の妻に恋をしているから。

本作はジュールズ・ダッシンの『街の野獣』のリメークですが、
残念ながら本作はあまり高い評価を得ることはできず、今となっては忘れ去られた存在の一本です。

正直言って、酷評に近い評価が多かったせいか、
僕は観る前、ほとんど期待していなかったのですが、結論から言いますと、そこまで悪くないです。
まぁアーウィン・ウィンクラーの演出が部分的にイマイチなのが目立つので、どうも盛り上がりませんが、
夜のニューヨークの表情を実に克明に活写できていると思うし、何より映画に漂う空気が良いですね。

ドラマとしては、ひじょうにその魅力が分かりにくい内容ではあるので、
確かにこれがあまり高い評価を得られなかったという理由は、なんとなく分かります。
まぁ・・・率直に言わせてもらうと、この映画には核となる“武器”がないんですよね。
あまり言いたくはありませんが、この題材ならばマーチン・スコセッシが撮っていたら・・・と思ってしまう。
マーチン・スコセッシが獲るニューヨークのイメージを意識したような作りにはなっているのですが、
どうも、この映画で表現された“ダメ男の美学”はなかなか理解してもらえないと思う(笑)。

フェビアンはボクサー同士のイザコザを仲介したことがキッカケで、
「オレは今、ボクシングの試合の興業主をやりたいんだ!」と豪語して資金集めに奔走するのですが、
街の実力者からも目を付けられたり、次から次へとトラブルを抱えたりと、なかなか上手くいきません。

しかし、そんなフェビアンでもボクシングの試合を主催するという意思だけは固く、
どんな困難があっても、なかなか諦めようとせず、普段は卑屈になって困難を避けるフェビアンも、
今回だけはまともに困難に立ち向かおうとするのですが、いかんせん普段から困難を避けてきたせいか、
どうやって困難を乗り越えるべきか、そのノウハウや一つ一つの判断材料に乏しく、大事なところでミスをします。

言ってしまえば、アラン・キング演じる街の実力者でボクシングの試合の名興行主と名を馳せるブンブンの兄で、
かつての名ボクサーであるジャック・ウォーデン演じるアルが気が短く、チョット目を離すとすぐケンカを起こして、
元々、状態が良くない心臓に大きな負担をかけるというリスクを放置してしまったことは大きな判断ミスだ。
おそらくフェビアン自身もアルの疾患を知ってリスクを認知していたはずだから、誰かを付けておくべきでしたね。

それを考えると、彼は失敗すべくして失敗したように思うのですが、
この映画の大きな失敗は、そんなフェビアンにアウトロー的なカッコ良さを導き出せなかったところ。
それが惜しい。ハッキリ言えば、アウトロー的なカッコ良さを演出できれば、この映画は大きく変わっていただろう。

しかし、これは演じたデ・ニーロの問題と言うよりも、
演出したアーウィン・ウィンクラーの描き方に拠る部分が大きく、フェビアンのアウトロー的なカッコ良さを
しっかりと描くことができれば、バーの店主の妻と何故、不倫関係が成立したかにも納得性が出たし、
何より映画の主人公として成立しうる魅力を、観客にもしっかりと提示できたはずだと思うんです。

それが本作の魅力となったであろうと思えるだけに、これはとても残念ですね。

僕は実はこの映画、素材はとても良かったと思う。
ジュールズ・ダッシンが描くニューヨークに優ったかどうかは比較していないので分からないが、
キャスティングやスタッフを考えると、技量的には十分に傑作が作れる“土台”であったはずで、
アーウィン・ウィンクラーも映像作家としての実績は、決して無かったわけではない。
でも、本作ではそれら最高の“土台”を活かしきれず、最後の最後まで不発だったと言わざるをえません。

シーン演出としては、映画の序盤でフェビアンがボクサー同士のトラブルに乗じて、
一人のボクサーの弁護を申し出たものの、アッサリと訴えを棄却され、裁判所から逃げるように出ていくシーンで、
訴えた相手であるボクサーにフェビアンが必死に弁解しながら、らせん階段を下る長回しが圧巻の出来だ。

まるでブライアン・デ・パルマがやりそうな気合の入った長回しですが、
アーウィン・ウィンクラーがここまで気合の入った長回しを敢行するなんて、チョット意外でしたね。

が、アーウィン・ウィンクラーの演出として印象に残ったのはこれだけで、
残りはクライマックスのフェビアンが窮地に追いやられる行き止まりの路地でのシーンにしても、
総じて緊張感が感じられず、締まりの無い演出が横行してしまっているせいか、どうも映画が盛り上がらない。
そしてフェビアンのピンチの結末にしても中途半端で、悪い意味で消化不良に終わってしまうのも残念。

結局、前述した、「あぁ〜ぁ、これがマーチン・スコセッシが撮っていたらなぁ〜」と
思わず嘆いてしまう原因で、そう観客に思わせてしまった時点で、厳しい言い方だが作り手の負けである。

せっかくタク・フジモトのカメラが良い感じで機能しているだけに、正に“宝の持ち腐れ”である。

何故、僕がここまで残念がるかと言うと、この映画で目指した志向はホントに良いものだと思うから。
そしてプロダクションも良い素材を集めることができているし、十分に傑作にできたと思えるからで、
アーウィン・ウィンクラー自身も、そういった優れた作品に仕上げることが十分にできるディレクターだからです。

これだけの内容で、一番、強く印象に残ったのが、ラスト・クレジットで流れるフレディ・マーキュリーの
主題歌The Great Pretennder(グレイト・プリテンダー)だったという結果も、もの凄く寂しい・・・。

(上映時間105分)

私の採点★★★★★☆☆☆☆☆〜5点

監督 アーウィン・ウィンクラー
製作 ジェーン・ローゼンタール
    アーウィン・ウィンクラー
脚本 リチャード・プライス
撮影 タク・フジモト
音楽 ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演 ロバート・デ・ニーロ
    ジェシカ・ラング
    クリフ・ゴーマン
    アラン・キング
    ジャック・ウォーデン
    イーライ・ウォラック
    バリー・プリマス
    ペドロ・サンチェス