ストレンジャー(1996年アメリカ)

Never Talk To Stranger

まぁ、これはレベッカ・デモーネイの独壇場みたいな映画ですね(笑)。

まるでヒッチコックの映画のような、次々とヒロインが精神的に追い込まれていく過程は、
映画としてそこまで悪いものではなく、むしろ音楽も含めて見せ方としては上手かったと思います。
なんせ、レベッカ・デモーネイ自身が製作総指揮として加わるほどの気合の入れようで、彼女のフェロモンがムンムン。

当時、ハリウッドでも注目されるラテン系俳優のアントニオ・バンデラスの熱気漂うぐらいの
ラブシーンが注目されたか否かは分かりませんが、映画としてはヒロインを次々と追い詰めるサスペンス以外の
見せ場と言えば、もっぱら2人のセクシーさしかありません。そう思うと、レベッカ・デモーネイってスゴい女優さんですわ。

映画の出来はそこまで良いとは思わないけど、ラストのドンデン返しありきの映画なので、
このラストをどう受け止められるかで、ほとんどの人の本作に対する印象が決まってしまうでしょう。

僕は思いのほか、この映画のラストはスンナリと受け止められたけど、
やっぱり映画として、このラストのドンデン返しが最大の見せ場で、それ以外はラブシーンぐらいというのが寂しくて、
もっと何かに執着して違った見せ場を作るなど、作り手の何かしらの工夫がもっと観たかったというのが本音なので、
その工夫の少なさが気になっていて、もっとジワジワとジックリ作り上げる根気強さが欲しかったところ。

映画は序盤から、どこか妖しい雰囲気が漂っているというか、
もう最初にヒロインのサラが、食料品店でムキムキのラテン男トニーと出会うところから、どっちがナンパされたのか
分からんぐらいの熱気ムンムンのお互いの動物的衝動が強過ぎて、なんだか素直な気持ちで観れない(笑)。

だって、会って初対面でサラも、見知らぬ男からナンパされて、レジまで付きまとわれて、
いきなり「君の心を奪いたい」と言われてしまうんですからね。普通だったら、逆に警戒するというか、
いくらオープンな欧米とは言え、かなりキビしい状況ですよ。それが、サラは「フッ」と笑みを浮かべて去るのですから、
そりゃサラもまんざらでもない雰囲気アリアリな感じで、思わずサラがトニーをナンパしたのかな?と思っちゃいますよ。

ハードなラブシーンにしても、明らかにレベッカ・デモーネイが主導権を握っている感じだ。

意見が分かれそうなところではありますが、サラのキャラクターは最後までどこか消極的というか、
トニーの熱烈な愛情表現に押される形で映画を進めた方が良かったと思う人もいるような気がします。
僕は果敢にアントニオ・バンデラスみたいなイケメンなマッチョにも、ビンタ一発喰らわすくらいの気の強さが
レベッカ・デモーネイにあった方が良いと思ってたので、あまり気にはならなかったけれども・・・。

精神医学に携わる者が、自ら精神を病んでしまうみたい物語は数多くありますし、
実際にもそういったことはあるようですが、本作で描かれるヒロインのサラは多重人格を専門に扱っている。
彼女を取り巻く環境でも不穏なことばかりが起き、次第にサラは不安から精神的にバランスを崩します。

映画の中では、何人もの怪しいキャラクターが登場してくる。
そもそもヒロインのサラは、なんだか情緒不安定なところがあって、まるで別人のようにトニーに迫るし、
サラにやたらと積極的なトニーはトニーで、次第に不審な行動をとったり、どこか冷めた視線を送ったり、
なんだか単純に「サラを愛してます」というだけではない、裏にある“何か”を感じさせる陰あるキャラクターだ。

それから、サラが暮らすアパートの住人でセクハラまがいの発言を繰り返すクリフも怪しい。
サラの部屋から聞こえ漏れる音が気になるようで、サラがトニーと交際しているのも気になって仕方がない。
これが単純にサラへの愛情なのか、歪んだ愛情なのか、はたまた過去に“何か”があるのか、どこか不透明だ。

そこに更に絡んでくるのが、サラの父親で強引にサラの部屋に上がりこんでくる、
長い間離れて暮らしていたヘンリーの存在だ。サラは露骨にヘンリーを父とは思わない態度をとり、
明らかに普通の親子関係ではないことを想起させられ、確かに無表情的にサラに近づくヘンリーはどことなく怖い。

とまぁ・・・この映画は上手いことに、次々とサラの周辺に怪しいキャラクターを投入してきていて、
映画の中で犯人捜しをすることが好きな人には、たまらないお膳立てが整っていて、ミステリーが盛り上がる。

敢えて、もう一人上げるとすれば、サラが事情聴取を繰り返していた連続強姦容疑で
身柄を拘束されているというハリー・ディーン・スタントン演じるチェスキーの周辺連中も怪しく見えてくる。
サラは当初、チェスキーの支援者が身近にいて、精神分析を行うサラに嫌がらせをしていることを疑っている。
実際問題として、チェスキーと連絡を密にとっているであろう弁護士がいたり、怪しい奴らばかりで油断もできやしない。

そこにサラはトニーとの倒錯した恋愛に、傾倒していくのですから、映画がより複雑性を帯びてくる。

ここまでは良かったのですが、映画のアプローチ自体がどことなくB級なのが残念ですね。
通俗的な表現かもしれませんが、この映画の勿体ないところは、洗練された空気が無いところだと思う。
レベッカ・デモーネイが如何にも彼女っぽいセクシーな魅力を生かした役どころで頑張っていても、
それでもどこかB級映画の枠から出てこない。何度か繰り返される、サラの幼い日の記憶の描写も、なんか安っぽい。

あまり言いたくはないけど、これは違う人が監督していたら、化けた可能性があると思う。
もっと、嫌味なく映画にケレン味を持たせられるディレクターであれば、映画は大きく変わっていたでしょう。
これでテクニックがある演出を施すのであれば、デ・パルマのように評価されたのでしょうが、そういう感じでもない。

まぁ、そうなってしまうと、結果的にレベッカ・デモーネイが頑張るしかない、ということになってしまうのかも(苦笑)。

映画の内容的にも、どこかデ・パルマの映画かと錯覚してしまうところがあるのですが、
それはデ・パルマの映画で音楽を担当していたことがある、ピノ・ドナッジオが音楽を担当しているからかな。
やはり音楽は映画の雰囲気を作りますので、如何にもデ・パルマの監督作品のように思えてしまうところがあります。
そういう意味では、僕は本作、デ・パルマが撮っていたら、どのような味付けをしたのかが気になりますねぇ。

この映画が良かったのは、次々と怪しい男たちがサラを取り巻きながら、
ミステリー性を深め、クライマックスのカラクリもしっかり違和感なく描けたことにあると思う。
得てして、この手の映画のラストは難しく、無理矢理ドンデン返しを作ったりして、映画が崩れてしまうことが
よくあることなのですが、本作の場合は実に自然にラストに持っていき、違和感なく映画を終結させることができた。
これは本作の大きな収穫だと思う。これも、レベッカ・デモーネイが映画の最初から最後まで頑張ったおかげだろう。

そうなだけに、この最初っから最後までB級感溢れる安っぽい映画になってしまったのが残念だ。
サラの幼少期のフラッシュ・バックの描き方など、この映画の作り手は今一度考え直して欲しかったなぁ。

上映時間が凄く短い、実に経済的な映画ではあるのですが、もう少し色々と肉付けしても良かったと思いますね。
映画の冒頭から登場するチェスキーの精神分析で行われた“種まき”とも解釈できるプロローグは後に生きないし、
サラが精神的に追い詰められて、ニューロティックな展開に陥っていくクライマックスの攻防も少々物足りない。
このクライマックスは、突如として“全員集合!”みたいになりますが、無理に終結させず時間をかけても良かったかな。

監督のピーター・ホールは89年に『おかえりなさい、リリアン』を撮った人で、
調べたら60年代後半から映画を撮っていたベテランなんですね。何故に本作の監督を任されたのか、
経緯がよく分かりませんが、重要なポイントは押さえた映画ではあったけど、やはり得意なジャンルではないのか、
レベッカ・デモーネイのセクシーな魅力が最大の見せ場となってしまったというのは、なんだか残念な結果。

ちなみに、映画の真相は予想不可能というほどではないので、あまりその線で期待しない方が吉。

(上映時間86分)

私の採点★★★★★☆☆☆☆☆〜5点

監督 ピーター・ホール
製作 アンドラス・ハモリ
   ジェフリー・R・ニューマン
   マーティン・J・ワイリー
脚本 ルイス・グリーン
   ジョーダン・ラッシュ
撮影 エレメール・ラガリイ
音楽 ピノ・ドナッジオ
出演 レベッカ・デモーネイ
   アントニオ・バンデラス
   デニス・ミラー
   ハリー・ディーン・スタントン
   レン・キャリオー
   ユージン・リピンスキ