ツレがうつになりまして。(2011年日本)

うつは決して他人事ではない。しかも、前触れなく突然やってくることもある。

医学的に発症のメカニズムは分かっているが、何がその引き金を引くのか、
何かしらの法則が決まっているわけではなく、色々な事柄や状況がその引き金となってしまうのです。

例えば、ストレスが原因となる疾病というのは数多くあります。
僕も病院に行って、「ストレスが原因になることがある」と言われたことはありますが、
このストレスという実体のないものが厄介で、自分自身でも何がストレスなのか明確に把握できないことがあります。
本作で描かれる“ツレ”にとっては、会社自体がストレスという明確なものがありましたが、そうではないこともある。

一般論でうつ病について言われていることを中心に描かれてはいますが、
如何にうつの症状と上手く付き合いながら生きていくことが重要であるかを、切々と綴っている作品です。
原作はコミックエッセイですが、これがヒロインのキャラクター設定とシンクロするのが、映画によく合っている。

劇場公開当時、宮崎 あおいと堺 雅人の主演コンビが話題となっていましたが、
この2人のどこかユルい空気感も良いし、いつもはオーヴァーアクト気味に見える堺 雅人の芝居も良い塩梅だと思う。

まずは、自分が精神的に上手くいっていないことを自覚することにハードルがあるという。
勿論、個人差はあるのだろうが、「まさか自分が・・・」という思いがあるのか、心療内科に通院するハードルが
凄く高い人も少なくないそうで、まずは自らの症状を自覚し、治療が必要であると認識することが第一歩。

確かに本作の主人公を見ていると、症状がかなり速いスピードで悪化したようで、
そんな心の余裕も無くなっているだろうし、明らかに周囲のサポートが必要な状態だったのでしょう。
しかも、環境がストレスフルである。毎日通勤に利用する西武鉄道は、朝ラッシュ真っ只中でスゴい乗車率だし、
着いた先の職場は外資系のドライな職場環境で、どことなく冷たい上司が目を光らせ、同僚もリストラでいなくなる。
しかも彼が担っている職種はパソコンのお客様サービス部という、専門性と根気が求められる特殊な職種であり、
執拗にご指名してくるOA機器に疎そうな高齢者の顧客から、しつこく詰問されるのが、ほぼ日課と化している。

今いる会社のお客様相談室は、外部のコールセンターに業務委託していますけど、
僕はかなりストレスが溜まる、大変な心労を伴う仕事だなぁと思う。特に一般消費者相手だと、結構ツラい。
中には感情だけで理不尽な話しばかりしてきて、一方的に優越的な立場に立ちたがる人もいますからね。
例外事例はありますが、B to B(企業間取引)の方が、まだマシです。こちらは、あくまでビジネスなので。

上司に相談しても、「お前はリストラにあっていないだけマシ。リストラにあった奴の分も、一生懸命働け」と言われ、
せっかく頑張って書いた遺書も、素直に受理してもらえず、挙句の果てにはお小言を言われて、1ヵ月延長・・・。

会社には主人公を救う要素がほとんど無くって、職務上は孤立無援に近いのです。
唯一の救いは、その分だけ自宅では妻が味方になってくれるという点で、退職を勧めたのは彼女でした。
普通に考えれば、やはり経済的な部分も心配だし、社会的に見ても「休職」というカードを勧めたくなる気持ちも
無くはなかったのだろうが、仕事がストレスになり病を患っている以上、「休職」は逆にプレッシャーになるでしょうね。

会社もよくそういう言い方をするのですが、確かに「休職」で“戻る場所がある”という状態を作ることは
悪いことではないのですが、その反面、“戻らなければならない”というプレッシャーを与えているのと同義ですね。
これでは休職中も精神的に休まることはないでしょう。そういう意味で、妻の助言は実に的確なものだったのでしょう。
これは結果論ではなく、映画の中でも妻なりに現状を的確に分析して、彼に退職を提案した様子も描かれています。

ベタではあるけど、映画の終盤にある講演会のシーンは結構良い。
何十人も知らぬ人の前で講演するのは、うつ病と向き合っている患者さんには結構しんどいことだと思う。
しかし、それでも主人公は講演依頼を受けたことに興味を持ち、「やってみようかなぁ」と呟きます。
これは大きな前進であり、その勇気が自発的に出てきた瞬間を捉えたというのは、本作の強みだと思います。

そうして、いざ講演会場で自分の経験と本音を、自分の言葉で正直に語り、
妻への感謝を述べるものの、彼は冷静に「まだ病いは治ったわけではないし、再発するかもしれない」と語ります。

しかし、それでも向き合っていく気構えを語り、最後の聴講者からの質問に臨みます。
そこで主人公は予想外の質問者から、ストレートな感謝の言葉を伝えられる。これは何よりの励みになるだろう。
少々、シチュエーションとしては出来過ぎな気がするが、それでも僕はこれが本作のハイライトだったと思います。

別に承認欲求の塊というわけではないと思いますが、それでもストレートな感謝の言葉こそが
彼に講演をやって良かったと素直に思わせる、最良の方法でしょう。周囲は一喜一憂しても仕方ないけど、
本人は一喜一憂してもいい。本作でも描かれていますが往々にして、うつと向き合う患者は表情が乏しくなるから。
喜怒哀楽の落差が激しくなる一方で、日常の小さなことに一喜一憂することができなくなってしまうのかもしれない。

勿論、現実はもっと過酷なことがあるでしょう。こうも順調に症状が緩和されていく事例も多くはないかもしれない。
しかし本作は、うつといろんな形で向き合う方々へのユルい応援歌のような映画であり、ニュートラルな映画である。
それくらいの余裕があった方がいいでしょう。何事も完璧にキチッと、根っこを押さえて間違えないようにする、
なんて気構えで病いと向き合っていたら、それはそれで別なストレスを生むので、これくらい余裕があっていい。

最近は、性別関係なく更年期うつも注目されてますから、社会の関心も高く、
特別な病いであるという認識は薄らぎ、誰もが罹る可能性のある病いという認識が、浸透したと思います。

一時は、年間3万人を超える人々がさまざまな事情で自殺死を遂げていましたが、
最近は年間約2万人程度まで減少してはきました。しかし、長く続いたコロナ禍もそうですが、
物価高騰や人手不足など、マイナス要因として語られがちな部分が目立つと、再び上昇に転じる可能性もあります。

うつに限らず、自死を防げる世の中になればよいとは思いますが、
精神医学も発達しているとは言え、理由は人それぞれ。そういう社会を形成することはなかなか難しいでしょうね。

本作を観て、あらためて感じるのは、うつに苦しむ患者本人も大変なのは勿論なのですが、
同居する家族の苦労も相当なものですね。映画の中でも語られていますが、「特別扱いしない」ということが
ポイントであるとは言え、やはり自死に至る可能性も否定できないことから、気を遣うのは間違いないでしょう。

とは言え、周囲も含めて自然体に過ごすことが症状の緩和につながるでしょうから、そのバランスが難しそう。
それでも本作の主人公の妻は、そのバランスをとることが難しそうだと感じさせないあたりが、立派ですね。
それは、“ツレ”への愛に他ならないでしょう。その結晶が本作の原作である、エッセイなわけですからね。
それを本として書くことが起死回生のアイデアになるとは、全く思いも寄らないことだったでしょうね。

但し、うつの実態に迫った現実的な内容を求める人には、賛否が分かれる作品だと思います。
僕は本作はうつを社会的な問題として、深く考えてこなかった人にも訴えかける、キッカケを作る映画として、
評価に値するものとは思いますが、そこまで真に迫ったものがある作品というわけではありません。

賛否はあるメッセージだとは思いますが、要するに深刻になり過ぎず、
「なんで上手くいかないんだぁ!」と神経質にならず、一日一日ゆったりと過ごそうという気構えだと思う。

難しいテーマをよく、ここまで上手く噛み砕いて映画化したと感心しました。
玄関での「行ってきます」のシーンで、さり気なく正面の鏡にカメラやスタッフが映らないようにしたり、
現場の創意工夫がある映画になっていて、決して中途半端な志しで撮ったものではないと思います。

うつについて考える入門編として、是非ともオススメしたい一作です。

(上映時間119分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 佐々部 清
製作 黒澤 満
   木下 直哉
   重村 博文
   平城 隆司
   福原 英行
   久保 忠佳
企画 遠藤 茂行
   日達 長夫
原作 細川 貂々
脚本 青島 武
撮影 浜田 毅
美術 若松 孝市
編集 大畑 英亮
音楽 加羽沢 美農
出演 宮崎 あおい
   堺 雅人
   吹越 満
   津田 寛治
   中野 裕太
   山本 浩司
   伊藤 洋三郎
   吉田 羊
   田山 涼成
   犬塚 弘
   伊嵜 充則
   余 貴美子
   大杉 漣
   梅沢 富美男