ミュージックボックス(1989年アメリカ)
Music Box
少々、忘れ去られた作品のような気がするのですが...
さすがは社会派監督コンスタンチン・コスタ=ガブラス。実に力のある映画を見せてくれます。
これは82年の『ミッシング』に続いて、彼の代表作の一つと言ってもいいくらいの出来映えではないかと思います。
おそらく、多くの移民を受け入れてきたアメリカ合衆国という国を、
肯定も否定もせず、それでいながら異国の地へやって来て暮らす人々の目線を
客観的に描き続けられた監督というのは、おそらくコンスタンチン・コスタ=ガブラスくらいでしょう。
こういう言い方は良くないかもしれませんが、80年代はまだミステリー映画を中心に
脚本を書いていたジョー・エスターハスが脚本を執筆していて、脚本も良く出来ていたのではないかと思います。
映画の焦点となるのは、長年アメリカで生活し、2人の娘を立派に育て上げた、
ハンガリーからの移民であるマイケルが突如として、ハンガリーでの大量虐殺の疑いで、
アメリカの市民権を剥奪し強制送還されるという通知を受け、弁護士である娘に弁護を依頼し、裁判にのぞむことです。
本来であれば親族が弁護すること自体が好ましくはないのでしょうが、
様々な想いが錯綜する中、敏腕弁護士として活躍する娘が弁護士として名乗りを上げます。
どう考えても不利な状況の中で、検察側が用意した証言の信ぴょう性をつく弁証を行い、
父であるマイケルの嫌疑を晴らすべく法廷で闘うと、次第に父の無罪を勝ち取るに近づき、
父の無実を信じつつも父の過去を調べる中で、それまでは知らなかった父の顔を知ることになります。
実際にオスカーにノミネートされただけに、娘役のジェシカ・ラングの孤軍奮闘のようにも思えるが、
この映画は父マイケル役を演じたアーミン・ミューラー=スタールがホントに上手いと思った。
映画の前半から、クロなのかシロなのかよく分からないが、深い家族愛を示す中で、一方的にかけられた嫌疑を
晴らそうと、なんとか自らを奮い立たせて娘に弁護を依頼し、裁判に立ち向かう“渦中の人”というイメージで、
映画が進むにつれて、絶妙に違った表情を見せつつも、巧みな感情表現を見せている。
孫を可愛がりながらも、映画の終盤で見せる姿は、序盤からは大きく形勢が変わっている。
ハッキリ言って、映画が始まった頃から裁判の行方や、映画の結末は分かり切ったところがある作品だ。
しかし本作は、その行方を楽しむ作品かと言われると、一概にはそうとは言い切れない作品だと思う。
コンスタンチン・コスタ=ガブラス特有の、アメリカに暮らす移民を描くという根源的な部分は変わりませんが、
自分を愛をもって育ててくれた父の、知られざる過去を暴くことになるという、娘の立場から見れば、
極めて不条理な関係性を巧みに描いており、その心境変化の過程を楽しむべき作品という気がしますね。
個人的にはもっと評価されて然るべき出来の作品だと思うのですが、
どうにも本作の存在自体が忘れられているような気がして、なんだか勿体ないなぁという印象です。
しかも、映画の終盤で「過去を掘り返すことは良くない」とか、意味深な台詞が数多く出てきます。
そうなだけに、示唆性に満ちた内容ではあるのですが、そこに至るまでのプロセスが良い映画ですね。
唐突に構成しているわけではなく、しっかりと物語を立体的に捉えながら描けているだけに、
映画の完成度としてはひじょうに高く、作り手としても手応えのあった作品だったのではないかと思いますね。
基本、法廷劇ではあるのですが、ただの質疑応答を中心とした構成ではなく、
そこに至るまでの様々な感情が錯綜する様子を克明に描いたことが、本作の大きな強みだと思います。
父を信じたい気持ちが強く、ヒロインの原動力となっていくのですが、
一方で、ブダペストの病院の廊下で放たれた、敵対する検事であるジャックの言葉が彼女の胸に突き刺さります。
「アンタはホントに、父親の過去に一点の曇りも無く、事実無根であると言い切れると思うのか?」と。。。
(ちなみにこのジャックを演じたフレデリック・フォレストも、良い味を出した好演です)
それでいながら、感情的になり過ぎる演出になっておらずバランスを上手くとっている。
虐殺の現場を証言する証人の話しを、父の無実を信じるがゆえに、その信ぴょう性を突いていくが、
あまりに凄惨な体験を語った女性の証言にショックを受け、弁護士を務める娘が質問を諦めるシーンも印象的だ。
あのシーンでは、この映画の作り手がいくらでも感情的になって演じさせようと思えばできたはずだ。
しかし、敢えて気を静められたかのようにヒロインが言葉を発することができず、質問を諦めてしまう。
これは抑制の利いた演出で、本作を象徴する一幕でしたけど、これができるのはホントにスゴいと思う。
ついつい、映画に起伏を作ってメリハリをつけたいと思って、
ここぞとばかりに感情的に攻め立てるように、ヒロインが法廷で立ち振る舞うことを描いても良かったのですが、
そこを感情がこみ上げて、質問を諦めることを悟らせることで、逆にこの映画のムードを盛り上げたと思います。
このシーンでのジェシカ・ラングは言葉(台詞)以上のことを、自らの仕草で語り切ったことに上手さを感じましたね。
この辺りから、ヒロインが父を信じることに揺らぎ始めたのかもしれません。
しかし、親族の弁護を引き受けるということは、こういった現実が訪れる可能性が十分にあるわけで、
本作が描いていることは、心理劇を描く上でとても大切なプロセスをしっかり踏んでいたと思います。
しかし、この映画はそれでいながら、父がシロかクロかハッキリと明言をしません。
やはり本作の本質的な観点からいけば、そんなことは大きな問題ではないということなのでしょう。
確かにミステリー映画の体裁をとりながらも、そういう観点だけで観てしまうと、
本作の良さを十二分に味わうことはできないと思います。シナリオも良く書けているとは思うのですが、
コンスタンチン・コスタ=ガブラスはストーリーの良し悪しに依存した映画を撮るというタイプではありません。
私は東欧は行ったことがありませんが、第二次世界大戦の最中は多くの悲劇的出来事があったようです。
その歴史があるからこそ、今の観光都市ブダペストの豊かな表情があるのかもしれませんが、
決してこういう歴史があって良かったとは言えないことでしょう。映画で何度も語られるドナウ川は有名ですが、
劇中、ヒロインがブダペストを訪れ、チョットとした個人行動をとってドナウ川を見に行ったときのカメラが良いですね。
ジャックから「かつて青きドナウ川は血で染められ、真っ赤になったのだ。一度、ドナウ川を自分の目で見ろ」と忠告され、
実際に現地を訪れたヒロインの目には、とても複雑な色調・姿に映ったことでしょう。このカメラも、赤なのか青なのか
一様に回答を得難い、とても中庸な色合いでどちらにも解釈できる色であったように私には観えましたね。
でも、これはヒロインの立場、心情、疑念の心から察するに、ホントにこんな色に見えるのかもしれません。
欲を言えば、僕はこの映画、クライマックスにもうひと押しが欲しかったと思う。
これがどうしてもインパクトが弱い。いつも映画の終盤にインパクト強いシーンをもってくるのが、
コンスタンチン・コスタ=ガブラスの監督作品の傾向だと思っているのですが、この映画のラストシーンは弱い。
もう少し映画全体にわたって訴求する、何か力強いメッセージが欲しかった。
それは、長年愛し愛され、弁護には心血注いだ父親に対する感情を反映させるも良し、
疲れ果てた徒労に終わった虚しさでも良かった。とにかく、この映画にはもうひと押しが必要だったと思う。
コンスタンチン・コスタ=ガブラスは力のある映像作家だと思うのですが、
どうにも90年代以降は低迷してしまったのか、映画に対する興味が弱くなったのか、
押しも押されぬ傑作と言い切れる監督作品を登場させられていないことが、僕の中ではとても残念なんですよね。
(上映時間125分)
私の採点★★★★★★★★★☆〜9点
監督 コンスタンチン・コスタ=ガブラス
製作 アーウィン・ウィンクラー
脚本 ジョー・エスターハス
撮影 パトリック・ブロシェ
音楽 フィリップ・サルド
出演 ジェシカ・ラング
アーミン・ミューラー=スタール
フレデリック・フォレスト
ドナルド・モファット
ルーカス・ハース
マイケル・ルーカー
1989年度アカデミー主演女優賞(ジェシカ・ラング) ノミネート
1989年度ベルリン国際映画祭金熊賞 受賞