陽のあたる教室(1995年アメリカ)

Mr.Hollands's Opus

1965年から約30年間にわたって、田舎町の高校で音楽教師として勤務した、
かつて作曲家志望だったホランド先生の教員生活の軌跡を描いた、見応えのあるヒューマン・ドラマ。

作曲家志望ながらも、長らくバンドマン生活を送り、
ようやく結婚した妻の勧めもあって、嫌々ながらも高校の音楽教師に転職した主人公のグレン。
彼は「将来のために」という抽象的な想いから、学生時代に教員免許を取得していましたが、
長く続いたバンド生活の影響もあり、高校で教鞭をとることに積極的ではありませんでした。

与えられた環境は決して恵まれていたわけではなく、
履修する学生たちも決して音楽の能力が高いわけではない。当初は一方的に教えを説いていたホランドでしたが、
ある日、自分の教えに学ぼうとしない学生たちの興味を如何にして引き出すかを考えたホランドは、
次第に授業の中で工夫を凝らすようになっていき、町のイベントに参加するまでに実力を上げます。

ホランドは予期せぬ息子の誕生に戸惑いながら、
聴覚障害を持つ息子への愛の注ぎ方に悩み、教員生活の傍らで取り組もうと思っていた、
作曲活動に全く時間が割けずに教職に奉職していく大変さに、必死に食らいつき、多くの学生たちを育みます。

これは観ている、こっちが恥ずかしくなるぐらい、あまりに正統派な映画だ。
ある意味で優等生的な映画というか、内容もさることながら、映画のアプローチとしても極めて教育的だ。

このあまりにストレートで実直な姿勢に、賛否が巻き起こりそうな気もしますが、
僕はこの近年稀に観るぐらい、実直で真面目な描き方に、むしろ新鮮な感覚を覚えたぐらいで、
映画の出来としては極めて高いものと思います。これだけストレートな映画で、何のヒネりもない内容なのに、
強く心を揺さぶられ、心に迫るものを感じさせた、力強い映画に仕上げたことは高く評価されて然るべきだろう。

日本でも劇場公開前から前評判がひじょうに高く、全米でもヒットしたことから、
今では考えられないぐらい規模の大きな劇場公開だったと記憶していて、実は僕も映画館で最初に鑑賞しました。

あれから20年弱経過した今になって本作を冷静な気持ちで観ても尚、
この映画のクライマックスにはとても力があって、良い意味で驚かされたという想いが強いです。
主演のリチャード・ドレイファスも大熱演で、これだけやって2度目のオスカーを獲れなかったのは残念ですね。

監督のスティーブン・ヘレクは、あまり多くの実績があるディレクターではありませんが、
どうやら音楽が好きなようで、それが縁で本作の企画にたどり着いたのでしょう。
こういう言い方は失礼ですが、もう本作のようなレヴェルの映画を撮ることは無理なのではないかと思える。
何が言いたいかと言うと、それぐらいに本作の完成度は高く、傑作であると言っても過言ではないということです。

ハッキリさせておきたいのは、これはあくまで夢物語だということ。

僕も教師を志望し、正直、30歳を過ぎた今でも、まだやりたいと思っているけど、
現実的に考えたときにとても厳しい現実があったりと、いろいろと自分の中で言い訳をしてしまう。

もっとも、かつて非常勤講師を勤めたときに、自分の無力さを痛感していることが大きい。
教員こそを人付き合いの仕事です。「教育」とは何なのかという、大きなテーマに挑まなければなりません。
そして言葉で定義することは難しい、人材育成という姿勢を、中長期的な目で体現しなければなりません。
上手くいかなければ切り替えられる企業とは違って、教育者は教育を諦めることは決して許されないのです。

しかし、彼らは至極当然なことではありますが、
学生を入学という形で受け入れて、卒業という形で送り出す。この繰り返しに、称賛されることはありません。
そこに時代の変化という要素をよりダイレクトに受けながら、教育の不変性と変化を両立させなければなりません。

しかし、このホランド先生はクライマックスで思いも寄らぬ称賛を浴びます。
これはとてつもなく幸せな教師人生です。教師冥利に尽きるというのは、正しくこのことだろう。

かつて愛情を持って接し、送り出した学生たちによって、
スタンディングオベーションで迎えられ、最高の笑顔と涙で送り出される。これは至上の幸福だ。
誰しも、こんな教師人生を歩みたいと切に願うことでしょう。この映画の凄いところは、そんな至上の幸福に
至るまでのホランド先生の軌跡を、実に丁寧にエピソードを積み重ねて描いていることですね。

だからこそ、分かり切ったストーリーの映画であるにも関わらず、
十分に楽しめて、ラストはしっかり感動させることができるんですね。それだけ力のある映画なんです。

聴覚障害をもって生まれた息子コールとの葛藤には物足りなさはあるけど、
それでも息子への接し方に悩んだホランドが、聴覚障害を抱えた子供たちを招待して催した演奏会で、
何とか覚えた手話を駆使しながら、ジョン・レノンのBeautiful Boy [Darling Boy] (ビューティフル・ボーイ)を
歌うシーンは実に感動的で、公私混同と非難されようが、息子に向けてメッセージを発信しようとする姿が良い。

僕も人を育むということの喜びが素晴らしいと思い、
教職を志したものの、自分の中で大きな迷いが生じてしまった大きな要因は、
自分の人間力の乏しさなんですね。いろいろと指導をしなければと思っても、生徒たちの心に届く、
真の意味での教育が当時、20代前半であった自分にはとても厳しく、自分の能力に疑問を持っていました。

冷静に考えても、そもそも自分の能力に疑問を持っている教師に
学ぶ生徒たちが不幸だなぁと考えると、やはり自分には早すぎた志しだったと思いますね。

その後、一般的な会社員となった今尚、更に強く思っているのですが、
多少、言い過ぎかもしれないけど、教員ってそれぐらい、尊い職業だと思うんですよねぇ。
自分の希望や野心だけで、社会人としての自らの人生を捧げられるほど、今の教育の現場は甘くないと思います。

この映画の主人公ホランド先生を観ていると、
父として、教師として、夫としての3つの表情に苦悩していたように思うのですが、
ホントに生徒たちのことを考える教員であれば、こういう悩みにぶつかるのは至極当然なことかもしれません。
おそらく教師になりたての頃のホランドが、そのままの志しであれば、ここまでの悩みにぶつかることなく、
家庭人として全力投球できていただろうし、下手をすれば、作曲家して成功を収めていたかもしれない。

しかし、そういう意味でホランドは無意識的に「教師」としての道を選んだということなんでしょう。

そんな懐かしい感覚を思い出させられる、自分にとっては忘れられない一本。

(上映時間143分)

私の採点★★★★★★★★★★〜10点

監督 スティーブン・ヘレク
製作 テッド・フィールド
    マイケル・ノリン
    ロバート・W・コート
脚本 パトリック・シーン・ダンカン
撮影 オリバー・ウッド
音楽 マイケル・ケイメン
出演 リチャード・ドレイファス
    グレン・ヘドリー
    ジェイ・トーマス
    オリンピア・デュカキス
    ウィリアム・H・メイシー
    アリシア・ウィット
    テレンス・ハワード
    バルサザール・ゲティ

1995年度アカデミー主演男優賞(リチャード・ドレイファス) ノミネート