ハドソン河のモスコー(1984年アメリカ)

Moscow On The Hudson

74年に『ハリーとトント』で高く評価されたポール・マザースキーが描く、
米ソ冷戦時代にサーカス公演のために訪れたニューヨークで、亡命を試みるロシア人を描いたヒューマン・ドラマ。

本作は日本劇場未公開作品とのことで、今となっては視聴困難な映画の一つになってしまいましたが、
数年前にオンデマンドDVDという素晴らしい仕組みがあり、本作がラインナップされていたので思わず注文、
とても貴重なDVDとして持っていて、何度観ても温かくもどこか切ない、実に個性的なヒューマン・ドラマだと思う。

俳優として名を知られつつあったロビン・ウィリアムスが主演を務めていて、
持ち前のマシンガン・トーク炸裂というわけではなく、どちらかと言えば、本作は大人しい方だけれども、
ポール・マザースキーの独特な目線で描くキャラクターを演じるには最適なキャスティングでしたね。
英語とロシア語を駆使していて、演じるにはかなり苦労させられたのではないかと思いますが、なかなかの好演です。

残念ながら、あまり有名ではない作品ではありますが、僕はこれがなかなかの傑作だと思っています。
ポール・マザースキーの監督作品としては、間違いなくベストな出来。彼の良さが、的確に反映された作品だと思う。

まぁ、米ソ冷戦時代の旧ソ連からの亡命なわけですから、確かに映画で描かれたほど甘くはないだろう。
主人公が所属するサーカス団の一行が、ニューヨーク公演に訪れ、土産品店に30分限定で滞在するにしても、
サーカス団一行はずっと同行してきたKGBに見張られ、自由行動など全くできないわけで、全く楽しめない。

KGBも職員を派遣するのは、団員から一人も政治的亡命者を出さないということが目的なわけで、
もし亡命などされたら、同行していたKGBの職員も本国を帰国したら、大変な扱いを受けるのだろう。
主人公も旧ソ連に残した家族のことを憂いますが、現実は彼が亡命したら、家族は迫害を受けたり、命の危険が迫る。
そんなハイリスクな行動でありながらも、映画は決して暗くなり過ぎることなく、明るく前向きにドラマを描いていく。

ラストシーンでさり気なく、亡命者を出してしまうことの過酷さを象徴しているのですが、
「KGBの職員だって、自由な世界に憧れているのさ」と言わんばかりの“出会い”が描かれるわけですが、
これは旧ソ連に帰国しても無事にいられるわけがなく、少なくとも居場所など無いということの裏返しでもあります。

結構、シビアに厳しい現実をオブラートに隠しながら描いているとは思うのですが、
本作はあくまで前向きな姿勢やメッセージを込めた作品したかったようで、あまり深刻になることはありません。

でも、僕はそれを含めてポール・マザースキーの監督作品の持ち味だと思っているんで、
そんな彼のカラーが良い方向に機能した、実に素晴らしい人間賛歌だと思う。劇場未公開なのが勿体ない。
できることなら、オンデマンドDVDサービスも終了してしまったので、もう一度、Blu−rayで販売して欲しいくらいだ。

この頃のロビン・ウィリアムスはマシンガン・トーク炸裂という感じを前面に出していなくって、
後年に彼が出演したコメディ映画での演技と比べれば、実に大人しいもので少しばかりシリアスかもしれない。

しかし、当時既に日本では劇場未公開作扱いとなってしまっていたのですが、
その理由は劇中、トイレットペーパーの配給に並ぶシーンがあって、これがオイルショックを想起させるから、
という理由とのことですが、にわかに信じ難いものがあり真偽不明です。とは言え、現代でもキワどい描写が多い。
ポリティカル・コレクトネスの時代に突入した現代社会では、受け入れられないシーンが多いかもしれない。

そもそもがアメリカへ亡命した共産主義国兼出身の移民を主人公にするという時点で希少だろうし、
主人公がニューヨークの街を歩いていて、中年のオッサンに付きまとわれて、それに気付いた主人公が
そのオッサンに「FBIか!? KGBか!?」と問い詰めるシーンで、「私はGAYだよ」と言うシーンがある。
これは今の映画界では描けないことだろう。まぁ、ポール・マザースキーっぽい演出ではあるのですがねぇ・・・。

衝動的な亡命に見えなくもないが、根本的にはソ連での貧しく、自由のない生活から抜け出したかった主人公。
いざ亡命が成功すると、最初はアメリカでもいろんな人々が彼の自由な生活をアシストしてくれていた。
支援者とも言うべき弁護士と仲良くし、ガールフレンドに気の許せる友人ができて、アルバイトも見つけた。

一見すると順風満帆なニューヨーク・ライフに見えなくもないが、実は彼はどことなく孤独を感じていた。
それは右も左も分からない異国の地での生活が始まり、祖国へは帰れない状況なわけですから当然です。
しかし、チョットしたことで迷っても助けてくれる人はいないし、価値観の違いなどにも悩むことが少なくない。

それは映画の冒頭で、乗車するバスの路線を間違えた男性に優しくアドバイスするシーンに象徴されている。
彼は異国の地で困ってしまうことほどの絶望はない、ということを誰よりも熟知していて、それを見過ごせない性格だ。
この冒頭のシーンにしても、何気ない会話のシーンではありますが、自分も同じ立場だった人への優しさを感じます。

本作で面白かったのは主人公は、最初っから亡命しようと思っていたわけではないという点だ。
確かに自由の国アメリカへの憧れはあったし、欧米の文化を愛する旧ソ連の一般的な国民ではあったものの、
別に積極的に亡命を図ろうとしていたわけではないし、同じサーカス団の友人が亡命を盛んに目論んでいるのを
どちらかと言えば諫めていたわけで、問題となったニューヨークの土産品店に来てから、勢いづいた感じに見える。

むしろ、その友人が諦めてしまうという展開で、なんとも人生の皮肉を垣間見る瞬間とも言えると思う。

同行していたKGBに“泣きの説得”を受けても、ソ連に残した家族を思い出そうとも、
帰国の途に向かうサーカス団の同僚の表情を見ても、主人公の気持ちは変わることはなく、亡命を決意します。
しかし、そんな勢いづいて行った亡命にしても、全てが理想通りに進むわけではないという現実の厳しさも描かれます。

実際、亡命に成功した後も孤独を深めていくということは、現実にあることだろう。
亡命先で同胞たちとコミュニティを築くことは可能だが、それでも文化の違う土地に順応しなければならない。

米ソ冷戦下の旧ソ連に於いても、こうして政治的亡命を試みた例は数多くありました。
厳しい共産主義国家の統制下にあったわけですが、それでも70年代に入ると水面下で若者たちを中心に
欧米のポピュラー・ミュージックが人気を博すようになり、国家も次第にそういった統制がとれなくなっていきます。

実際に79年にエルトン・ジョンがモスクワへ渡り、モスクワとレニングラードの2都市でコンサートを敢行し、
80年代に入ると、敵性音楽として規制されていたにも関わらず、西側のミュージシャンが次々とソ連公演を行います。

これらの映像を見たりすると、如何に当時のソ連の若者たちが“飢えて”いたかが分かるし、
その熱狂ぶりはスゴいものがありました。本作の主人公だけではなく、もう色々と時間の問題だったのです。
本作でも主人公の家庭も、ジャズをこよなく愛しているという描写がありますしね。かなり浸透していたのでしょう。
だいたい、こういうものって禁じられれば、それだけ欲しますからね。現実的に規制は、表向きだけの機能でしょう。

映画史に残る大傑作というわけではないですし、今となっては視聴困難な作品ではありますが、
是非今一度、映画会社には頑張ってもらい、“埋もれさせない”ようにして欲しい。サブスクとかでもOKなので。
ロビン・ウィリアムスの初期の出演作品としては、かなり上質な出来だと思いますし、僕は傑作だと思います。

ポール・マザースキーもそこまで知名度の高いディレクターというわけではないのですが、
彼の監督作品を追っていくと、かなりの高確率で質の高い作品を仕上げていることに気づかされます。
基本はコメディ映画に軸を置いていたと思いますが、一方でドラマ系の作品も手掛けており、本作はそのブレンドだ。

70年代は『ハリーとトント』、『グリニッチ・ビレッジの青春』、『結婚しない女』と評価の高い作品が多いですしね。
決して監督作品が多いタイプのディレクターではありませんが、実はかなり力量のあるディレクターだったと思います。
(残念ながら2014年に84歳で他界してしまいましたが・・・)

そういう意味では、彼にとって良い“素材”だったわけで、得意な分野だったのでしょうね。
映画全体のバランスもとても良く、辛口な側面がありながらもシリアスになり過ぎず、ポジティヴであり続ける。
とても良い塩梅で映画を構成できており、もっと数多くの方々に観て頂きたい、心温まる作品と言っていいと思います。

こんな素晴らしい作品が、日本劇場未公開で今は視聴困難とか...なんとも勿体ない・・・。

(上映時間115分)

私の採点★★★★★★★★★★〜10点

監督 ポール・マザースキー
製作 ポール・マザースキー
脚本 ポール・マザースキー
   レオン・カペタノス
撮影 ドナルド・M・マカルパイン
音楽 デビッド・マクヒュー
出演 ロビン・ウィリアムス
   マリア・コンチータ・アロンゾ
   クリーヴァント・デリックス
   アレハンドロ・レイ
   サヴェリ・クラマロフ
   エリヤ・バスキン
   フレッド・ストローサー