モ’・ベター・ブルース(1991年アメリカ)

Mo' Better Blues

これは惜しい映画だと思う。
あと一押し、というところまで頑張った。しかし、その一押しがどうしても物足りない。
出来はなかなか良い映画なのですが、僕はもっと強く訴求する作品にできたと思えただけに、勿体なく感じた。

89年の『ドゥ・ザ・ライト・シング』で高く評価されたスパイク・リーが描く、ジャズ・トランペッターの半生。
劇場公開当時の評判は良くなかったようですが、そこまで悪い出来の映画ではないと思う。
ただ、所々が噛み合っておらず、どうしてもチグハグな感じが否めない。そこで大きく損をしてしまっている。

主人公のブリークは幼い頃から厳しくトランペットを教え込まれ、
ストイックに取り組んできたせいか、プロのトランペッターとしての誇りが強く、気難しいところがある。
プライベートでは2人の女性と交際する二股をかけ、バンド仲間ともあまり仲が良くないという状態。

このブリークはナイトクラブの世界ではカリスマ性あるジャズ・トランペッターであり、
彼がリーダーを務めるバンド(クァルテット)は、確かな腕前のプレーヤーが揃っているものの、
ソプラノ・サックスを務めるシャドウは、勝手にソロ・パートを引っ張るなど自分勝手な性格なので、
クァルテットのマネージャーであり、ブリークの長年の有人であるジャイアントはシャドウを辞めさせようと進言する。

調和がなかなか取れないように見えつつも、ギリギリのところでバランスを保つ彼らは、
ステージの裏側では毎日のようにケンカしながらも、お互いに切磋琢磨する関係を続けていた。

しかし、個性豊かな彼らの日々は長続きすることなく、ブリークの女性関係やショドウの独立志望、
ギャンブルにのめり込み、悪い奴らから借金の取り立てにあうジャイアントなど、様々なトラブルが入り乱れ、
次第に続けられない状況に陥ってしまいます。そんな姿をブリークを中心に描くわけなのですが、
スパイク・リーの特徴なのですが、自身もキャストの一人として出演し、中心人物の一人となりながらも、
どこか俯瞰した描き方をする。途中から雪崩のようにブリークの人生が音を立てて崩れていくようになってしまう。

しかし、それで映画を終わらせることなく、半ば強引に原点回帰するようなエンディングを迎えるわけですが、
何か映画の主題とは異なるベクトルに暴走しかけるというのも、この頃のスパイク・リーの映画の特徴かもしれません。

さすがはトランペッター、ブリークは唇に対するこだわりを持っており、
恋人ではなくあくまで肉体関係のみを割り切る女性クラーから、ふざけ合いの末に唇を噛まれ出血し、彼は激怒する。
「唇は商売道具なんだぞ!」と言っていましたが、確かにトランペッターにとって唇はとても重要だと聞いたことがある。

トランペットって、丁度合う唇の形にしないと、そもそも上手く音が出ないんですよね。
幼い頃から厳しくトランペットを教え込まれ、大人になれば実際にそれを職業にしているプロであるブリークからすれば、
唇を負傷してしまうことは笑い事ではないのだろう。僕はそんなブリークのこだわりはプライドは素晴らしいと思う。
彼が女性に二股かけているのは感心しないけど、やはりトランペッターとしての矜持を持っているということでしょう。

こう言ってはナンですが、ある分野のプロフェッショナルでスゴい業績を挙げている、
世界的な有名人であっても、人間性は全く評価されず、酷いことばっかりやってるという人、実際にいるようです。
通俗的な表現をすれば、「必ずしも聖人君子ではない」ということなのかもしれませんが、コンプライアンスの時代には
そういう人間って生きづらいのでしょうが、ある分野の達人って、その分野に異常なほどに情熱を費やすのでしょうね。
その反動なのか、それ以外の部分は全くダメってことは、正直言って、よくあることなんじゃないかと思っています。

本作の主人公ブリークもトランパッターとしての誇り、自分の腕に対する自信もそうとうなものだから、
ハッキリ言って、仕事仲間としては一緒にやりづらいだろうなぁとは思いますよ。大衆から評価されているから、
クァルテットのリーダーとしていられるわけで、クァルテットが解散になってしまうと困るのは、実はブリークだと思う。

まぁ、本作の頃のスパイク・リー自身が凄く勢いのあった時期であって、
本作の後に撮った92年の『マルコムX』で一つのピークを迎えるので、本作のブリークのような存在だったのかも。
実にスピード感たっぷりに描いており、『ドゥ・ザ・ライト・シング』の勢いそのままに映画を撮っている感じだ。
でも、最後の一押しが無い。何か一発、ガツンと訴求するものが欲しかったが、どこかマイルドに終わってしまう。

そして、何故か後半の一部分でブリークが活動を続けられなくなる“事件”を描くあたりでは、
スパイク・リーの狂気が炸裂するかのように、少々、暴走気味に一方的なバイオレンスを描き始める。
最後に観終わって感じたのですが、このバイオレンスは何故にここまで徹底して長々と描いたのか、よく分からない。
必要なエピソードなのかもしれないが、本作の主題からいくと、あまり長々と描くのは得策ではなかったと思う。

映画全体のことを思うと、ここだけ突出したインパクトで、このバイオレンスの向こう側にあるはずの
スパイク・リーが描きたかったこと、意味合いといったものが、最後の最後までよく分からなかったがために、
全体のバランスを著しく欠く描写であったと、僕には感じられたのが正直なところで、少々、固執し過ぎたように思う。
(まぁ・・・コテンパンにやられる役をスパイク・リー自身が、演じてみたかったのかもしれないけど・・・)

それから、面白いカメラワークを見せる作品ではあるのだけれども、
例えば映画の前半にあったようなブリークとクラーのキスシーンで、周囲の風景がグルグル回るなど
ブリークの混沌とした部分を表現したかったのだろうけど、僕には少々悪い意味でやり過ぎに見えてしまった。
本作の場合は、もっと普通に撮って良かったんじゃないかと思う。スパイク・リーの監督作品ってこんな感じだけど、
良くも悪くも落ち着かないんですよね。それが本作では、どちらかと言えばマイナスに作用しているように感じる。

相変わらず、黒人たちを中心に描きながらも、
白人女性と付き合う黒人、ということを描くのもスパイク・リーらしい。『ジャングル・フィーバー』では異人種間の愛を
メインテーマに掲げて映画を撮ったスパイク・リーですが、それが主題でなくとも、さり気なく挿し込んでくる。

音楽として、ブランチャード・マルサリスやテレンス・ブランチャードなどジャズ・ミュージシャンが参加してますが、
スパイク・リーが最も使いたかったのは、ジョン・コルトレーンの A Love Supreme(至上の愛)なのでしょう。

欲を言えば、もっと熱いセッション・シーンなんかも見せて欲しかったなぁ。
主人公ブリークは凄腕のトランパッターであり、ジャズの醍醐味としてインプロヴィゼーション(即興)があるので、
ナイトクラブでのステージングでも良かったと思うので、もっと熱い熱いセッションを描いて欲しかったなぁ。

スパイク・リーなりのジャズへの敬愛を感じさせる作品だし、おそらく黒人としてのプライドもあって、
他のジャズを題材とした作品とは一線を画すものとして描きたかったのだろうから、尚更のこと“熱さ”が欲しかった。
マイルス・デイヴィスを形容する言葉として、“クール”という言葉がありますが、演奏は熱いものであって欲しい。

この頃、既にスパイク・リーの作風は完成されたものになっており、トータル感もしっかり出ている。
それゆえに並みに若手映画監督が撮った作品、という感じではなく、ハリウッドの頂点を狙う勢いがありました。
そういう意味で、本作では甘くはないドラマを描きたかったのではないかと思いますし、『ジャングル・フィーバー』では
恋愛を真正面から描きたかったのだろうと思います。そういう意味で、スパイク・リーは色々なものを兼ね備えた、
映像作家として黒人映画監督のパイオニアになろうとしていたのではないかと思え、本作はその途上だったのでしょう。

そう思えば、本作は傑作とまでは言えないにしろ、彼のキャリアの中では重要な位置づけになるのかもしれない。

怪我をしてトランペットから離れた時間ができてしまい、
かつての仲間と一緒に演奏する機会を得たのに、上手く吹けないという残酷さが、なんとも印象的だ。
吸収するスピードは速いが、失われていくスピードも速いという現実。そんな自分に耐えられないという、
表情を見せるデンゼル・ワシントンがホントに上手いが、ブレイクする前のサミュエル・L・ジャクソンや
名バイプレーヤーとして知られるジョン・タトゥーロらが、出番は少ないものの、しっかりと存在感を残しているのも注目。

クドいようですが...これで何か一つのことでいいから、強く訴求するものがあればなぁ。
内容的にもキャスト的にも、もっと注目されていても不思議ではないのだけど、やっぱり物足りないんですよね。

(上映時間129分)

私の採点★★★★★★★☆☆☆〜7点

監督 スパイク・リー
製作 スパイク・リー
脚本 スパイク・リー
撮影 アーネスト・ディッカーソン
音楽 ビル・リー
   ブランフォード・マルサリス
出演 デンゼル・ワシントン
   スパイク・リー
   ロビン・ハリス
   ウェズリー・スナイプス
   ジョイ・リー
   ビル・ナン
   ジャンカルロ・エスポジート
   ルーベン・ブラテス
   サミュエル・L・ジャクソン
   ジョン・タトゥーロ
   ニコラス・タトゥーロ