ミシシッピー・バーニング(1988年アメリカ)

Mississippi Burning

1964年、まだ人種差別がはびこる閉鎖的なアメリカ南部ミシシッピー州の田舎町を舞台に、
公民権運動家であった白人男性2名と黒人男性1名がスピード違反で警察に逮捕された後、
忽然と行方不明となってしまった失踪の謎を追うべく、都会から派遣された2人のFBI捜査官が
人種偏見が根強い地元民の反発に遭いながらも、KKK(クー・クラックス・クラン)に立ち向かう姿を描きます。

個人的には、アラン・パーカーの映画って、
凄く挑発的な作家性であるせいか、どうも支持し切れない部分はあるのだけれども、
やはり本作にしても、何度観ても、あまりの力強さに圧倒されてしまうのは確かだ。

映画の中で幾度となく描かれるのですが、どうも首吊りのシーンを観ると、
僕は閉口するのですが、まぁそれでもこれだけ力強い映画にできたというのは、
社会派映画を得意分野とするアラン・パーカーらしさが生きた、優れた作品と言っていいだろう。

あまりにメッセージ性の強い映画で、かなりセンセーショナルな内容なので、
正直言って、好き嫌いがハッキリと分かれる作品でしょうが、これは一度でいいから観ておいた方がいいと思う。

そもそもKKK(クー・クラックス・クラン)って、19世紀に発足は遡って、
アングロ・サクソンの純血主義者の集まりだったらしく、発足当時もあまりに行き過ぎた白人たちの行いに、
当時のリーダーであるクランが危機感を感じ、一旦は解散を宣言したらしいのですが、
その残党が粘り強く活動を続けた結果、KKK加盟者数は減ったものの、所属者の行動はより過激になったらしい。

この映画で登場する、KKKのリーダー格である町の有力者タウンリーは
彼の主張は民族分離主義なのですが、そのためにと黒人たちを虐げる不法行為や殺人も辞さない。

これを繰り返すばかりに、町のメンバーたちの行動はエスカレートし、
町の警察たちにもKKKのメンバーがいて、彼らの不法行為や殺人をも容認してしまう事態。
オマケに彼らが仮に検挙されたとしても、司法までもが腐敗した状態で重罪には問われない始末。
これではいくらFBIのようなよそ者が奮闘しても、腐ったミシシッピーでは無力にしかすぎません。

そういった南部の町の閉鎖的な空気を象徴したのは、
映画の序盤にある町のカフェに立ち寄ったときのエピソードで、同じカフェの中に黒人専用席と白人専用席があり、
ウィレム・デフォー演じる正義心強い若き捜査官ウォードが、このカフェで聞き込みをするためにと、
黒人専用席に座った瞬間に、白人たちは一気に静かになり、彼らの会話に注目します。
それを察知してか、話しかけられた青年はすぐに席を立ち去りますが、すでに時は遅かったのです。
結果的にこの青年はKKKに通報され、激しいリンチを受けてしまいます。

ウォードは軽率な行動を責められ、反省しますが、
この冒頭のカフェでのシーンで、一気にこの映画の根深い問題を露呈させましたね。

この映画でのアラン・パーカーは執拗に、こういった不条理を立て続けに描き、
観客の道徳心に訴えかけるように、敢えて観客にもフラストレーションを貯め込みさせます。
この手法がとても上手くって、まるで黒人たちが反逆する姿に観客の心情を同調させるかのようです。

でも、この反逆をも、町の白人たちは敢えて容認するんですよね。
それは白人たちが黒人たちを虐げ、差別することを容認する理由を作るためとしか思えません。

言わば、一旦、黒人たちの反逆する姿を描いて、観客のフラストレーションを抜くんだけれども、
すぐに再び繰り返される白人たちの横暴な差別的支配に、再びフラシトレーションを貯めさせます。
その怒りを蓄積していたのは、観客だけではなく、当然のことながら主人公のFBI捜査官も一緒なんですね。

この映画で登場するジーン・ハックマン演じるベテラン捜査官アンダーソンが素晴らしいですね。
アンダーソンは南部出身であるせいか、幼い頃から人種偏見を植え付けられておりましたが、
北部に出たことによって、そういった社会的思想の過ちに気づき、かつてほどの差別心はありません。
当然、FBIでも黒人の同僚がいるわけで、彼が頼る“その道のプロ”に黒人捜査官がいます。
(しかし、一部では1964年当時、FBIには黒人捜査官はいなかったとの指摘もあるらしい・・・)

いつまでも変わらない南部の人種偏見、そして何をしても不条理を許容する南部の風潮に
アンダーソンは嫌気が差し、アンダーソンはついに彼独自の強引な捜査を展開するようになります。

ウォードはそんなアンダーソンの強引な捜査を嫌悪しますが、
決してアンダーソンの強引な捜査の全てが肯定されるわけではないにしろ、
ウォードも無意識的に南部の根深い問題を解決するために、アンダーソンのような強引な捜査も
一つの手段であることを認識しているかのようで、強い姿勢を持つことの重要性を敢えて描きます。

どうやら、事実とは異なるという指摘も受けているとのことですが、
個人的にはこの映画はノンフィクションであることを前提とした作品であるとは言い難いので、
あくまで映画の出来として考えたとき、この映画は素晴らしい出来であると思います。

あまりにセンセーショナルな内容ですので、
賛否も激しく分かれる作品かとは思いますが、社会派映画としてもお手本のような盛り上げ方だったと思います。

アラン・パーカーはどちらかと言えば、寡作な映画監督ではありますが、
常に挑戦意識の強い、骨太な社会派映画を撮っており、その多くが日本でも愛され続けております。
残念ながらアラン・パーカー自身は、日本では有名な映画監督ではないのですが、
『ミッドナイト・エクスプレス』や本作を観る限り、ひじょうに能力の高いディレクターであると思いますね。

ただ、あまりに過酷な内容の作品ですので、精神的に余裕がある時に観た方がいいかな(笑)。

(上映時間126分)

私の採点★★★★★★★★★★〜10点

監督 アラン・パーカー
製作 フレデリック・ゾロ
    ロバート・F・コールズベリー
脚本 クリス・ジェロルモ
撮影 ピーター・ビジウ
編集 ジェリー・ハンプリング
音楽 トレバー・ジョーンズ
出演 ジーン・ハックマン
    ウィレム・デフォー
    ブラッド・ドゥーリフ
    フランシス・マクドーマンド
    R・リー・アーメイ
    ゲイラード・サーティーン
    スティーブン・トボロウスキー
    マイケル・ルーカー
    プルーイット・テイラー・ビンス
    ケビン・ダン

1988年度アカデミー作品賞 ノミネート
1988年度アカデミー主演男優賞(ジーン・ハックマン) ノミネート
1988年度アカデミー助演女優賞(フランシス・マクドーマンド) ノミネート
1988年度アカデミー監督賞(アラン・パーカー) ノミネート
1988年度アカデミー撮影賞(ピーター・ビジウ) 受賞
1988年度アカデミー音響賞 ノミネート
1988年度アカデミー編集賞 ノミネート
1989年度ベルリン国際映画祭主演男優賞(ジーン・ハックマン) 受賞
1988年度イギリス・アカデミー賞撮影賞(ピーター・ビジウ) 受賞
1988年度イギリス・アカデミー賞編集賞 受賞
1988年度イギリス・アカデミー賞音響賞 受賞