ミッドナイト・イン・パリ(2011年スペイン・アメリカ合作)

Midnight In Paris

ウディ・アレンがやりたかったことは、確かによく分かる。

アメリカで大ヒットしたファンタジー映画なのですが、
ウディ・アレンにとっては、もうアメリカは魅力ある土地ではないことの裏返しと感じました。

ハリウッドで映画脚本家として、それなりの収入のある男がフィアンセである恋人の父親の
新事業展開に便乗して、フィアンセとパリに旅行に来たのに、恋人とはロクに行動を共にできず、
お互いにそれぞれ別行動をとることが多くなり、深夜のパリで謎の車に乗り込んだら、
自分が憧れていた1920年代のパリにタイムスリップして、伝説の偉人に出会う姿を描きます。

まぁ・・・ピカソ、フィッツジェラルド夫妻、ヘミングウェイと名だたる有名人が登場してきて、
キャストたちはそれぞれなり切っているのですが、質が高い映画なのは分かるけど、どこか訴求しない。

これは、日本人でもよくそういう言い方しちゃいますけどね・・・
「昔はこんなんじゃなかった」だの、「オレがやっていたときは、ちゃんとやっていた」と、
人間は過剰に過去を美化しがち。当時は死ぬほど文句を言っていたのにも、関わらず過ぎ去ると美化するのです。

勿論、過去から学ぶことは大切で、忘れないようにしなければなりませんが、
過去の成功体験にこだわっていても仕方がないし、過去の通りやれば上手くいくということでもありません。

僕も過去を懐かしむノスタルジアは好きなんですけど、
一方でそればっかり言っていても仕方がないとは思っています。時に元に戻すことが有効ではありますが、
忘れてはならないのは、元に戻すということは、実質的に「過去をやり直す」ということです。
つまり一時的に進化を放棄して、「過去をやり直す」わけですから、決して進歩的な手法ではありません。
ですから、「過去をやり直す」のは、現在が良くなったことを確認すれば、また違うことを考えなければなりません。

この映画は真理をついていて、2010年代に生きる主人公から見れば、
1920年代は憧れの時代であり、1920年代に生きる人々は決して今の時代は満足ではなく、
むしろ1890年代が羨ましいと言う。そして、1890年代に行くと、もう1920年代には戻りたくないと言うのだ。

つまり、その時代を生きていた人は決して満足していないし、過去を賛美する。
これは世の常であり、皆、このままいくと明るい未来は無いと言い続けているのである。

逆の言い方をすれば、現在に満足してしまうと、未来は築けないということなのかもしれない。
まぁ、別に今に満足すること自体は、決して悪いことではなく幸せなことだとは思うけれども、
「これだけやれば大丈夫」となってしまうと、それ以上の成長は望めなくなってしまうというのも、また事実でしょう。

別にウディ・アレンはそういったことを哲学的に描いているわけではなく、
むしろいつもウディ・アレンの調子で、明るく淡々とコメディ的に描いているのですが、
繰り返しになりますが、やはりそういった人々のメッセージをパリを舞台に撮影するということは、
もうウディ・アレンはニューヨークに戻る気はないのでしょうね。一体、何があったのでしょうかねぇ?

主演のオーウェン・ウィルソンは自然体な感じで悪くないのですが、
さすがに映画の冒頭は、義理の父親になる人に向かって、忌憚のない意見を言い合える仲と
勝手に理解して、スゲー失礼なことを平気な顔して言うという、とっても嫌な奴なので、少し印象が悪い(苦笑)。

しかし、これはウディ・アレンの意地悪い部分が少し反映されている気もしますね。

オーウェン・ウィルソンが得意なウザい男というキャラクターなので、
ある意味でいつも通りの安定感ですが、彼のフィアンセであるイネス演じるレイチェル・マクアダムスも、
結婚寸前でせっかくのパリへ来ているというのに、憧れのインテリと偶然出会ったというだけで、
スネた主人公をホテルに置いて、単独行動でやたらとインテリと一緒にいたがるというのも、なんだか妙。

これら全てがウディ・アレンの描くファンタジーの中の出来事という調子で、
映画はノスタルジーに溢れながらも、どこか単純ではない空気感に支配されているような作品なのです。

ただ、この映画にはかつてのウディ・アレンの監督作のような面白さは無かった。
失礼な言い方ですが、くっだらないギャグを連続させるスラップスティックさであったり、
反対に少し突き放したようにシリアスな映画を撮ったり、どこか特徴のある個性的な内容なのですが、
本作はそういったアクの強さは全く無くって、良くも悪くもウディ・アレンをオシャレに楽しみたい人向けの作品だ。
僕個人の意見を言わせてもらうと、それではウディ・アレンの監督作品としては、魅力に欠けるなぁと感じるのです。

ストーリーとしては、良いものを持っているし、映画のテンポも良い。
上映時間も短く、小難しさもないので、映画としてはスリムで上質な仕上がり。でも、どこか表層的なものに感じる。
普段のウディ・アレンなら、もっと“過去”をウガった見方というか、卑屈な描き方をしていたでしょう。
そういうウディ・アレンを期待する人には、まったくもって向かない映画であることは否定できませんね。

誰しもその風貌から分かる、ダリやロートレックの映し方なんて、
もっともっと面白い撮り方ができたと思うのですが、結局は平坦な描き方に終始してしまっているのが勿体ない。

あくまでファンタジー映画という体裁を貫きたかったのだろうし、
過去にウディ・アレンもこの類いのジャンルの作品を手掛けたことがあるので、
別にこういう映画を認めないというわけではないのですが、それにしても突き抜けた魅力は無かったかなと思います。

シナリオは面白いけど、あまりタイム・パラドックスをまともに扱った作品ではないので、
SFファンからすると、どこか収まりが良くないと感じるかもしれませんが、そこは許してあげて欲しい(笑)。
元々、ウディ・アレンはSF的要素を“つまみ食い”するのは好きなはずですが、チョット本作はシックリ来ない。

それから、ストーリー面では映画のクライマックスのあり方が、どこか自然に受け入れられなかったなぁ。
映画の本編がオーウェン・ウィルソンとレイチェル・マクアダムスとの共演なので、2人の恋愛を描くのかと思いきや、
婚約関係にありながらも、どこかすれ違い...いや、何故にお互いが惹かれ合ったのか、よく分からない関係だ。

とは言え、この映画で描かれたラストのあり方は、あまりにイージー過ぎる気がしてならない。

ウディ・アレンらしい軽妙なタッチで終わるが、唐突なエンディングにどうもシックリ来ない。
こういう終わり方ならば、個人的にはマリオン・コティヤールをもっと観たかったというのが本音だ。

勿論、レヴェルの高い映画である。ウディ・アレンらしさも無くは無い。
でも、映画には何か一つでもいいのだが、光り輝くモノ・コトが僕には見つけられなかった。
それは僕にはどうしても、主人公カップルが映画の主軸に置くキャラクターとして、魅力を感じていなかったからだろう。

主人公の脚本家も頼りないチョット変わった男だけど、
やたらと博学をひけらかして、観光ガイドにも嫌な顔をさせる髭面男が、やたらとモテるというのも妙。
しかも何でもかんでも、いろんなことを知っているがゆえ、近くにいると面倒な奴じゃないか(笑)。

(上映時間94分)

私の採点★★★★★☆☆☆☆☆〜5点

監督 ウディ・アレン
製作 レッティ・アロンソン
   スティーブン・テネンバウム
   ジャウマ・ロウレス
脚本 ウディ・アレン
撮影 ダリウス・コンジ
編集 アリサ・レプセルター
出演 オーウェン・ウィルソン
   レイチェル・マクアダムス
   マイケル・シーン
   マリオン・コティヤール
   カーラ・ブルーニ
   エイドリアン・ブロディ
   ニナ・アリアンダ
   キャシー・ベイツ
   ミミ・ケネディ
   カート・フラー
   アリソン・ピル
   トム・ヒドルストン
   コリー・ストール
   レア・セドゥ

2011年度アカデミー作品賞 ノミネート
2011年度アカデミー監督賞(ウディ・アレン) ノミネート
2011年度アカデミーオリジナル脚本賞(ウディ・アレン) 受賞
2011年度アカデミー美術賞 ノミネート
2011年度全米脚本家組合賞オリジナル脚本賞(ウディ・アレン) 受賞
2011年度サンディエゴ映画批評家協会賞脚本賞(ウディ・アレン) 受賞
2011年度サウス・イースタン映画批評家協会賞脚本賞(ウディ・アレン) 受賞
2011年度オースティン映画批評家協会賞脚本賞(ウディ・アレン) 受賞
2011年度ジョージア映画批評家協会賞脚本賞(ウディ・アレン) 受賞
2011年度ゴールデン・グローブ賞脚本賞(ウディ・アレン) 受賞
2011年度インディペンデント・スピリット賞助演男優賞(コリー・ストール) ノミネート
2011年度インディペンデント・スピリット賞撮影賞(ダリウス・コンジ) ノミネート