メリンダとメリンダ(2004年アメリカ)

Melinda And Melinda

これは少々ズルい映画ですが、実に面白かった。
やっぱりウディ・アレンって、スゴいと思う。こういうシナリオを書いて、こういう映画を撮らせると、ホントに上手い。

いや、何が本作のズルいところかって言うと、この映画で描かれていることって、
劇中劇というわけで、あくまで架空の物語を語り合うという前提で成り立っているので、
劇中劇については整合しなくとも、破綻していても、極端な話しは映画の大勢に影響を及ぼさないんですね。

だから、こんなストーリーはありえないとか、2人の心の揺れ動きに説得力がないとか、
そんな批判めいたことは、本作の感想として成り立たないことを存分にできるシナリオを書いているわけですね。
本作はあまりヒットしなかったし、評価も高くはなかったようですが、僕は本作はウディ・アレンの真骨頂だと思います。

映画は、レストランで悲劇を得意とする脚本家と、喜劇を得意とする脚本家が
架空のヒロイン、メリンダをモデルにお互いが頭の中で創作を展開する会話からスタートします。

悲劇のメリンダは、精神状態不安定でかつての友人の家に転がり込んできて、
自分はバイトの面接を受けに行くも、なかなか上手くいかず、パーティーで出会った黒人ピアニストに惹かれ、
恋人関係となるものの、思わぬところに“落とし穴”が待っていた・・・という、メリンダに訪れる悲劇を描いている。

一方で喜劇のメリンダは、同じアパートに暮らす売れない俳優と映画業界で働く女性の夫婦と仲良くなり、
それがキッカケで一人寂しく生きるメリンダを見かねて、夫婦の妻がメリンダにデートを企画するものの、
この夫婦の亭主である売れない俳優が、実はメリンダに恋してしまうという姿を、コミカルに描いたというもの。

不思議なことに、本作の中ではこの2人のメリンダに関する明暗を分けた物語が
同時進行的にお互いに劇中劇として、交互に描かれている。これは編集も実に巧みに考えられた作品で、
ウディ・アレンの細かなところまで気を配った脚本をしっかりと表現するために、十分な仕事をした編集である。

正直、喜劇のメリンダは売れない俳優を演じたウィル・フェレルの芝居が少々クドい感じで、
ドタバタ・コメディには合っているが、ウディ・アレンが描く世界観にしっかりハマり切っていない印象がある。
この辺はもう少しどうにかして欲しかったというのが僕の本音ではあるのですが、それでも魅力的な映画なんです。
メリンダを演じたラダ・ミッチェルも、どこか不思議な魅力を持った女優さんであり、特に喜劇の方の彼女は良いです。

喜劇のメリンダを描いたエピソードについても、あまり暗くなり過ぎずに、丁度良い塩梅ではある。
メリンダが頼って身を寄せる、かつての友人役としてクロエ・セヴィニーもあまり目立ち過ぎないのが丁度良い。
そう、この映画のウディ・アレンは実にほど良く演出できており、映画全体のバランスをとても上手く維持している。
正直、ここまでバランス感覚に優れた映画を撮れたというのも、ウディ・アレンも久しぶりだったのではないだろうか。

また、悲劇と喜劇を交互に切り替えていくのですが、その切り替えのタイミングも絶妙だ。
あんまりに頻繁に切り替えると映画が混乱するだけだし、片方の物語が長くなり過ぎると、もう一方を忘れてしまう。

そんなところを絶妙なタイミングで切り替えて、しかも違和感なく映画を進めていくので、
やっぱりウディ・アレンにはいつまでも、こういう軽妙な映画を撮り続けてもらいたいなぁと思うのです。
シリアスな映画も撮れるし、ストイックな映画も撮れるというのは分かるのですが、やはり彼はコメディが上手い。
ハリウッド広しと言えど、こういう映画をサクッと撮れてしまうのは、やはりウディ・アレンが積み上げてきた力量でしょう。

本作を通してウディ・アレンが描きたかったことって、その真意は分からないけど、
僕には一つのストーリーがあっても、解釈の仕方によっては全く別な結末に行き着くという多様性と思える。
極めて単純な主張ではありますが、ひょっとするとウディ・アレンもこのメリンダの物語を考えついたはいいけど、
普通通りに映画を撮ったでは面白くないので、考えついた2つの不完全な物語を無理矢理くっつけたということかも。
そこに深い人間模様などないし、男女の恋愛を巡る深遠なるテーマがあるわけでもなく、ただ並べただけなのかも。

例えそうであっても、僕はこの映画のウディ・アレンの発想は成功だったと思います。
それはある種の作戦勝ちで、レストランで楽しそうに悲劇がいいか、喜劇がいいかと話している姿を
映画の冒頭で見せてしまって、「これは映画を進めながら、話しを作り上げていくのですよ」と前提しているのが賢い。

ただ、メリンダの心の揺れ動きが分かりにくいのは、この映画のネックかもしれない。
特に喜劇のメリンダは、競馬場でウィル・フェレルを勘違いさせるスキンシップと、性に奔放な発言ぶりだし、
突然、紹介した女性と消えたウィル・フェレルのことが気になって、部屋の音を盗み聞きするという行動も
恋人がいたメリンダがとる行動としては、なんだか説得力が無い。悲劇のメリンダにも似たようなところがあります。

この辺はウディ・アレンなりに工夫して欲しいところでしたが、
これも含めて、ウディ・アレンに言わせれば「あくまで創作の世界だから・・・」ということなのかもしれません。
結局、メリンダというヒロインを軸にしながらも、映画の視点はレストランで語り合う脚本家たちの視点ですからね。
メリンダは彼らの創作の登場人物の一人にしかすぎず、あくまで劇中劇の人物というだけなのでしょうね。

こういうところがウディ・アレンのズル賢さというか、頭の良いところだと思う。
そもそも他人の批判などを気にするタイプではないかもしれないが、こういう軽妙な映画こそウディ・アレンの得意分野。
個人的にはウディ・アレンにはいつまでも、こういう軽妙なタイプのコメディ映画を撮って欲しいと思っています。
(もう若手監督ではないので、いろいろなジャンルの挑戦する必要もないかと・・・)

まぁ、本作は悲劇と喜劇を交互に描いていくのですが、
出来上がった本作自体は結局はコメディかなと思う。それくらい、喜劇のインパクトは強いのかもしれない。
そういう意味では、脚本家たちが議論することも、ウディ・アレン自身は“喜劇派”なのかもしれませんね。

よく言われているようですが、97年の『スライディング・ドア』を思い出させる構成ではある。
ですので、どこか既視感がある映画であることは否定しませんが、本作はあくまで創作であることが前提で進みます。
その点、本作にはSF的な要素や運命の分かれ道を描いたというところはなくて、まるでコントを観ているかのよう。

まぁ・・・コントにしては、悲劇のメリンダはあまりに身の回りに問題を抱え過ぎていて、
尚且つ人生の修羅場の連続のように、彼女にとっては過酷なシチュエーションが続くので、少々深刻になり過ぎたかも。

00年代のウディ・アレンはこういう、規模の小さなコメディ映画を続けて撮っていたのですが、
『それでも恋するバルセロナ』がヒットしてから、ウディ・アレンの傾向がまた変わってしまったように感じています。
個人的には、本作は勿論のこと、『おいしい生活』や『タロットカード殺人事件』あたりは面白かったんだけど。
70歳を過ぎても尚、精力的に創作活動を続けて、相変わらずハリウッドでも独特な立ち位置で仕事しています。

僕は正直言って、映画を趣味として観始めた頃はウディ・アレンの映画が苦手だった。
ただ、なんか何本か観るにつれて、少々クセの強い味わいも分かるようになって(?)、楽しめるようになってきた。

喜劇と悲劇、どちらが好みかは意見が分かれるところでしょう。
ただ、確かに悲劇のエピソードのメリンダが突如、家に居候を始めたら困っちゃうかもしれません。
どこか“そういう”オーラを発しているように見え、妻の友人ということでもトラブルメーカーのような感じに見えちゃう。

そんなメリンダに起こる悲劇なわけですから、そりゃ深刻なムードになりますよね。
そんな喜劇も悲劇も両方のメリンダを演じたラダ・ミッチェル、もっと注目されていい女優さんだと思いますがね。
当時もウディ・アレンの目に留まったからこそ抜擢されたのでしょうが、どこか親しみやすい雰囲気のある女優さんだ。

そういう意味では、本作自体がもう少し日本でも注目を浴びても良かったのですが、
いかんせん映画の中身も、キャスティングも地味過ぎたのか、少々僕の中では過小評価に感じる一作なんです。

(上映時間98分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 ウディ・アレン
製作 レッティ・アロンソン
脚本 ウディ・アレン
撮影 ヴィルモス・ジグモンド
編集 アリサ・レプセルター
出演 ラダ・ミッチェル
   クロエ・セヴィニー
   ジョニー・リー・ミラー
   ウィル・フェレル
   キウェテル・イジョフォー
   アマンダ・ピート
   ウォーレス・ショーン
   シャロム・ハーロウ
   ジョシュ・ブローリン
   スティーブ・カレル