マイ・ルーム(1996年アメリカ)

Marvin's Room

ロバート・デ・ニーロが心血注いでいる、トライベッカ・フィルムが注目されてきた頃の作品で、
とても重たいテーマを豪華キャストで映画化したのですが、思いのほか、地味な作品だと思う。

もっとも、映画の出来自体は及第点を超える出来と言ってもよく、
勿論、実力派俳優に囲まれるといった恵まれた環境ということもあるが、
映画の最後では、なかなか胸に響くものがある内容で、秀作と言っていいレヴェルだと思う。

監督のジェリー・ザックスは現時点では、本作だけが唯一の監督作品なのですが、
とてもそうとは思えないぐらい、各シーンで落ち着いた演出を心がけており、統一感がある。
(どうやらジェリー・ザックスは舞台劇出身で、本作で監督デビューだったらしい)

これは結論を出さないタイプの映画で、観る人の感性によっては、こういう映画は理解できないかもしれません。
僕は本作、いくらでも大袈裟な映画にしようと思えばできたと思うのですが、敢えて曖昧さを利用しています。
この映画の場合は、その曖昧さの利用が作り手の中で意図されたものであり、評価されるべきものだと思います。

但し、原題になっているマーヴィンとは、
映画の中心人物である姉妹の父親で、確かに姉妹をつなぐポイントとして登場するし、
マーヴィンの部屋でのエピソードも描かれるのですが、タイトルになるほどかと言うと、それは微妙だなぁ。
個人的には、もう少し映画の中での位置づけを重たくさせても良かったと思うし、それができないのであれば、
映画の原題を見直して、もっと意味のあるタイトルにすべきだったとは思いますけどね。

おそらく本作はデ・ニーロも、93年の『ボーイズ・ライフ』で共演していた、
レオナルド・ディカプリオの役者としての魅力に注目しており、そんな彼との共演、
そして彼にスポットライトを当てたいがために、本作の企画及びキャスティングをしたのではないかと思うのですが、
確かに本作を観て、レオナルド・ディカプリオの存在感の強さには驚かされるかもしれません。

そして、劇場公開当時、高く評価されたようですが、
白血病に侵される姉を演じたダイアン・キートンが名演と言っていいぐらいの芝居だ。

容姿からしても、病魔に侵され、痩せ細っていく姿も克明に表現できているし、
名女優メリル・ストリープを妹役に据えても、彼女に負けない存在感をベテランとしての意地を見せる好演。
ひょっとしたら、この映画で初めて、僕はダイアン・キートンの上手さに気づかされたのかもしれません。

やはり彼女が全面的に映るシーンが素晴らしく、
何故か精神的に通い合うところがあったかのように、“施設”から外泊を許可された、
妹の荒くれ息子ハンクが運転する車で、海岸線をドライヴするシーンが何度観ても良い。
やはり、こういうシーンが一つでもある映画は強いなぁと、あらためて実感させられる素晴らしいシーンだ。

それだけでなく、病魔に侵され、介護する父マーヴィンのベッドに座り、
鏡の反射を利用して、“光のアート”を表現するシーンにしても、台詞以上に訴求するものが多い。
元々は舞台劇の脚本だったらしいのですが、デ・ニーロもこういう力強さに惹かれていたのでしょうね。

そういう意味では、映画のクライマックスで敢えて曖昧さを利用した意図は分かるかなぁ。

ややもすると、単純に統一感がない映画となってしまうのですが、
一連の訴求する部分がある映画なだけに、映画のクライマックスにクドさを残さないことで、
映画全体のバランスをとろうとする、意図はあったのかもしれません。僕はこれは悪くない選択だと思います。

脚本を執筆したスコット・マクファーソンは舞台劇用にシナリオを書いたのですが、
本作の映画化が決定してからの95年、残念ながら本作の完成を待たずにエイズで他界したらしいです。

おそらくロバート・デ・ニーロも、そんな裏話があるからこそ、
本作に対する思い入れは強かったのではないだろうかと思えるし、90年代に入ってから、
やたらと数多くの映画に出演する印象が強いデ・ニーロでありながら、プロデュースしたり、
自らがメガホンを取る映画って、凄く丁寧に撮っている感覚がある作品になっていることを考えると、
90年代に入って、「仕事を選ばない」と揶揄されるほど数多くの作品に出演した理由って、
ひょっとしたらトライベッカ・フィルムに私財を投じるために、俳優業で敢えて金儲けをしていたのかもしれませんね。

しかし、そんな本作で自分が前に出るわけではなく、
ほぼ脇役に近いキャラクターとして登場し、ほぼメイン・ストーリーには絡まない。
たまに人間の狂気を表現するデ・ニーロなので、本作でも油断も隙もあったもんじゃありません(笑)。
実に人間的なキャラクターで、臨床医療の現場は得手でないのか、注射一本でも一苦労(笑)。
従来のデ・ニーロのイメージからは、大きくかけ離れた人間臭さを表現しています。

難病をテーマに扱った映画ではありますが、
これは見方を変えると、“老老介護”にかなり早い段階でスポットライトを当てた作品と言っていいかもしれません。
特に現代の日本に於いては、とても切実な問題であり、半分、社会問題化しているだけに、鋭い観点ですね。

本作で描かれたことって、介護される側が高齢なのは勿論のこと、
介護する側になる母が高齢で、同じく同居して介護する姉も高齢にさしかかり、病に倒れる。
映画でも、それとなく“老老介護”になってしまうことの盲点を問題提起しているようで、
本作で描かれたような現実が、既に今の日本では当たり前のように数多く発生している事例である。

病気の患者を介護する人が、病いに倒れたら・・・というのが、一つのテーマなんですね。
こういう映画を観ると、親の面倒を誰が看るのか?ということも、万国共通のテーマであることに気づかされますが、
一見するとサラッと描いた映画のように見えて、実に複雑なテーマを内包した作品だとは思いますね。

デ・ニーロは生まれ育ったニューヨークのトライベッカ地区に深い愛着を持っていて、
「9・11」のときも敢えてトライベッカ国際映画祭を主催したり、地元に貢献したいとする想いが強いようだ。

ある意味で、本作もそんなデ・ニーロの想いが詰まった作品なのですが、
それだけでなく、前述したダイアン・キートンの名演技が引き出せたことも、大きな収穫だったと思う。
できることなら、本作での彼女の演技はもっと評価されるべきだったとも思っているぐらいです。

そして、レオナルド・ディカプリオは世界的な大ヒットとなった、
『タイタニック』に出演する前年の作品なのですが、そんなブレイクを予感させる光る存在感だ。

今となっては、あまり語られることではないのですが、
ディカプリオが02年のマーチン・スコセッシの監督作品『ギャング・オブ・ニューヨーク』に出演したのも、
おそらくデ・ニーロの手引きもあったのだろうし、彼の成功はデ・ニーロも嬉しかったことでしょう。

そう思ってみると、本作って凄〜く贅沢な企画だった気がしてきました(笑)。

(上映時間98分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 ジェリー・ザックス
製作 スコット・ルーディン
    ジェーン・ローゼンタール
    ロバート・デ・ニーロ
脚本 スコット・マクファーソン
撮影 ピョートル・ソボチンスキー
編集 ジム・クラーク
音楽 レイチェル・ポートマン
出演 メリル・ストリープ
    ダイアン・キートン
    レオナルド・ディカプリオ
    ロバート・デ・ニーロ
    ヒューム・クローニン
    グウェン・ヴァードン
    ハル・スカーディノ
    ダン・ヘダヤ