マラソン マン(1976年アメリカ)

Marathon Man

これは、おそらく映画史上、最高に“痛い”映画ではないだろうか。

別に恥ずかしいという意味で、“痛い”と言っているわけではなく、
感覚的にホントに“痛さ”がダイレクトに伝わってくるという、スゴい映画だと思います。
直接的な描写は勿論のこと、間接的な描写も秀逸そのもので、映画全体として一貫している。

監督のジョン・シュレシンジャーも、終始、不気味な雰囲気を画面いっぱいに充満させており、
少々、雑な部分もあるにはあるのですが、何度観ても十分に楽しめる魅力いっぱい作品だ。

本作特有の“痛み”を伴う描写は、映画の冒頭から全開の内容です。
主人公ベーブの兄ドクがパリのホテルの一室で悪党に襲われるシーンに始まりますが、
これが半裸のドクがいきなり襲われるわけで、ピアノ線のようなもので締め付けられ、血が吹き出てきます。
(よくよく観ると、ドクを演じるロイ・シャイダーが微妙に襲われるところで、早く反応しているのはご愛嬌)

そしてニューヨークに渡ってきたナチの残党ゼルと無機質なオブジェの前で対面するシーンで、
激昂したゼルに襲撃されるのですが、これは直接的な映像表現というよりはロイ・シャイダーの叫びが印象的だ。

そして、この映画最大のハイライトは劇場公開当時、大きな話題となった、
“白い天使”と呼ばれ恐れられたゼルを演じるローレンス・オリビエが、ベーブ演じるダスティン・ホフマンを
拷問するシーンで、健康で問題のない歯を無理矢理抜こうとするシーンの緊迫感が最高潮にスゴい。
これは間違いなく、映画史に残るシーンでしょう。数多く拷問を描いた映画はありましたが、このインパクトはデカい。

映画の終盤にもベーブが誘導されるように転がり込んだ、
郊外の小さな一軒家に、ゼルの部下がベーブを追ってやって来るシーンで、
当初はベーブの味方を装っていたジェインウェーを演じたウィリアム・ディベインらとベーブの対決になり、
結果として軽い銃撃戦になるわけですが、ここでも撃たれるシーンは感覚的に“痛い”映像表現になっている。

有名な話しではありますが、ゼルを演じたローレンス・オリビエは
撮影当時、癌が発見されていたらしく、本作出演にあたって彼自身が保険に加入することができず、
映画製作に於いて、大きな支障になったらしい。ローレンス・オリビエは何とか癌を克服したようで、
この後も12年間に渡って映画俳優として活躍し続けたので、本作への出演は大きな“賭け”だったのかもしれません。

そして本作でウルグアイで隠居していたナチの残党を演じたにも関わらず、
本作の直後に出演した『ブラジルから来た少年』では、一転してナチの残党を追い詰める、
ナチス・ハンターを演じるという、まるで正反対な役柄を器用に演じ分けたのですから、さすがは名優です。

やはり、この頃までのジョン・シュレシンジャーは才気溢れる映像作家だったことが、よく分かります。
別に80年代以降がまるでダメだったと言う気はありませんが、比較すると、どうも・・・ねぇ。。。

彼の手にかかれば、世界No. 1の大都市であるニューヨークであっても、
洗練された大都市というよりも、不気味かつ陰鬱な表情を強調して描かれており、
かの有名なセントラル・パークをジョギングで走るなんて、とってもリッチなステータスのように感じられるけど、
ベーブが「遅いよ」と嫌味を言われたことから、そのランナーを執拗に追っていく得体の知れない緊張感があり、
オマケに犬をリードなしで走らせる人がいて、その犬に追いかけられるという恐怖が追い討ちをかけます。

それから、映画の序盤で描かれるゼルの兄がニューヨークのユダヤ人街の路地で
車が故障して、後ろから血の気の多いユダヤ人の爺さんから煽られ、挙句に追突される狂気も印象的だ。
あれは現代で言う“煽り運転”そのもので、ある意味で40年も前から“煽り運転”を描いていたことに驚く。
と言うか、やっぱり“煽り運転”って、今になって急増したというよりも、実は昔からあったことであって、
情報通信手段の多様化、社会性の変容に伴って、“煽り運転”を摘発する流れが強くなったのでしょうね。

ユニークだなぁと感じたのは、“白い天使”と恐れられたゼルが凶器を携えて、
「怖いものなし」のように振る舞ってニューヨークに出て来たというのに、常に彼なりに恐怖に脅えていて、
普通にしていれば全く気にならないはずの他人の視線が気になり、自分の正体がバレて、
恨みをかったユダヤ人たちから復讐されるのではないかと、常に冷や冷やしながら行動するというのが面白い。

結局、一人になってしまうと、大人数の目線が怖いという小心者の発想だったわけですが、
そんな彼が危険をおかしてでも、わざわざニューヨークまで出て来たのは、貸金庫にあるダイヤを受け取ること。

映画の終盤で描かれていますが、ダイヤの価値を確認して、
貸金庫内に大量のダイヤがあったことを見て、不気味な笑みを浮かべながらダイヤを机に並べる姿は
老眼鏡のおかげもあって、欲にかられたゼルの気味の悪さが全開のシーンで、ゼルと突然人間臭くなる。

まぁ・・・撮影当時、40歳になろうとしていたダスティン・ホフマンが
堂々と大学院生を演じていたり、どうなんだろう・・・と思うところもあるにはあるのですが、
この辺は寛容的に観てあげないと、正直、この映画は苦しいです。少々、年をとった学生ということですかね。

個人的には、ベーブの兄で実業家と自称するドクを演じるロイ・シャイダーが、
随分と早い段階で映画から退場してしまうというのが、なんとも残念ですね。シナリオの問題もあったのでしょうが、
もう少しメイン・ストーリーにしっかり絡めて、もう少し見せ場を与えて欲しかったですね。これでは物足りない。

どのみち、原作者であるウィリアム・ゴールドマンが自ら脚色しているのですから、
もっと大胆に脚色しても良かったのではないかと思いますね。終盤の展開なども、どこか性急に見えてしまいます。

賛否が分かれるところかとは思いますが、本作は良くも悪くもローレンス・オリビエの映画です。
当時、若手演技派俳優の代表格であったはずのダスティン・ホフマンも、どこか霞んでしまうくらいの存在感。
でも、これがジョン・シュレシンジャーの気の利かないところというか、やはり最終的には主人公のベーブを
印象として残さなければいけなかったと思うのですが、彼の父に関わる秘密なんかもどこか中途半端で
これなら最後の最後まで、何も明かさず、映画の序盤にあった得体の知れない不気味さを強調し続けて、
全体として強い一貫性を持たせた方が良かったのではないかと思います。結果、ゼルが印象に残ってしまいました。

まぁ、それでも本作はその“痛み”を伴うインパクトを持つ映画として、
僕の中では映画史に残る作品として記憶されています。今観ても、あまり古びていません。
何度観ても、歯の拷問シーンはインパクト絶大だし、その後に命からがら寒空のニューヨークを
歯が痛いまま走るベーブの姿は、救いたくても救われることのない状況の厳しさに追い討ちをかける救いの無さだ。

音楽も相まって、スリラーとしての演出のセオリーはキチッと守られており、
クライマックスの呆気なさも、この時代のアメリカン・ニューシネマ後遺症のようなスタンスで、僕は好きだ。

惜しむらくは、やはり丁寧な映画を撮り切れないジョン・シュレシンジャーだったのか、
本作以降は低迷してしまったことで、大きな企画が回ってこなくなってしまったのが、とても残念なことだ。
やはり、69年の『真夜中のカーボーイ』が偉大過ぎる作品になったことが大きいのかな。。。

(上映時間125分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 ジョン・シュレシンジャー
製作 ロバート・エバンス
   シドニー・ベッカーマン
原作 ウィリアム・ゴールドマン
脚本 ウィリアム・ゴールドマン
撮影 コンラッド・L・ホール
音楽 マイケル・スモール
出演 ダスティン・ホフマン
   ローレンス・オリビエ
   ロイ・シャイダー
   ウィリアム・ディベイン
   マルト・ケラー
   フリッツ・ウィーバー

1976年度アカデミー助演男優賞(ローレンス・オリビエ) ノミネート
1976年度ゴールデン・グローブ賞助演男優賞(ローレンス・オリビエ) 受賞