ダーティハリー2(1973年アメリカ)

Magnum Force

71年に製作され世界的なヒットとなった『ダーティハリー』の続編。

監督は前作の名匠ドン・シーゲルから、主演のイーストウッドの盟友テッド・ポストに交代し、
今回は警察組織の内部の腐敗というか、法廷で刑が確定する前に悪党を勝手に処刑していくという
暴挙に出た警察内部の犯行を突き止め、ハリー・キャラハンが追っていく姿を描いています。

脚本が、後に映画監督して成功するジョン・ミリアスとマイケル・チミノという豪華な布陣で、
おそらく本作でのイースウッドとの出会いがキッカケで、74年の『サンダーボルト』で監督デビューを果たしたのでしょう。

意外にファンの多い、この第2作なのですが...
個人的にはどうもノレないというか、どうも好きになれない映画で終わってしまいました。

『ブリット』を想起させるような、サンフランシスコの市街地でのチェイス・シーン、
圧倒的なまでにカッコイイ立ち振る舞いのハリー演じるイーストウッド、前作の良さも踏襲していて申し分ない。
しかし、どこか映画全体で考えたときに、歯車が噛み合っていない印象を受けてしまう。
それは、この手の映画に必要不可欠と言ってもいいぐらいの、“これといった”インパクトあるシーンがないのです。

個人的には名作と言われる前作にしたって、
ハリーがクライマックスで、正義の限界を悟ったかのようにバッジを投げるシーンがどうも気になってしまい、
今でも大傑作とまでは思ってないけど、それでも“サソリ座の男”に走らされるシーンなんかは面白かった。

それだけでなく、アンディ・ロビンソン演じる“サソリ座の男”の狂気的とまで言える役作りが、
映画に異様なまでの緊張感と、当時の映画としては大きなインパクトと衝撃性を与えたと思っています。

しかし、本作にはそういったインパクトがない。前作があまりに大きな存在であり過ぎたのかもしれません。
やはりこういう映画のシリーズ化の難しさを感じずにはいられません。本作のテッド・ポストも難しい仕事だったでしょう。

ストーリー的には一筋縄にはいかない面白さは確かにあって、
ストレスを溜め込んだように興奮してハリーに不満をブチまける同僚警官チャーリーの存在が利いていて、
映画の中盤まではチャーリーの存在を上手く利用できているし、ハリーも疑念を抱かずにはいられない。
銃に対するこだわりあるハリーが、弾丸からヒントを見い出そうとする姿にも、それなりに説得力はある。

しかし、個人的には本作ではハリーが振り回されるシーンが無くって、
常に主導的というか、優位な立ち位置で捜査にあたっているのが、どこか違和感があった。
もっとハリーが苦労して、場合によっては痛めつけられながらも、犯人を打ちのめす方が面白いのに。

警察組織内部の腐敗を描いているせいか、ハリーが犯人に痛めつけられるというより、
上司をどう説得していくか、どう自分の主張を通すかという、処世術にも似た要素が感じられ、
第1作よりもハリーが“オレ流”を貫く姿が弱くなったようで、第1作の性格からは少しずつ変わっているように感じる。

それにしても、この映画の脚本はジョン・ミリアスとマイケル・チミノが書いていますが、
タカ派なジョン・ミリアスの性格が反映されているのかもしれませんが、酷い女性蔑視の描写があってビックリした。

劇中、ハリーが住むアパートの玄関で出会った、同じアパートの住人である、
アジア系の女性の扱いが酷くって、初対面でいきなりハリーが「あなたと寝たいときは何って言ったらいい?」と
ハリーに真面目な顔して問いかけてくる。70年代という時代性を考慮しても、酷く時代錯誤で女性蔑視な
ニュアンスを感じるのですが、残念ながら、これはこれでイーストウッドらしいと言わざるをえない。。。

いくらハリーがイケメンであるからと言って、いきなりこんなことを言われるなんてありえないが、
声をかけられたイーストウッドはデレデレして、この女性の誘いに乗ってしまうから、“脇が甘い”。
なんか...こういう描写にイーストウッドの潜在的な願望があるような気がして、気になって仕方がない(笑)。
(そういう意味では、ジョン・ミリアスの価値観というわけではないのかもしれません)

オマケにチャーリーの別れた妻の家に、何故かハリーが夕飯をごちそうになりに行って、
子供たちをさしおいて、「そういえばハリー...あなた、一度も私を誘ったことがないわね...」と
やはり甘い声で誘惑されるハリーも描かれる。順番としては、こっちが先なのですが、
さすがにここまでイーストウッドの美学が炸裂すると、何故か観ているこっちが恥ずかしくなってくるレヴェルだ。

確かに当時のイーストウッドは、とても甘いマスクのいい男だが、
ここまでモテまくる理由がサッパリ分からないし、男の自分が言うのもナンだが、「そこまでいい男か?」って感じ。

個人的には、この第2作は何故だか分からないぐらいハリーが、
かなり直接的な表現で、夜のお誘いを受けるシーンを恥ずかしげもなく立て続けに描くあたりに、
強い違和感があって、こればっかりが気になって仕方がなく、本作に対する印象が良くならなかったですねぇ。
せっかくのラロ・シフリンのカッコいい、ミュージック・スコアもこれで台無しですよ・・・(涙)。

ハリーがあまりにモテモテなのは、前作の時点でそうでしたが、
本シリーズの特徴としてハリーが女性にやたらとモテる理由が、明白にはならないことで、
まるで単にイーストウッドのルックスの良さだけでそうなっているかのようで、今の時代ではありえないだろう。

ここまでくると、完全にイーストウッドの個人的な嗜好も入っていると思える。

とは言え、そんなイーストウッドの介入があったにしろ無いにしろ、
結果的に本シリーズはイーストウッドに“脱・西部劇スター”をさせた、彼の代名詞とも言えるシリーズになり、
合計で5作目まで製作される長寿シリーズになったこともあり、そのキッカケとなったのは、この第2作の成功だろう。

ただ、個人的には映画の出来自体も、そこまで良いとは思っていません。
やはり第1作とは別物の感覚があって、スピンオフ的な感覚で観た方がいいような気がします。
そう思って観ると、イーストウッドが微妙に新たなハリーのシルエットを作ろうと模索しているかのようで、
どことなく試行錯誤があった映画にも見えてきます。痛めつけられながらも、タフに犯人を追い詰め、
マグナム44で悪を仕留めるだけがハリーではなく、新たな感覚で観れる刑事映画と言ってもいいでしょう。

そういう意味では、イーストウッドの中ではハリーというキャラクターのマンネリ化を危惧していたのかもしれません。
こういう意識が前作と違った印象を与え、第1作を超えるヒットとなったという結果の要因であると言えるのでしょう。

(上映時間123分)

私の採点★★★★★☆☆☆☆☆〜5点

監督 テッド・ポスト
製作 ロバート・デイリー
原案 ジョン・ミリアス
脚本 ジョン・ミリアス
   マイケル・チミノ
撮影 フランク・スタンリー
音楽 ラロ・シフリン
出演 クリント・イーストウッド
   ハル・ホルブルック
   フェルトン・ペリー
   ミッチェル・ライアン
   デビッド・ソウル
   ティム・マシソン
   ロバート・ユーリック
   ジョン・ミッチャム