刑事マディガン(1967年アメリカ)

Madigan

名匠ドン・シーゲルが『ダーティハリー』以前に、その布石的作品として手掛けた刑事映画。

おそらく、撮影当時はかなり新しいスタイルの刑事映画だったのでしょうが、
映画の出来としては正直、『ダーティハリー』には遠く及ばない感じで、
どこかTVドラマの延長線というと失礼かと思いますが...まだ、発展途上だった気がしますね。

本作の後に、イーストウッドと『マンハッタン無宿』を製作していますが、
本作と比べると、『マンハッタン無宿』の方がずっと面白く、良い出来の作品だと言えます。

とは言え、この作品があったからこそ、ドン・シーゲルが刑事映画を
一つのフォーマットとして創作活動するキッカケとなったわけで、イーストウッドという強力な
ブレーンを得たおかげで、更にブラッシュ・アップされた映画として、彼の代表作の一つとなったわけです。

ここまで骨太でハードボイルドな刑事映画というのも、
60年代には数少なかったかと思いますが、スパニッシュ・ハーレムという治安の悪い地帯での
物語と言うこともあってか、劇中、描かれる市街地の空気はどこか怪しく、不穏な雰囲気だ。
こういう描写を真正面から堂々とでき始めていたのも、新しいムーブメントの予兆を感じさせます。
少なくとも、こういった描写は50年代ではかなり創作されたか、避けられていた側面がありますから。

そんな治安の悪い地帯でのアクションに、ベテラン俳優リチャード・ウィドマークが、
普段は悪役の配役が多かったところ、不意の失態から凶悪犯に銃を奪われた刑事の執念を体現していて、
その上司がハリウッドを代表する好漢ヘンリー・フォンダというのも、また実に興味深いキャスティングだ。

本作のリチャード・ウィドマークも、撮影当時50歳を超えていたのですが、
ビルの屋上まで駆け上がって逃走犯を追い、移れると見たら、隣のビルの屋上へ飛び移る。

老体に鞭を打つと言うと、言い過ぎかもしれませんが、
銃を奪われ、それを殺人の道具として使われてしまう失態を取り返すべく、
刑事バッジと自らの私生活を犠牲にしてまでも、逃走犯を追うことに執念を燃やし、
肉体的・精神的にも疲弊していく姿を熱演していて、彼にとっては大きな代表作であったのだろうと思います。

そんな実感があってか、彼は本作出演後にTVシリーズ化された、
本作にも出演しており、やはり彼のフィルモグラフィーの中でも代名詞的作品であったのでしょう。

ただ、この映画はまだドン・シーゲルが発展途上だったせいか、
どうもマディガンの執念を描くにあたって、彼の上司のラッセル本部長の私生活のゴタゴタや
業務上の苦悩もゴチャ混ぜにして描くので、今一つ映画のフォーカスすべき焦点が定まらない。

映画を最後まで観ていて、作り手は一体何を第一に描きたいのか...
おそらくマディガンの執念にスポットライトを当てたかったのでしょうが、余計なエピソードに時間を割き過ぎて、
完全に焦点ボケを起こしたかのような結果になってしまい、観ていてサッパリよく分からない映画になっている。
故に、クライマックスでは本来、無情感漂う余韻が残るべきだと思うのですが、そんな感覚が皆無。

『ダーティハリー』を撮った頃のドン・シーゲルなら、間違ってもこんな映画にしていないだろうと思え、
後のTVシリーズの邦題が『鬼刑事マディガン』であったくらい、マディガンのキャラクターは硬派で、
常軌を逸したと言っても過言ではないレヴェルの犯人追跡の執念があったであろうマディガンの行動が、
ラッセル本部長のエピソードが挟み込まれるたびに中断するようで、映画の流れが完全に壊されてしまう。

決して、名優ヘンリー・フォンダの存在が邪魔だとは言えないのですが...
この中途半端さでは、何を表現したくてラッセル本部長を“絡ませた”のか、その真意が分からないのです。
これではいくらなんでも、映画の流れをぶった切るだけで、ヘンリー・フォンダも可哀想な扱いだ。

映画の終盤のダンス・パーティー会場で、映画の中では初めてマディガンとラッセル本部長が
同時にフレーム・インするシーンでは、マディガンがかつての上司であるラッセル本部長に
恐縮するかのような態度で、彼と話すシーンがあるので、過去の因縁を含めて表現したかったのでしょう。
でも、そうなのであれば、ラッセル本部長の私生活までも、無理矢理描く必要があったのか疑問ですね。

悪い意味で、この中途半端な描写が結果として、映画を混乱させてしまっただけのように思えてなりません。

マディガンの妻を演じたインガー・スティーブンスは、どこか刹那的で印象に残る。
あまりに簡単にマディガンの同僚と浮気するというのは違和感があったけれども、
おそらくマディガンとの結婚生活に希望を感じていたのだろうけど、仕事一辺倒のマディガンに不満を抱え、
昇進のチャンスもフイにして、週給200ドルの刑事生活に終始し、家にいない日々に嫌気が差す。

マディガンが帰宅すれば嬉しく、彼に話しかけるが、
すぐに仕事の表情を見せ、家庭を顧みないマディガンに感情をぶつけ、ついケンカになってしまう。
何を言っても解決しないが、それでもマディガンを愛する気持ちがあって、それと葛藤する姿が印象的だ。

そんな寂しさもあってか、彼女は警察のダンス・パーティーでマディガンから
ほっぽり出されて、マディガンの同僚と浮気に走ります。マディガンを愛している気持ちを思い出し、
なんとか立ち止まろうとしますが、マディガンはマディガンでバーの歌い手の女性に気を許し、
安眠の場を自宅ではなく、あろうことかこの女性の家に求めるのですから、なんとも言えない(笑)。

別にマディガンが高潔でならなければならないなんて思いたくはありませんが、
それでもマディガン自身と彼の妻のどこかチグハグな関係性も、映画の魅力を損なった原因なのかもしれません。

まぁ・・・とは言え、70年代に『フレンチ・コネクション』、『ダーティハリー』といった、
刑事映画の一大ブームを生んだキッカケを作った作品ということは紛れもない事実で、
ドン・シーゲル自身が本作のスタイルを更に一歩進めて、『ダーティハリー』を撮ったのは間違いありません。
言えば、本作で足りないカー・チェイスという要素を足したものが、68年の『ブリット』でもあるでしょう。

執念を持って、悪党を追い詰める刑事、そんな主人公の一匹狼ぶりを
象徴的に描く映画の“はしり”と言える作品でしょう。そういう意味で、本作はもっと注目されてもいい気がしますが、
映画のスタイルという観点からは、まだ保守的な部分もあって、その先駆性は評価されにくいのでしょうね。

(上映時間100分)

私の採点★★★★★☆☆☆☆☆〜5点

監督 ドン・シーゲル
製作 フランク・P・ローゼンバーグ
原作 リチャード・ドハティ
脚本 ヘンリー・シムーン
   エイブラハム・ポロンスキー
撮影 ラッセル・メティ
編集 ミルトン・シフマン
音楽 ドン・コスタ
出演 リチャード・ウィドマーク
   ヘンリー・フォンダ
   インガー・スティーブンス
   ハリー・ガーディノ
   ジェームズ・ホイットモア
   スーザン・クラーク
   マイケル・ダン
   シェリー・ノース
   ドン・ストラウド