マッドマックス(1979年オーストラリア)

Mad Max

この映画はなんとも凄まじい。ハッキリ言って、僕の中ではこれはトラウマ的映像体験です。

僕は最初にこの映画を観たのは中学生のときでしたが、衝撃的過ぎて震えた(苦笑)。
しかも当時は、あまり近未来を描いたSF映画のようなものと理解できていなかったので、
「オーストラリアって、スゲー怖い国なんだな」と勝手に、オーストラリアは荒廃した土地だとばっかり思ってました(笑)。

後にハリウッドに渡って大スターとなったメル・ギブソンの主演作であり、彼の出世作となりました。
監督のジョージ・ミラーも本作の世界的な大ヒットのおかげで知名度を上げ、ハリウッドで活動するようになるなど、
それくらい当時としても本作のインパクトは絶大なものであり、あまりに強烈な異彩を放つ衝撃作だったのです。

映画は残忍な殺しも、何もかもやりたい邦題になった暴走族の一人である、
通称“ナイトライダー”が若い警官を殺害し、V8エンジンのパトカーを奪って暴走するのを止めようと、
多くの警察官が追跡するものの及ばず、凄腕の若き警察官であるマックスがアッサリと“ナイトライダー”を退治する。

“ナイトライダー”が事故死したことを知った暴走族のリーダーである、トゥーカッターはマックスや彼の家族を
狙うように手下どもに指示をし、マックスが休暇中にチョットした隙を狙って、トゥーカッターらはマックスの妻子を殺す。

とてつもない失意と怒りから、マックスは人間らしさを失い、再び“インターセプター”のハンドルを握り、
トゥーカッターら暴走族の連中に復讐を果たすべく、まるで“仕事人”であるかのように淡々と私刑を執行していく・・・。

劇場公開当時から、「撮影現場で事故死した人がいて、その瞬間が映画の中でも使われた」とか、
「劇中登場する暴走族の連中のほとんどが、実は本物の暴走族だ」とか、真偽不明の噂も映画に付いて回り、
本作に関わるあらゆる噂は絶えなかったようですが、そう噂されたのも、本作は低予算映画であったからだ。

かつて『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』が世界的に大ヒットするまでは、本作が興行収入上の最高収益を
叩き出したことで記録となっていたくらいで、低予算映画であったがゆえの工夫がいろんなところに凝らされている。

よくよく観ると、警察署の描写はえらくチープだし、ほとんどが田舎道での撮影シーンになっている。
新品の車が映るわけでもなく、ほとんどが傷だらけ汚れだらけの車で、あまり莫大な製作費を要した感じではない。
しかし、その低予算具合を悟らせないように撮るよう工夫されており、特に有名なのは何度かある衝突シーンの
激しさを表現するために、眼球のアップをカット割りで挿入したり、よりショッキングに見える演出を加えている。
この辺はジョージ・ミラーのセンスなのでしょう。当時としては確かに斬新な映像表現だったのかもしれませんね。

そういう意味で、本作は低予算映画のお手本のような作品だと思います。
豪華なキャスティングなわけでも、派手な特殊映像効果を施したわけでも、大掛かりなセット撮影があるわけでもない。
それでも当時準備できた環境で、最大限のスリルを演出できるように、あらゆる工夫を凝らして撮っているのがスゴい。

この頑張りがあったからこそ本作が世界的に劇場上映され、興行的に大ヒットするに至り、
主演のメル・ギブソンはハリウッドへ進出するキッカケとなり、続編も3本製作されるほどの人気作となりました。

本作は81年に製作された第2作からは、全く違うベクトルの映画になっていて、
第2作以降はもっとハッキリしたSF映画と化しているので、この第1作とは別物だと思っていた方がいいでしょう。
第2作は熱心なファンがいるのだけれども、僕の中ではやっぱりこの第1作のインパクトを勝ることはない。
それくらいに本作は映画史に残ると言っても過言ではない、実にショッキングな衝撃作であると思っています。

撮影当時のオーストラリアは暴走族の増加と、エスカレートが社会問題化していたようで
そこに着想点を得たジョージ・ミラーが、更に過激に描いたらどうなるか?というテーマで映画化したようだ。

トゥーカッターはじめとして、暴走族の連中が酷く醜悪に描かれているのが、また良いですねぇ(笑)。
謎に海岸沿いでマネキンに2人の男が欲情を抑え切れずに、舐め回すという狂いっぷりが絵的にとても汚い(笑)。
しかも、マックスの奥さんにはいかにもって感じで、いかがわしく近づくし、清潔感の欠片もない汚らしさ。
でも、これくらい徹底して醜悪に描いたのは正解だったと思う。エスカレートすれば、こうなる可能性はある。

人間とは呼べないくらい、理性や知性を全く感じさせない、極めて動物的な本能のみで生きている感じだ。
こんな野蛮な連中だからこそ、彼らが近くにいることに嫌悪感を抱くわけで、カメラに映る彼らはなんとも気持ち悪い。
しかし、これは悪役を描くという観点からは極めて理想的で、まるでお手本のような見せ方だと思います。

スピルバーグが75年の『JAWS/ジョーズ』でとにかく観客を驚かせようとしていたものと、
本作でのジョージ・ミラーの志しは近かったのではないかと思う。直接的な残酷描写は無いにしろ、
物語的には情け容赦ない。映画の終盤で描かれる、妻子が暴走族に轢き殺されるシーンはあまりに惨い。
個人的には子どもがそのような形で描かれることに賛同できないが、それはあくまで個人的な感情論であって、
そういったことも躊躇せずやり遂げるほど、残忍さという点でエスカレートした暴走族という、厳しい姿勢なのだろう。

普通の映画監督であれば、描くことをためらったであろうことを、真正面からアプローチしたことがスゴいと思う。
当時としても、タブーに挑戦した感がある作品です。でも、だからこそ本作の衝撃性が増したのも事実だと思います。

劇場公開当時から、トゥーカッターとババはあまりに真に迫った芝居であったため、
撮影に加わった本物の暴走族との見方もあったようですが、この2人は暴走族ではなく、本物の役者さん。
特にトゥーカッターを演じたヒュー・キース・バーンは本作の撮影開始時はバイクにすら乗ることができなかったそう。
でも、この手の映画の悪役ってホントに大事だと思いますので、彼らの迫真の役作りは大きな貢献でしたね。

映画は妻子を殺された悲劇の警察官マックスの復讐をメインテーマとした作品ではありますが、
実は上映時間の大半を妻子が殺されるまでに時間を費やしているため、復讐のエピソードは15分程度しかありません。
そのせいか、マックスは淡々と無感情的に復讐を遂げていくために、あまり細かな描写はなく、どこか殺伐としている。

この殺伐さが、個人的には良かったと思いますね。あまりグダグダとやらないサッパリ感が本作を支えている。
それゆえ、復讐を遂げたからと言って、何一つ心晴れることはないし、カタルシスも全くと言っていいほど感じられない。

しかし、、当時のオーストラリアの社会問題化していた暴走族がどんな感じだったのか分からないが、
本作で描かれたようなエスカレートした暴走族連中の凶行は、あまりに酷過ぎる。それに及び腰な警察も情けない。
彼らが休憩とナイトライダーの遺体を引き取るために立ち寄った、田舎町の駅での姿を目撃した若いカップルが
慌てて退去したのを見てトゥーカッターが族の連中に合図して、すぐに追跡して追いつき、カップルの車に襲いかかる
シーンは暴徒そのもので、狂気に満ちた暴力性で次々と車をブッ壊していく恐怖が、なんとも凄まじく戦慄する。

確かに2015年の『マッドマックス 怒りのデスロード』みたいな娯楽作型の現代的なアプローチの映画を
観てしまうと、本作は古びてしまったように観え、低予算がゆえのチープさも見劣りする部分があるだろう。
ただ、映画も常に過去のものを超えようと作り手が努力しているものと前提すると、第1作があったからこその続編だ。
そういう意味で、あまりに強烈なインパクトとマックスのキャラクターを前面に押し出したオリジンとして評価して欲しい。

確かに当時、噂されたようにスタントマンが2人事故死したと言われると、
それでも不思議ではないくらい誤魔化しのない映像表現で、本作のスタント・アクションの水準が高くてビックリする。

これは物語を楽しむ映画というよりも、どちらかと言えば、体感するタイプの作品だと思う。
物語は単純明快で小細工はないし、深みもない。しかし、ジョージ・ミラーのやりたかったことをピンポイントに
凝縮して詰め込んだことで、とてもショッキングかつエキセントリックな魅力を持つアクション映画の古典となりました。

あんまり子どもに見せたい映画ではないが(笑)、末永く愛される映画として語り継いでいきたい名作の一本だ。

(上映時間92分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 ジョージ・ミラー
製作 バイロン・ケネディ
脚本 ジェームズ・マッカウスランド
   ジョージ・ミラー
撮影 デビッド・エグビー
音楽 ブライアン・メイ
出演 メル・ギブソン
   ジョアンヌ・サミュエル
   スティーブ・ビズレー
   ヒュー・キース・バーン
   ロジャー・ワード
   スティーブン・クラーク