リトルマン・テイト(1991年アメリカ)

Little Man Tate

子役から活躍し、88年の『告発の行方』でオスカーを獲得した、
ジョディ・フォスターが満を持して初めてメガホンを取った、意欲的なヒューマン・ドラマ。

劇場公開当時、そこそこ話題になったんじゃないかなぁと思える企画なのですが、
映画のメインテーマとしては、よくあるタイプの天才少年の子育てに悩むシングルマザーの葛藤。

映画の作り方としてはそこまで間違っているとは思わないし、
おそらくジョディ・フォスターなりにかなり研究して取り組んだことはよく分かるけど、
正直言って、あまり収穫が多い作品とは言い難く、内容的にはそこまで感心させられる内容ではないなぁ。

作り方が間違っているわけではないけど、
やはりジョディ・フォスターの映像作家としての視点に、そこまで鋭いものが感じられなかったですね。
この内容であれば、もっともっと訴求する映画に仕上げることはできたと思うんですよね。
それがどこか、テレビドラマのテンションっぽさが残ってしまったせいか、どうにも映画らしさが足りない。

どこか映画が軽いんですよね。
これはあくまで感覚的な議論になってしまうんだけれども、難しい言葉で表現するなら、
慎ましさが感じられないというか、もっと抑えるものを抑えて演出して欲しいかな。

と言うのも、映画を観ていて、ずっと気になったのは、
一つ一つのシチュエーション、登場人物の言動・行動のほとんどが感情的なもので、
今一つ納得性に欠けているためか、一般的な感覚からは理解し難い展開が多過ぎる。
おそらくその一つ一つは、各登場人物の心情の中で説明ができるものなのでしょうが、
少なくとも映画を観ている限りでは、説明がつかないものが多過ぎるんですよね。

だから僕は、この映画を観ていて何度も思いましたもん。「あれ、なんで?」って。

ジョディ・フォスターは映像作家として、そういう観ているだけでは分からない部分を、
しっかりと演出面で捕捉してあげないといけませんね。そのバランスを考えるのが、監督の仕事なはずです。
題材的には、成功させることが簡単ではなかっただろうとは思いますが、こういう基本は押さえて欲しかったなぁ。

まず、この映画で大きな疑問として残るところは、
ジョディ・フォスター演じる母親が、いとも簡単に息子をダイアン・ウィースト演じるジェーンに、
愛する息子を預けてしまうという点で、母親という立場から考えれば、これは理解し難い行動だ。

しかもジェーンはジェーンで、一方的に母親のことを責めたてて、
あたあも息子が英才教育を受けることを望んでいるかのように説明し、自分の都合の良いようにします。

これって、僕には正論とは言えない論理を理不尽に押し付け、
赤の他人が一方的に子供を奪ってしまうという、信じられない暴挙にしか見えなかったですね。
これをアッサリと容認できてしまう母親というのも、まるで僕には理解できず、どうも違和感だらけでしたね。

見方によっては、母親が子育てに対して疲弊していて、疑問を抱いていたという見方もできますが、
それならば、ディディとフレッドの親子の描き方そのものに違和感があるし、どうも変なんですね。
そして、仮に子育てに疑問を持っていたのであれば、この映画のラストはやはり受け入れ難いですよ。
ディディとフレッドの親子関係は、何か特別な絆があるからこそ、あのラストが映えるわけですから。

また、ジェーンの描き方もステレオタイプで、今一つ好きになれない。
ある意味で、ディディとフレッドの親子の絆を、より強く引き立てるために、
意図的にこういう風にして描いているのだと思うのですが、それにしても極端になり過ぎですね。

彼女は彼女で、複雑な感情を抱いて暮らしているわけですから、
ここまで過剰に教育研究者としての側面ばかりを描かれては、彼女の存在も輝くものにはなりませんね。

天才少年を自身の研究者の好奇心だけで語ろうとして、
フレッドを研究の対象としてしか見ていないジェーンを表現したい気持ちは分かるが、
ひと夏、息子を預けると決心し、いざジェーンの家にフレッドを連れて行ったら、
いきなりビデオカメラで撮影していて、本の出版やドキュメンタリーにでも使う気満々な姿を見て、
安心して子供を預けられる母親はどこにもいないだろう。この違和感を残したまま、ディディはフレッドを預け、
映画の最後の最後まで、この違和感を解消しようとしなかったジョディ・フォスターの意図がよく分からない。

そういう意味では、ジェーンを演じたダイアン・ウィーストにも酷な役だっただろう。

ジョディ・フォスターが初監督作品に本作を選んだ理由はよく分かりませんが、
彼女は一時、女優業を休止してイェール大学に通っており、そのときに興味を持った題材だったんでしょうね。
映画の中で、さり気なく大学生について、否定的な描き方をしているのも、印象に残りましたね。

強いて言えば、もう一つは彼女の母性でしょう。
最近になって、彼女は同性愛者であることをカミングアウトしており、
おそらくこの頃から、彼女なりに思うところの多いテーマだったのでしょうね。
そのせいか、本作でもフレッドの父親の存在については、ほぼ言及していない設定なんですね。

まぁ、ジョディ・フォスターなりに強い想いを込めて、この映画を撮っているのはよく分かる。
もう少し撮る前に、具体性を持ったビジョンが定まっていれば、映画は変わっていただろう。
そう、この映画で足りないところは、おそらく具体性あるビジョンだったのだろうと思う。

と言うのも、特に前述したジェーンの理不尽さなどは、
撮る前に具体性あるビジョンをしっかり持ってさえいれば、もっと抑えて描くことができたはずだ。

少しずつではありますが、ジョディ・フォスターも監督業を継続しているようですので、
本作での課題はきっと、2回目の『ホーム・フォー・ザ・ホリデイ』以降の監督作品で活きているはずです。

ちなみに劇中、大学生役でジャズ・ピアニストのハリー・コニックJrが出演している。
フレッドにスイング・ジャズやビリヤードを教える役柄のチョイ役でしたが、この頃から俳優業を本格化しています。
最近はむしろ映画出演の方が多いぐらいで、そういう意味では貴重なキッカケを得た作品なのかもしれません。

(上映時間99分)

私の採点★★★☆☆☆☆☆☆☆〜3点

監督 ジョディ・フォスター
製作 スコット・ルーディン
    ペギー・ラジェスキー
脚本 スコット・フランク
撮影 マイク・サウソン
音楽 マーク・アイシャム
出演 ジョディ・フォスター
    ダイアン・ウィースト
    アダム・ハン=バード
    ハリー・コニックJr
    ボブ・バラバン
    P・J・オクラン