リンカーン(2012年アメリカ)

Lincoln

アメリカの歴史上の暗部とも言える、奴隷制度撤廃を成し遂げた、
偉大なる大統領エイブラハム・リンカーンの闘いの日々を描いた重厚なドラマ。

映画の冒頭で、監督したスティーブン・スピルバーグが何故、本作を撮ろうと思ったのか、
その理由を述べるという、異例なオープニングで僕も最初は意味がよく分からなかったのですが、
本編を最後まで観て、どうしてこういうシーンを入れたのか、なんとなく分かるような気がします。

なにより、これはアメリカに生きる人々以外には、とても分かりにくい作品でしょう。

まず、どうしても映画を撮る動機から始まってしまうとは思いますが、
同じリンカーンを描いた映画にしても、南北戦争の最中の苦悩を描くならまだしも、
南北戦争を終結させて、その後の奴隷制度を撤廃させるための修正憲法案(第13条)を提出させ、
議会を通す際の苦悩を描くという、とても繊細な部分を描いた映画なものですから、理解されにくい作品ですね。

スピルバーグにしては珍しく、動的な部分を描いた映画になっているというより、
どちらかと言えば、静的な部分を描いた映画なので、少し面喰っちゃったというのもありますが、
アメリカ以外の人には馴染みが無いエピソードがメインになっているのも、珍しいと言えば、珍しいことだ。

本作ではリンカーン大統領だけでなく、急進派の議員だったスティーブンスにもクローズアップしており、
映画の終盤で描かれる、スティーブンスが黒人の女性と恋人関係にあったことにも触れられており、
いろいろと賛否が分かれそうなディティールも描いているあたり、中途半端な映画ではありません。

スティーブンスが黒人女性と恋人関係にあったということは、あくまで噂の段階であり、
実際にそうであったのかは定かではありません。本来、スティーブンスが黒人女性と恋人だったから、
奴隷制度の撤廃を願っていたとするには誤解を招き易い表現であるとの指摘もあったようですが、
僕はそもそもスピルバーグに政治的主張があって、本作を撮ったとは思えないので、
その指摘自体も本作の本質を捉えた指摘ではないような気がするのですが、いずれにしてもスピルバーグが
監督する作品として考えると、これまで以上に直球勝負ではない映画という印象を受けてしまいます。

そういう意味でも、どこか拍子抜けさせられる映画という印象もあるかもしれませんが、
本作はスピルバーグにとっても大きなチャレンジであったことは言うまでもありません。

その挑戦性は僕は“買い”たい。スピルバーグがここまでの地位を築いても尚、
新たなアプローチをしたいとする意志を持って、創作活動を行っていることは実に素晴らしいことだと思う。
ただ、あくまでシビアに考えると...結果として、そのチャレンジは間違いではないが、失敗だったかなぁ。
スピルバーグの手腕をもってすれば、映画はもっと上手く撮れたと思うし、ワクワクさせられる感覚を
映画の中に吹き込めていないという点で、失って欲しくはなかったスピルバーグらしさが感じられなかった。

正直言って、これはかなり物足りない出来の映画だと思う。
史実に忠実かどうかを吟味するだけの知識は僕には無いのだけれども、それを云々する以前の問題だと思う。

そりゃ、数々の映画賞レースで絶賛されたことが象徴する通り、
リンカーンを演じた主演のダニエル・デイ=ルイスの演技力は素晴らしいし、賞賛に値する名演と言っていい。
側近に対する立ち振る舞い、サリー・フィールド演じる妻との微妙な関係など、繊細さを失わない説得力ある名演。

リンカーンが当時、思い描いていたであろうビジョンと、
彼が望んでいたアメリカの未来を切り開こうとする姿、周囲の人々を動かす力の強さ、
その全てが画面いっぱいに表現できているというのは、そう誰でも出来る芸当ではなく、彼ならではの境地だ。
そういう意味で、本作はダニエル・デイ=ルイスをキャスティングできた時点で、成功は確約されていたはずだ。

ただ、とっても残念なことに...本作はそこで終わってしまった。
ディベート(討議)が中心に据えられる映画なだけに、動きが少ない映画になってしまうことは免れず、
如何に工夫して撮るかが、映画を成功させるカギとなるはずだっただけに、その工夫が足りないように思う。

なんでもかんでも過剰にドラスティックに描くことには反対だが、
この映画はあまりに現実志向に偏り過ぎたというか、全体的に静かにし過ぎた感が強いかなぁ。
おそらくスピルバーグの力量からいけば、もっとエキサイティングに撮ろうと思えば、できたことだと思う。

しかし、敢えて静かなままに撮ったというのは、
アメリカの近代史には、常に強い関心を示しているスピルバーグの映像作家としての方向性を考えると、
彼のアメリカという国家に対する価値観を強く反映させた内容にするために、あまり強いアレンジをしたくないとする
彼の意思が強かったと思う。しかし、そこに映画らしさを加味することをも抑制したのは、賛否が分かれるだろう。

映画の冒頭、いきなり南北戦争終結後、間もない頃の戦地にリンカーンが訪れる、
エピソードで始まるのですが、このシーンは如何に戦闘が激しいものであったのかを物語る状況で、
同じスピルバーグの監督作品としては、98年の『プライベート・ライアン』を彷彿させる雰囲気があって、
再びスピルバーグが描く、戦争の狂気を再現するのかと予感させるのですが、結局、本作では描かない。

それは冒頭に彼自身が語ったように、リンカーンという偉大な人物を描きたかったからこそ、
本作を製作したわけで、決して南北戦争を描きたかったわけではないからであろう。

2012年度の映画賞を賑わし、アカデミー賞でも作品賞含む主要12部門でノミネートされながらも、
結果として2部門のみの受賞に留まったというのは、映画のチャレンジは評価されたけれども、
ダニエル・デイ=ルイスの芝居を除くと、全体的に決定打に欠ける作品であったという評価だったように思います。

確かに僕も、「よく頑張っているけど、訴求するものが無い」というのが率直な感想でした。
そこにはスピルバーグのパーソナルな趣向も、入り過ぎているという印象が後押しした結果でした。

映画は奴隷制度撤廃に必要不可欠であった、
それまで使っていた、当時のアメリカ憲法第13条を改正することを描いているのですが、
やはりどこの国でも、こういった議論をするときには、もの凄いエネルギーが必要だということなんですね。

リンカーンの目的は別に憲法第13条を変えることにあったわけではない。
この改正はあくまで手段の一つにしかすぎず、最終的な目的は奴隷制度を事実上の廃止に追い込むことで、
もっと大きなことを言えば、世界のリーダーになりつつあるアメリカという大国が、真の意味でリーダーになるために
人種差別という時代遅れなことを公認していては、アメリカの成長を阻むだけとの考えに基づいていたはずだ。

それが彼の政治的な信念であり、目的達成のためのプロセスを重要視するというスタンスだったはずだ。

本作でのスピルバーグの功績は、リンカーンの信念を描くことに注力したことで、
あまり大きく政治思想を反映させる内容にはしなかった点で、バランス感覚を意識して映画を撮れた点だ。

そうなだけに、僅かでも...エンターテイメント性を加味できていれば、
映画はもっと魅力的なものになっていたであろうと思えるだけに、とても残念に思える部分も多い。

(上映時間150分)

私の採点★★★★★☆☆☆☆☆〜5点

監督 スティーブン・スピルバーグ
製作 スティーブン・スピルバーグ
    キャスリン・ケネディ
原作 ドリス・カーンズ・グッドウィン
脚本 トニー・クシュナー
撮影 ヤヌス・カミンスキー
編集 マイケル・カーン
音楽 ジョン・ウィリアムズ
出演 ダニエル・デイ=ルイス
    サリー・フィールド
    デビッド・ストラザーン
    ジョセフ・ゴードン=レビット
    ジェームズ・スペイダー
    ハム・ホルブルック
    トミー・リー・ジョーンズ
    ジョン・ホークス
    ジャッキー・アール・ヘイリー
    ブルース・マッギル
    ティム・ブレイク・ネルソン
    ジョセフ・クロス
    ジャレッド・ハリス
    グロリア・ルーベン

2012年度アカデミー作品賞 ノミネート
2012年度アカデミー主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス) 受賞
2012年度アカデミー助演男優賞(トミー・リー・ジョーンズ) ノミネート
2012年度アカデミー助演女優賞(サリー・フィールド) ノミネート
2012年度アカデミー監督賞(スティーブン・スピルバーグ) ノミネート
2012年度アカデミー脚色賞(トニー・クシュナー) ノミネート
2012年度アカデミー撮影賞(ヤヌス・カミンスキー) ノミネート
2012年度アカデミー作曲賞(ジョン・ウィリアムズ) ノミネート
2012年度アカデミー美術賞 受賞
2012年度アカデミー衣装デザイン賞 ノミネート
2012年度アカデミー音響賞 ノミネート
2012年度アカデミー編集賞(マイケル・カーン) ノミネート
2012年度全米映画俳優組合賞主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス) 受賞
2012年度イギリス・アカデミー賞主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス) 受賞
2012年度全米映画批評家協会賞主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス) 受賞
2012年度全米映画批評家協会賞脚本賞(トニー・クシュナー) 受賞
2012年度ニューヨーク映画批評家協会賞主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス) 受賞
2012年度ニューヨーク映画批評家協会賞助演女優賞(サリー・フィールド) 受賞
2012年度ニューヨーク映画批評家協会賞脚本賞(トニー・クシュナー) 受賞
2012年度ボストン映画批評家協会賞主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス) 受賞
2012年度ボストン映画批評家協会賞脚本賞(トニー・クシュナー) 受賞
2012年度ラスベガス映画批評家協会賞主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス) 受賞
2012年度ラスベガス映画批評家協会賞助演男優賞(トミー・リー・ジョーンズ) 受賞
2012年度シカゴ映画批評家協会賞主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス) 受賞
2012年度シカゴ映画批評家協会賞脚色賞(トニー・クシュナー) 受賞
2012年度ワシントンDC映画批評家協会賞主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス) 受賞
2012年度サンディエゴ映画批評家協会賞主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス) 受賞
2012年度デトロイト映画批評家協会賞主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス) 受賞
2012年度カンザス・シティ映画批評家協会賞主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス) 受賞
2012年度サンフランシスコ映画批評家協会賞助演男優賞(トミー・リー・ジョーンズ) 受賞
2012年度サンフランシスコ映画批評家協会賞脚色賞(トニー・クシュナー) 受賞
2012年度インディアナ映画批評家協会賞主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス) 受賞
2012年度インディアナ映画批評家協会賞助演男優賞(トミー・リー・ジョーンズ) 受賞
2012年度サウス・イースタン映画批評家協会賞主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス) 受賞
2012年度セントルイス映画批評家協会賞主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス) 受賞
2012年度セントルイス映画批評家協会賞脚色賞(トニー・クシュナー) 受賞
2012年度フェニックス映画批評家協会賞主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス) 受賞
2012年度ダラス・フォートワース映画批評家協会賞作品賞 受賞
2012年度ダラス・フォートワース映画批評家協会賞主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス) 受賞
2012年度ダラス・フォートワース映画批評家協会賞助演男優賞(トミー・リー・ジョーンズ) 受賞
2012年度ダラス・フォートワース映画批評家協会賞助演女優賞(サリー・フィールド) 受賞
2012年度ダラス・フォートワース映画批評家協会賞作曲賞(ジョン・ウィリアムズ) 受賞
2012年度フロリダ映画批評家協会賞主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス) 受賞
2012年度オクラホマ映画批評家協会賞主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス) 受賞
2012年度ネバダ映画批評家協会賞助演男優賞(トミー・リー・ジョーンズ) 受賞
2012年度ネバダ映画批評家協会賞助演女優賞(サリー・フィールド) 受賞
2012年度セントラル・オハイオ映画批評家協会賞主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス) 受賞
2012年度セントラル・オハイオ映画批評家協会賞脚色賞(トニー・クシュナー) 受賞
2012年度ヒューストン映画批評家協会賞主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス) 受賞
2012年度ヒューストン映画批評家協会賞助演男優賞(トミー・リー・ジョーンズ) 受賞
2012年度ヒューストン映画批評家協会賞脚本賞(トニー・クシュナー) 受賞
2012年度ノース・テキサス映画批評家協会賞作品賞 受賞
2012年度ノース・テキサス映画批評家協会賞監督賞(スティーブン・スピルバーグ) 受賞
2012年度ノース・テキサス映画批評家協会賞主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス) 受賞
2012年度ノース・テキサス映画批評家協会賞助演男優賞(トミー・リー・ジョーンズ) 受賞
2012年度デンバー映画批評家協会賞主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス) 受賞
2012年度アイオワ映画批評家協会賞作品賞 受賞
2012年度アイオワ映画批評家協会賞監督賞(スティーブン・スピルバーグ) 受賞
2012年度アイオワ映画批評家協会賞主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス) 受賞
2012年度アイオワ映画批評家協会賞助演男優賞(トミー・リー・ジョーンズ) 受賞
2012年度ノース・キャロライナ映画批評家協会賞脚色賞(トニー・クシュナー) 受賞
2012年度ジョージア映画批評家協会賞主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス) 受賞
2012年度ゴールデン・グローブ賞主演男優賞<ドラマ部門>(ダニエル・デイ=ルイス) 受賞