海辺の家(2001年アメリカ)

Life As A House

この映画は2回、観ているのですが、
不思議と初見時の印象よりも、2回目に観たときの印象の方が良いですね。

普通、僕の場合は初見時の印象を2回目以降に越えられず、
ホントに良い映画は2回目以降も常に新鮮さを失っていないというもので、
複数回の鑑賞に堪えうる作品だと思っていたのですが、本作のようなことは珍しい気がします。

ただ、どうしてもこの映画の作り手には言いたいことがある(笑)。

全体的に手堅い作りと言えば、聞こえはいいのですが、
どうも映画としての決定打に欠けるというか、全体的に訴求しないシーンばかりが続く。
主人公のジョージを演じたケビン・クラインが癌の痛みに耐えながら、子供と向き合う姿だけは
しっかり描けけていたとは思いますが、それ以外の部分の大半は訴求せず、パンチ不足。

それどころか、ジョージの近所に暮らす、サムのガールフレンドのお母さんが
突如として娘の彼氏に欲望の眼差しを向け、昼間っから家に連れ込むなんてエピソードに
無駄に時間を費やして、不必要なエピソードで暴走するし、大事なエピソードは“あと一歩”のところで終わる。

個人的にはジョージとサムの葛藤はもっと時間を割いて欲しかったし、
第一、薬物中毒に陥っていたサムが精神的に成長し、更生するまでに描写があまりに軽過ぎる。

アメリカのカルチャーとして、これはありふれた話しなのかもしれませんが、
現実はここまで甘くないことを考えるに、本作の中ではもっと精神的にも肉体的にも、
癌に身体を蝕まれながらもジョージが、サムの更生にぶつかっていく姿を描くことに時間を費やして欲しかった。
(勘違いして欲しくはない。前述したように、ジョージを演じたケビン・クラインは見事な好演です)

お世辞にもジョージも模範的な人間とは言えない。
自分が余命いくばくもない末期癌に侵されているという理由一つで、それまで放置していた、
別れた妻に託した息子との日々を取り戻したいと、夏休みを一緒に過ごしたいとは、
なんとも自分勝手な部分があって、彼が強引に進めれば進めるほど、周囲の反発は強くなりそうだ(笑)。

所属していた会社でも、「時代はコンピュータグラフィックスだよ」と助言されながらも、
それを一切無視して、「オレはオレなんだ!」を押し通して、結局、会社から解雇を宣告され、
苛立ったジョージは思わず、会社内で暴れ回り、会社の所有物を破壊しまくる。

確かにジョージは有能なデザイナーなのだろうが、
彼の上司が言い放った通り、ジョージは社会性ゼロで最低な人間だ。
しかし、そんな彼が自分の死期を悟ることで、人間的に変わろうと決意するわけで、これには納得性がある。
そこから、放置していた息子を薬物中毒から更生させ、自分が生きた時間を残したいと願うことも自然でしょう。

そうなだけに、僕はジョージとサムの心の交流にもっと力点を置くべきだったと思う。
彼らを取り巻く周囲を描こうとするあまり、映画が散漫になってしまった印象がもの凄く強いんですね。

監督は92年に『ナイト・アンド・ザ・シティ』を撮ったアーウィン・ウィンクラー。
彼はロバート・デ・ニーロらとの仕事が有名で、91年の『真実の瞬間(とき)』から監督業に乗り出しましたが、
やはりプロデューサーとしての方が、能力を活かせているのかもしれません。演出はさほど上手くないですね。

この映画、主人公がデザイナーという経歴を活かしてか、
息子と家を建てようとする発想は素晴らしい。この建設していくという感覚を、
映画の時間が進むごとに、着実に古い家が破壊され、新しい家の骨格ができてくるというのも素晴らしい。
この辺はアーウィン・ウィンクラーの着眼点も良くて、映像作家として鋭さを持っていた部分ですね。

こういう言い方もナンですが、主人公ジョージが病に倒れるタイミングも絶妙だ。
特にこういう映画はラストのあり方がとても難しいのですが、本作はまずまずの上手さでした。

息子のサムを演じたヘイデン・クリステンセンって、今は何してるのかなぁ〜?(笑)
当時は『スター・ウォーズ:エピソード2/クローンの攻撃』でアナキン・スカイウォーカー役に抜擢されて、
日本でも一時的には多くのファンがいた、ハリウッド期待の若手俳優の一人だったのですが、
最近はあまり映画に積極的に出演していないようで、今後の動向が心配なんですよねぇ。

本作でのサム役なんて、結構、難しい役どころだったと思うんですよね。
愛情に飢えながら思春期を迎え、いろいろと多感な時期に、自身の成長と葛藤しながら、
父への反目と父への愛情を交錯させながら、成長へと向かっていく姿を上手く表現できていると思います。

シナリオというよりも、時間配分の問題はアーウィン・ウィンクラーの裁量が大きいでしょう。
(ちなみに脚本を書いたのは、『恋愛小説家』でオスカーを獲得したマーク・アンドラス)

ジョージの近所に暮らす、娘の彼氏と肉体関係を持つコリーンを演じた
メアリー・スティーンバーゲンと言えば、79年の『タイム・アフター・タイム』などが印象的な、
実力派女優なのですが、本作では久しぶりに大きな役だったのに、悪い意味で目立ってしまいましたね(苦笑)。

終盤で「償いなの」と言って、多くの現場作業員を雇用して、
家の完成を急がせるというのも、彼女なりの善意なのだろうが、どこか映画の中で浮いた存在になってしまった。

これはハッキリ言って、アーウィン・ウィンクラーの責任です。
彼女が悪い意味で目立たないようにバランスを取らせるのは、演出家の責任だと思います。
彼女が悪い意味で目立っていなければ、おそらく彼女の終盤での善意は、もっと自然に受け入れられたと思う。

この映画には完璧な人間など、登場してきません。
誰も理想的な生活を送ってはいないのですが、それが逆にこの映画の強みです。

とても勿体ない部分が散見される映画ではありますが、
そんな不完全さを尊重したのは大きな収穫であり、こういう映画が評価される時代であって欲しいと思う。

(上映時間125分)

私の採点★★★★★★★☆☆☆〜7点

監督 アーウィン・ウィンクラー
製作 ロブ・コーワン
    アーウィン・ウィンクラー
脚本 マーク・アンドラス
撮影 ヴィルモス・ジグモンド
編集 ジュリー・モンロー
音楽 マーク・アイシャム
出演 ケビン・クライン
    ヘイデン・クリステンセン
    クリスティン・スコット・トーマス
    ジェナ・マローン
    メアリー・スティーンバーゲン
    マイク・ワインバーグ
    スコット・バクラ
    スコッティ・リーヴェンワース
    イアン・サマーハルダー
    サム・ロバーズ
    バリー・プリマス
    ジョン・フォスター