冒険者たち(1967年フランス)

Les Aventuriers

これは不思議な映画だ。

フランス映画界が誇る古典的名作の一つなのですが、
確かにヌーヴェルバーグの余波を包含した雰囲気を持ち、当時のフランス映画界が先進的であったことを
象徴したような映画だとは思うのですが、タイトルにもなっている“冒険”に出るまでが冗長な展開で、
その“冒険”に出る動機も弱く、“冒険”の終わりになるクライマックスはどこか大味な感じになってしまっている。

映画はアラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラ、ジョアンナ・シムカスの3人だけで
成り立っているような映画ですが、その中で強いインパクトを残すのはレティシアを演じたジョアンナ・シムカスだろう。

彼女はカナダ出身の女優さんで、ハリファクス地方が出身らしく、
そのせいでフランス語が堪能でフランス映画界で活躍しており、76年にハリウッド俳優のシドニー・ポワチエと
結婚し、70年代以降は映画女優業を引退してしまったため、本作は彼女の代表作となりました。

主演のアラン・ドロンの相変わらずの二枚目ぶりは言うまでもないが、
三枚目的な風貌で、エンジン開発に目がないリノ・ヴァンチュラが渋くて、実に良い存在感だ。
(まぁ・・・というか、撮影当時も50歳くらいだったんで、さすがにいいオッサンだったが・・・)

映画は大きく分けて、3部構成と言っていい内容だ。
第1部は、パリで3人が出会うところから、金稼ぎのためにコンゴへ行くことを決意するエピソード。
第2部は、実際にコンゴで3人が“冒険”に出て、沈没したであろうヘリを探すエピソード。
第3部は、フランスへ戻ってレティシアが言っていた要塞のような建物を舞台にした攻防を描いたエピソード。

映画は第2部に入って、大きく動き始める印象ですが、
この映画のユニークなところは、第1部となるフランスはパリの部分で、アラン・ドロン演じるマヌーが
キョウバシと名乗る日本人映画プロデューサーから依頼されたとする、凱旋門を低空飛行するシーンを
撮影するというデマの仕事話に騙されて、パイロットのライセンスを剥奪されて、これに激怒したマヌーが
デマ情報の依頼を出した知人に損害賠償を詰め寄るなどといった、内輪モメが描かれていることだ。

普通に考えれば、有名な凱旋門の曲芸飛行なんて許可ができるわけがないし、
何一つ障害なく昼間に敢行できる条件なんて揃うわけがないと思えるのですが、
無鉄砲なマヌーは純真無垢にも(?)、そのまま敢行してパイロットのライセンスを失うなんて、あまりに稚拙だ。

しかし、冒頭に記した通り、これは実に不思議な映画である。
僕は何故か、肝心かなめの主人公のマヌーが稚拙なキャラクターに映ったにも関わらず、
それでも映画が進んでいっても、映画の致命傷になるような難点にはなっておらず、
どこかマヌーは憎めないキャラクターのように見えるのが不思議だ。これはアラン・ドロンだから為せるワザですね。

ちなみに監督のロベール・アンリコは日本びいきな人なのか知りませんが、
第1部としたエピソードの中で、マヌーがデマ情報の依頼した知人に損害賠償を求めるシーンで、
お詫びとしてコンゴのお宝捜しの話しをされる、日本料理屋が思わずビックリさせられるシーン演出だ。

1967年当時のパリがどうだったのかは知りませんが、
おそらくすき焼き屋と思われる料理屋で、座敷部屋で2人が食べるのですが、
キチッと正しく和装の女性を店員として登場させているし、チラッと映るすき焼きもかなり本格的なものだ。
この時代にありがちだった、いい加減な日本の文化の描写ではなく、こんなに本格的な日本料理が
当時のパリで食べられたのか!?と、思わず驚きを禁じ得ず、ロベール・アンリコだから描いたシーンかもしれません。

そしてコンゴに行ってからは、肝心かなめの“冒険”になりますが、
それだけではなく、3人の友情と恋愛心が入り混じる共同生活の難しさも描かれている。
本作の中では、友情に偏重した部分はあるのですが、それでもレティシアをめぐる男たちの感情は
映画の最後の最後まで見どころの一つになっていて、レティシアの足跡を追う彼らの複雑な心境の描写は悪くない。

でも、どこか本作は当時、何本も登場した映画史に残る傑作たちに及ぶほどの影響力は無いと思う。

それは、決定的なほどのロベール・アンリコの演出に傑出したものがないということもあるが、
第3部に該当する、映画の終盤の展開はいくらなんでも粗すぎる。あまりに都合良くギャングたちが
主人公たちの情報をかぎつけて接近してくること自体、気になると言えば、気になるし、
それまで繊細なものに触れながら綴ってきた映画が、突如として雰囲気一変させるほど粗っぽくなり、
激しい銃撃戦を展開するに至るまで、一気に映画の調子を変えてしまうのですが、それが僕に逆効果に見えた。

ハッキリ言いましょう。この終盤の演出で、映画の価値を一気に下げたように思う。

アラン・ドロン演じるマヌーが、いくら劇的に描かれても、
これではまるで情緒なんて感じられないし、映画の作り手が全てをブチ壊している。
別に銃撃戦自体を否定するつもりはないけれども、ここに至るまでのアプローチを無にするようなことは避けて欲しい。

ハッキリ言って、このクライマックスはレティシアのことをそっちのけにしている。
こういう内容にするならば、僕なら映画の冒頭をレティシアがスクラップを探し求めるシーンから始めないし、
彼女のシーンで映画を始めたからこそ、常にレティシアのことを意識させる作りにしなければ、映画は破綻するだけ。

この辺は意図を持って描いていたであろうと見えるので、しっかりと気を配って欲しかった。

確かにヌーヴェルバーグの荒波から生まれた映画とは言い難いし、
時代的に既にフランス映画界も次のステージに進んでいた頃の作品ですので、
いわゆるニューシネマというのとも違いますが、それでも新時代に突入していたからこそ、
こういう男女3人の“冒険”という微妙なテーマにアプローチできたのでしょう。前時代的な言い方をすれば、
結婚にも至らない、しかも明確な恋愛感情もなく、自由気ままな生活を謳歌する男女の共同生活など不道徳です。

それをも、当たり前であるかのように、何一つ違和感なく撮れたということは、
それだけ当時のフランス映画化が先を行っていたという証拠とも言えるでしょう。

そうなだけに、もう少し繊細に最後まで描いて欲しかった。そこだけが、どうしても埋まらないピースです。

(上映時間112分)

私の採点★★★★★★☆☆☆☆〜6点

監督 ロベール・アンリコ
製作 ジェラール・ベイトウ
原作 ジョゼ・ジョヴァンニ
脚本 ロベール・アンリコ
   ジョゼ・ジョヴァンニ
   ピエール・ペルグリ
撮影 ジャン・ボフェティ
音楽 フランソワ・ド・ルーベ
出演 アラン・ドロン
   リノ・ヴァンチュラ
   ジョアンナ・シムカス
   セルジュ・レジアニ