サムライ(1967年フランス・イタリア合作)

Le Samourai

実はこの映画を観た、数時間後にタイムリーなことにアラン・ドロンの訃報が世界を駆け巡った・・・。

個人的にはなにか、スゴい偶然性を感じたのですが、本作はフランス映画界を代表する、
フィルム・ノワールの一つとも言える作品であり、この時代のアラン・ドロンを象徴する作品とも言えるようです。
何故か、名匠ジャン=ピエール・メルビルが武士道に興味を持っていたのか、日本の侍のスピリットを比喩として、
謎の依頼人からナイトクラブの支配人を殺害する指示を受け、報酬を受け取る若者の姿を描くダークなドラマだ。

後年、数多くの映画に影響を与えたクールさ、一方で主人公を執拗に追い続ける警察の執念など、
内に秘めたる熱気を描いた作品であって、本作で確立されたスタイルそのものがリスペクトの対象なのでしょう。

しかし、本作はフランス映画界のニューシネマ・ムーブメントであるヌーヴェルバーグ≠経なければ、
このような映像表現やアプローチもあり得なかっただろうし、チョットした斬新さも目につく名画と言っていいと思う。
映画の冒頭から、アパルトマンの一室で主人公が一服するという、どこか寒々しい雰囲気のカットから始まって、
パリのメトロを使った、警察の追跡をかわそうとする主人公との駆け引きなど、何もかもが新しさを感じさせる。

勿論、21世紀に入って久しい、現在の感覚で観れば古臭いところがあるにはあるけど、
冷静になって観ると、1967年という時代を考慮すると、「これは当時は斬新だっただろう」と思えるシーンがある。

それと、映画の大きな出来事がある舞台でもあるナイトクラブの描写もオシャレ。
パリはオシャレな街、というイメージは専攻するけど、フランスは元々経済格差が大きい国でもあるせいか、
もっと陰気臭くて、やや猥雑な雰囲気を持っているという僕の勝手な先入観があったせいか、とてもオシャレに映った。

これはアラン・ドロンの視線を生かした映画と言っても過言ではなく、
当時、フランス映画界でも押しも押されぬ若手スターの代表格であったアラン・ドロンだったわけですから、
当然、持ち前の甘いマスクを生かして色々と画策する姿を演じさせてもいいところを、本作のキャラクターは正反対で
冒頭のシーンから最後の最後まで、トコトン彼はクールに振舞う。決して多くを語ろうとせず、彼は視線で物語る。

この一貫したジャン=ピエール・メルビルのアプローチは実に素晴らしく、
さすがはフィルム・ノワールの巨匠と言われるだけあって、総てのシーンが実にタイトで見事な省略に溢れている。

主人公が依頼された“仕事”をやり遂げ、報酬を受け取るために跨線橋で組織の男と対面するシーンは見事だ。
間違いなく“何かが”起きそうだと予期させる、並々ならぬ緊張感に溢れた演出も素晴らしいのですが、
お互いにアクションを起こして、主人公が負傷する一連のショットをカメラは“通り過ぎる”ように映し出す。
世の中、数多く映画が誕生しているので、本作が初めてではないのかもしれないが、少なくとも僕は初めて観た。
接近して撮るわけでもなく、カットを割るわけでもなく、俯瞰して撮るわけでもない。まったくもって、これこそ斬新なんだ。

ジャン=ピエール・メルビルも多くを語ろうとせず、素晴らしい省略に溢れた作品だとは思う反面、
しっかり説明しなければならないところは、しっかり描いているのも良い。それは映画の中盤から延々と続く、
警察の“面通し”などの捜査シーンであり、これは後年の刑事映画に強い影響を与えていることは間違いなし。

印象的なのは、主人公が殺しを依頼してきた男に会いに跨線橋を訪れるまでのシーンで、
主人公がメトロを乗り継いで、淡々とただ歩くだけの一連のシークエンスを、あまり省略せずに描いています。
これはおそらく、作り手も敢えてこういうシーンを撮ったのでしょう。究極の無駄を綴っているように見えますが、
これらが実に効果的で、主人公が如何にパリの街を移動することに精通しているかを描くことに時間を割きます。

それは、まるで「見えないところに凝るのが粋」とでも言わんばかりに、通常ではとらないアプローチをとります。
まぁ・・・そう考えると、本作は日本の文化をベースにして撮った映画、ということができるのかもしれませんね。

そして、当時はアラン・ドロンの私生活の妻であったナタリー・ドロンのスクリーン・デビュー作であり、
主人公のアリバイ証言に関わることになる、コールガールを演じているわけですが、どこか気ダルいセクシーさだ。
どこかクセのあるキャラクターだなぁと予期させるのですが、彼女に関してはもっと“前に出して”も良かったなぁ。
どちらかと言えば、映画の中盤から黒人の女性ピアニストに焦点が映っていくので、存在感が弱まってしまう。

これが僕が感じた本作最大のネック。それくらい、本作のナタリー・ドロンは生かすべき魅力があったと思う。
(まぁ・・・彼女のスクリーン・デビューはアラン・ドロンがスゴい反対していたらしいのですが・・・)

しかし、実に優れた作品であり、アラン・ドロンの魅力を最大限に生かした作品と言っても過言ではないと思います。
有名な話しですが...ビートたけしはジャン=ピエール・メルビルのことを監督として敬愛しているとのことで、
このクールさ、スタイリッシュさを踏襲して、良い意味でどこか殺伐とした雰囲気を、監督作の中で表現しているのだろう。

正直言って、どこら辺が“サムライ”なのか武士道なのかは僕には分からなかったけど、
この主人公のように寡黙に淡々と行動していくという姿が、“サムライ”や武士道と重ねているのでしょうね。
まぁ・・・僕には日本文化と関係するものはなくって、これはこれで彼らが生み出したオリジナリティだと思うけど・・・。
(唯一、クライマックスの主人公の“大バクチ”は日本文化に近い感覚ではありますがねぇ・・・)

ある意味で、本作のメインテーマは「殺し」であるわけなんだけれども、
本作には痛みを伴うシーンや、血みどろになるようなシーンは多くはない。それらは実にアッサリとしか描かない。
この辺も本作が生み出したオリジナリティでもある気がしますけど、残酷さが希薄な分だけ、品格で迫ってくる。
常に残忍さと対極するかのような作り手の美学を意識させるような作りで、それはとても儚くも美しさすら感じさせる。

映画の中盤にある警察署での“面通し”のシーンについては、とても面白かったですね。
ついさっきの出来事であっても、案外、人間の記憶というのは曖昧なものであって、不確かさを内包しているもの。
“似ている”という程度のことで、「同一人物だ」と断言することは、とても勇気のいることだと実感させられます。

勿論、直感的なものも含めて、「彼で間違いないと思う」と証言する人もいるにはいるのですが、
彼らとて、確信を持っているわけではないような描かれ方をしていて、現実にもこんな状況は数多くあるのでしょう。

また、本作は観光映画というわけではないのですが、パリのメトロも実に魅力的に映っている。
ついでに駅の動く歩道も印象的で、全てのカメラワークに無駄がなく、極めて機能的で称賛に値する仕事ぶりだ。
これだけの功績を成し遂げたわけですから、本作はジャン=ピエール・メルビルの代表作と言ってもいいくらいだ。

おそらく、主人公の姿に“サムライ”を投影したのは、彼が孤高の存在であり孤独だからこそなのだろう。
それは他を寄せ付けない、誰からも干渉されないというオーラが出ているからこそなのだろうけど、
それでもチョットした描写で、実は彼は孤独ではなく誰かの協力を得ながら生活していることを示唆的に描いている。

それは前述したナタリー・ドロン演じるコールガールがそうなのですが、
主人公に仕事の“道具”を与えるかのように、ただ淡々と主人公が持ち込んだ車のナンバプレートを変える、
中年のオッサンにしても、一緒にポーカーに興じるオッサンたちも、みんな主人公の協力者でもある。
そう思って観ると、主人公は一匹狼のようにも見えるが、実は多くの人々から助けられることで仕事をこなしている。

しかし、そんな協力者たちとの心のつながりなど希薄なもので、気心が知れた仲とまでは言えない。
優しくされても主人公は心が満たされるわけでもなく、距離を縮めようとされると、まるで拒絶するかのようだ。
そんな感覚を武士道というのかは分かりませんが、少なくとも欧米の人々から見ると、そんな印象なのかもしれない。

そんな苦悩を本作のアラン・ドロンは台詞ではなく、表情一つ一つで表現しようとする難しい役どころだ。
確かに実に豊かな表現力で全てを物語っているようで、本作が彼の代表作と主張する人の気持ちもよく分かる。

ちなみにフランソワ・ペリエ演じる刑事が勧善懲悪な感じかと思いきや、結構、ダーティな取引をも辞さず、
ナタリー・ドロン演じるコールガールに“交渉”をチラつかせる側面を持っている。なかなか良い存在感ですね。
現実にこういう裏交渉もあるのでしょうが、相手を間違えると大変なことになるけど、一筋縄でいかないキャラクター。
主人公との直接対決が無いというのも変わっているけど、交じり合いそうで交わらないヒリヒリする緊張感が良い。
おそらく刑事の中にも焦りはあったと思うのですが、それを表に出さずにいる抑制された感覚も、また忘れ難い。

いずれにしても、本作はアラン・ドロンという役者の魅力について、一つの側面を的確に表現した作品です。
そして、ジャン=ピエール・メルビルの傑作でもある。これは絶対に風化させて欲しくはない傑作だと思います。

(上映時間105分)

私の採点★★★★★★★★★★〜10点

監督 ジャン=ピエール・メルビル
製作 ジョルジュ・カサディ
原作 アゴアン・マクレオ
脚本 ジャン=ピエール・メルビル
撮影 アンリ・ドカエ
   ジャン・シャルヴァン
音楽 フランソワ・ド・ルーベ
出演 アラン・ドロン
   ナタリー・ドロン
   フランソワ・ペリエ
   カティ・ロジェ
   カトリーヌ・ジュールダン