ブルックリン最終出口(1989年西ドイツ・アメリカ合作)

Last Exit To Brooklyn

まぁ・・・何と言うか、これは観ているだけで疲れちゃう映画ですな(笑)。

1952年、不況から大会社のストライキの最中、治安が悪化し、
法律も秩序も無い、正しくカオスな状態のブルックリンを舞台に、狂気の中に生きる人々に訪れる、
更なる困難と、新たな希望を描いた、カタルシスを感じさせる力作ヒューマン・サスペンス。

監督はドイツ出身のウリ・エデルで、81年の『クリスチーネ・F』で評価されて、
ハリウッドに招かれ本作を撮るチャンスを得るのですが、本作の後、92年にマドンナ主演で
全世界に波紋を呼んだ『BODY/ボディ』を監督してしまうんですよねぇ。なんでかなぁ(苦笑)。

おそらく賛否が激しく分かれる作品だとは思うのですが、
本作を観ていて、強い芯を感じさせる作品になっており、実にタフな映画に仕上がっている。

後に『レクイエム・フォー・ドリーム』も映画化された、
ヒューバート・セルビーJrの原作も凄いらしいのですが、個人的には『レクイエム・フォー・ドリーム』よりも、
本作の方が強く印象に残る作品になっていて、特に終盤になって、映画が徐々に暴走していく流れが圧巻だ。
それも、刺激的な描写によって、映画が暴走していくというわけではなく、人間描写によって暴走させるのが凄い。

文字通り、無法地帯を描いているわけなのですが、
まるで掃き溜めのような雰囲気を持つ、労働者階級のフラストレーションの塊が、
理不尽な形で行動に移した結果、犯罪をも容認されるコミニュティが形成される構図は実に絶妙で、
現代社会ではさすがにこういうエネルギーは無いだろうが、人間の罪深さを上手く切り取っている。

ヒューバート・セルビーJrの原作を読んだことはないから、
あまり強いことは言えませんが、ひょっとしたら彼は性悪説論者ではないのだろうか?

何か僅かな歯車の狂いが、積み重なるように大きくなって、
やがては無法地帯となってしまうまでの過程を見事に弁証していて、それでも何か一つのキッカケで、
人々は希望を持つようになり、未来へと歩み始めるということも同時に、描いてしまう要領の良さ。

意外に道徳的な映画という感じがして、
ウリ・エデルは本作を通して、「所詮、悪は悪である」とシビアに描いています。
そんな悪人たちには容赦なくって、まるで「社会に生きながら、更生することはありえない」と言っているかのよう。

売春、強姦、麻薬中毒、リンチ、殺人と、
次から次へと犯罪行為のオンパレードですが、この映画で描かれるブルックリンはホントに無法地帯。

警察も機能しているんだか、機能していないのかよく分からない状態で、
地域社会による自治も機能していないと、文字通り、カオスな状態になりますねぇ。
何故、そんなフラストレーションが溜まり、倫理観をも狂わされてしまうかと言うと、狭い社会だからだろう。

閉鎖的なコミニュティだからこそ、欲望が内側に向き始めて、
やがては見境なく仲間たちが、次から次へと犯罪の被害者になってしまう恐ろしさ。
「昨日の味方は今日の敵」とはよく言ったもので、いつ自分がターゲットになるか分からないという
恐怖心と隣り合わせの毎日というのは、ホントに怖いですね。この心理を上手く描けていると思います。

それを地で行くように、例えば組合の重要なポストを与えられていた、
スティーブン・ラング演じるハリーが、退廃的な生活を知り、次第に堕ちていくのですが、
当初は手当たり次第に、リンチや殺人未遂を繰り返すチンピラたちの行動を黙認し、
挙句の果てには警察に偽証までしていたにも関わらず、彼が堕ちていったなれの果てにあったのは、
なんのことはないチンピラたちのリンチのターゲットになってしまうことで、その恐ろしさを端的に象徴している。

映画の冒頭で、街頭でいつものように絡んでいたチンピラと娼婦を目撃した3人の海兵隊員が、
チョットした浮ついた気持ちから、チンピラと娼婦の女性を引き離そうとケンカを売ってしまうのですが、
すぐに復讐してきたチンピラが車で追ってきて、海兵隊員の一人が餌食になってしまうシーンが凄い。

まるでスリラー映画のように、凄まじい緊張感あるシーン演出になっていて、
捕まってしまった海兵隊員が、慈悲を乞うものの、情け容赦なく一方的に暴行を受ける、
凄まじいリンチをウリ・エデルは誤魔化さず、真正面から観客に直視させるというのが印象的でしたね。
ウリ・エデルはこのシーンを敢えて、映画の冒頭で描き、強いインパクトを与えようとしたのでしょう。

それだけでなく、チンピラたちの驚愕の蛮行を定期的に見せる。

ゲイの男の子が、チンピラグループの一人、ヴィニーに恋していた関係で、
やたらとチンピラに絡むのですが、チョットした話しの展開から、いつしかふざけ合いのターゲットになり、
すぐにエスカレートしてナイフを投げ合って、ターゲットとなってしまうシーンの狂気が圧巻です。

また、初めて“愛”という感覚が身近にあることを知ったかのように、
ジェニファー・ジェイソン・リー演じる娼婦のトララが、バーで自暴自棄になってしまうシーンの痛ましさ。
これはとても観ていてツラいシーンですが、何より喪失の痛みを初めて味わっていたトララがツラかったのだろう。
通常なら、日常にある感覚であるはずだったのですが、トララが生きていたコミニュティでは無かったのでしょう。
それを象徴するかのように、映画の中盤で彼女は言います。「アタシはブルックリンから、ほとんど出ないの」と。

この映画は、こういうシーンの積み重ねから成り立っているのが良いですね。
ウリ・エデルはこれだけ出来る映像作家なのに、大成しなかったのがホントに勿体ないですね。

タフな内容なので、賛否が分かれる作品かと思いますが、
映画はしっかりとクライマックスに、ある一つの希望を観客に提示して、終わります。
この希望も、観客にしっかり訴求するものであり、精神的に破綻した人々のその後を思うと、
ただ単にハッピーエンドという映画ではなく、人間の罪深さについて考えさせられる映画です。

音楽をダイアー・ストレイツ≠フマーク・ノップラーが担当しているのですが、
映画の中身があまりにタフだったので、あまり音楽まで吟味する余裕が無かったですね(笑)。

(上映時間98分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 ウリ・エデル
製作 ベルント・アイヒンガー
原作 ヒューバート・セルビーJr
脚本 デズモンド・ナカノ
撮影 ステファン・チャプスキー
音楽 マーク・ノップラー
出演 スティーブン・ラング
    ジェニファー・ジェイソン・リー
    バート・ヤング
    ピーター・ドブソン
    アレクシス・アークエット
    スティーブン・ボールドウィン
    キャメロン・ジョアン
    サム・ロックウェル

1989年度ニューヨーク映画批評家協会賞助演女優賞(ジェニファー・ジェイソン・リー) 受賞