僕たちのアナ・バナナ(2000年アメリカ)

Keeping The Faith

これはなかなかの出来ではあると思う。
正直言って、劇場予告編で観ていた内容からすると、少々違うタイプの映画だったんだけど、
人気俳優エドワード・ノートンの初監督作品としては、意外なぐらいに丁寧かつ堅実に作られた作品でした。

ただ、チョット長い。エドワード・ノートンなりに描きたかったことが多かったのでしょうが、
これは編集段階でもう少し削った方が、引き締まった良い映画になっていただろうと思えるだけに勿体ない。
(この手の映画で2時間越えは少々冗長に感じられるので、1時間50分以内が理想的)

個人的にはもう少し友情にスポットライトを当てて欲しかったのですが、
どうしてもロマンスの方にシフトしてしまいましたね。“友情”と“恋愛”の狭間で揺れ動く男女を描いているのですが、
僕はこの映画の場合は、もっと友情をメインに描いて欲しかったなぁ。宗教と恋愛というテーマもユニークだったけど。

勿論、この映画も描いていないことはないのだけれども、
チョット不可解だったのは、ヒロインのアナが最初っからベン・スティラー演じるラビに気持ちがいっているのが、
空港のシーンから見え見えで、既に“友情以外の何か”を感じさせるし、ラビとアナが結ばれるまでが早い(笑)。

たぶん、この辺はエドワード・ノートンもストレートに恋愛を描きたかったのだろうけど、
こういう題材なのであれば、ラビはラビなりにもっと“友情”と“恋愛”の狭間で悩む姿を描いて欲しかった。
この映画、僕の中ではそれだけが気になっていることで、それ以外はほぼ申し分ない感じなのですよね。

ヒロインのジェナ・エルフマンもTVシリーズ『ふたりは最高! ダーマ&グレッグ』でブレイクした頃で、
この手の映画のヒロインとしてはベストなキャスティングだ。16年ぶりの再会という設定ですが、
何度観ても空港で再会するシーンで、最初に現れる彼女を映したショットは、とってもクールで良い。
これはエドワード・ノートンの狙い通りに撮れたシーンだったのではないかと思いますね。

ニューヨークの街並みもエドワード・ノートンなりの愛着が感じられる映し方をしていて良い。
正直、彼は役者としては鬼才な側面を持っているので、こんなにコミカルな映画で初監督とは思わなかった。
ですが、決してイージーな気持ちでチャレンジした作品ではなく、キチッとしたビジョンを持った映画に感じられます。

映画の中盤にある、セントラル・パークでジョギングするブライアンを、
アナが猛スピードで追走するシーンは、まんま『マラソン マン』ですね。何気によくコピーできています。
これはブライアンの悪夢を描いたシーンなのですが、まぁ・・・これはオマージュと言った方がいいかもしれませんね。

そんな映画なだけにキャスティングはベン・スティラーはじめ、実に豪華な面々が揃いましたね。

そもそも、イーライ・ウォラックにミロシュ・フォアマンなんて、よく出演してくれたなぁと感心する。
ラビの母親役を演じたアン・バンクロフトも良いのですが、なんだかこの頃から体調が悪そうだったなぁ。
役作りかとも思ったのですが、ひょっとすると、この頃から闘病されていたのかもしれません。
(アン・バンクロフトは残念ながら05年に子宮がんのために他界されました)

確かに恋愛を禁じられ、生涯の禁欲を誓う神父と、いち早く結婚して後継者として活躍することを
周囲から期待されるユダヤ教のラビという好対照な2人が、実は幼馴染でお互いにそれぞれの世界で、
同じような手法で評価されて、30歳を目の前にして幼馴染の女の子を奪い合うという展開はユニークで面白い。

そこに、聖職をとるか、性欲をとるか、というエドワード・ノートン演じるブライアンの究極なテーマも
映画の中にさり気なくスパイスとしてブレンドされているのが特徴で、宗教と恋愛をテーマにした映画も珍しいと思う。

最近のエドワード・ノートンを見ていると、すっかり俳優業よりも映画を製作する側の仕事に興味があるようで、
映画出演のペースもかなり落ちているのですが、本作での仕事ぶりを見ると、周囲からも監督としての力量を
高く評価されていたのでしょう。そういう意味では、彼が描きたいことに徹したことは正解だったと思います。

ベン・スティラー演じるジェイクは何も躊躇することなく、アナとの恋愛にのめり込みますが、
ブライアンは聖職に身を捧げた立場として苦悩しますが、まるで“俗な気持ち”を抑えられない。
まぁ、映画は冒頭に泥酔するブライアンを映すので、往々にしてどういう展開になるのかは想像がつきますが、
それでもブライアンが意気揚々とアナの部屋へ行って、勢いに身を任せるように突撃するのは本作のハイライトだろう。

まるで人の話しを聞く感じではなく、アナを説き伏せるように迫る姿が、妙にコミカル。
この映画を観て、「エドワード・ノートンもこういう役を、ずっと演じたいと思っていたんだ」とも思いますね。
そのせいか、本作での彼の芝居はなんだか楽しそうだ。コメディ的な部分はどちらかと言えば、
ベン・スティラーではなく、エドワード・ノートンが受け持っていたような内容で、これはこれで少々意外でしたね。

まぁ・・・そんなドタバタがありながら、前述したように「チョット長いなぁ・・・」とも感じていたわけですが、
それでも映画のラストを飾る、3人がカラオケ・パーティーのステージで笑いながら並んでいたところを、
アン・バンクロフトが嬉しそうにカメラを持ってきて、「ハイ、笑って〜!」と言って撮ったスナップを観ると、
そういった不満も全て許したくなるような、ハートウォーミングな感覚があって、これはなかなか出来ないことだと思う。

やはり映画は、こういう印象的なシーン一つあるだけで、まるで違うステージに昇華すると思います。
つまり、それまでの難点を許容したくなるぐらいの、「あぁ、観て良かったな」と思わせられる力になるということです。
僕はこの映画のラストには、そんな力があると感じたし、それが出来たエドワード・ノートンがスゴいと思う。

性別を超えた親友関係って、成り立つことだとは思うけど、スゴいことだなぁと思う。
その理由はしっかり本作が描いている。それは、やっぱり男女が共に過ごす時間が長くなるということは、
恋愛感情を抱く可能性があるわけで、実際、ブライアンとジェイクにとってアナは憧れの存在だったわけですね。

これは避けては通れないことなのではないかと思う。
別に下心があって、ということではなくって、男女が共に仲良く長い時間を過ごすということは、
常にお互いに恋愛感情を抱く可能性があるわけで、10年以上も長らく会っていなければ尚更のことだ。

だから、男女が恋愛感情なしに末永い友情関係を築くためには、
僕は適度な距離感がやっぱり必要なのではないかと思う。「たまに会う」くらいの感覚が丁度良いのかも。

だからこそ、僕は自分の感覚では難しい、男女の友情関係ということに敢えてシフトして欲しかった、
という本音はありますが、この映画でエドワード・ノートンが描きたかったことは、チョット違ったようです。
でも、だからと言って、僕はこの映画の価値を損なうものだとは思わないし、丁寧に作られていて良い作品だと思う。

ちなみに劇場予告編でもフィーチャーされている本作の主題歌とも言える、
ピーター・サレットの Heart Of Mine(ハート・オブ・マイン)は良い曲ですね。どことなく70年代の空気を感じる曲です。
アレンジは現代風ですが、ソフトロック、若しくは70年代のシンガソングライター・ブームの頃のような雰囲気です。
おそらくエドワード・ノートン自身、かなり映画を彩る音楽の選曲にも“楽しく”悩んだのではないでしょうかね。

本作が日本で劇場公開された頃、僕は高校3年生の冬で映画を観まくっていた時期ですが(笑)、
本作は全米でそこそこのヒットになっていたのが、その半年以上前のことで、てっきり未公開で終わるかと
思っていたのですが、なんとか当時は単館系とは言え、無事に劇場公開されてホッとしたことを覚えています。

ずっと温めていた企画だったのでしょう。とても大事に作られたことがよく分かる、とても温かい作品だ。

(上映時間129分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 エドワード・ノートン
製作 スチュアート・ブルムバーグ
   エドワード・ノートン
   ホーク・コッチ
脚本 スチュアート・ブルムバーグ
撮影 アナスタス・N・ミコス
編集 マルコム・キャンベル
音楽 エルマー・バーンスタイン
出演 ベン・スティラー
   エドワード・ノートン
   ジェナ・エルフマン
   アン・バンクロフト
   イーライ・ウォラック
   ロン・リフキン
   ミロシュ・フォアマン
   リサ・エデルスタイン
   ホーランド・テイラー