ニューヨークの恋人(2001年アメリカ)

Kate & Leopold

うーーーーーん...これは今一つだった、かな・・・。

1876年のニューヨークに生きるレオパルドが、叔父から結婚するように強いられており、
とあるパーティーで結婚相手を見つけなければならない中、挙動不審な男を発見して追い詰めたところ、
一緒にブルックリンの橋から転落したことで、2001年のニューヨークへタイムスリップしてしまい、
そこで出会った、広告会社の出世の鬼である女性ケイトと、徐々に距離を縮めていく恋を描いたロマンス。

監督は『17歳のカルテ』が高く評価されたジェームズ・マンゴールドで、
一転して本作ではコテコテの恋愛映画を撮ったのですが、どうにも上手くいかなかったですね。
“ラブコメの女王”とまで言われたメグ・ライアンも、本作を観る限りはもうキビしかった、という感じがする。

結構なSF映画としての要素を持った作品だと思うのですが、
その割りにはタイム・パラドックスはとっ散らかったまま、映画を終わらせてしまうし、
ケイトとレオパルドがお互いに惹かれ合う過程の描写も、端折った部分もあり、どうにも説得力が無い。

それでも劇場公開当時、それなりにヒットしたのは時代の勢いもあったのかな。
まだギリギリ、メグ・ライアンのネーム・バリューで映画をヒットさせられる力はあったかもしれません。

生きる時代が違う男女の恋愛ですから、いろいろな価値観が大きく異なる者同士の恋なわけで、
いくらでもハードルがありそうなのですが、そのハードル全てがあまりに低い感じで、紳士のレポパルドが
2001年の時代性に適応するのも、あまりに早過ぎる。恋愛映画ですから、そんなハードルを乗り越えてこそ、
恋愛が成就する面白さを描く必要があると思うのですが、本作はそのハードルをあまり感じないから盛り上がらない。

強いて言えば、「このマーガリンはマズいじゃないか!」と怒り始めることぐらいで、
結局は1876年に戻らなければならないというファクターに依存し始めてしまって、やっぱりSF映画なのかと思った。
僕は本作のことを恋愛映画として考えていたので、やっぱり2人の恋愛が成就する難しさをもっと描いて欲しかった。

とすると、ほとんどこの映画はヒュー・ジャックマンのカッコ良さに依存しているのですよね。
さすがにあそこまで紳士っぷりを発揮されると、誰だって勝てませんよ。あっ、だからケイトが惹かれたのか(苦笑)。

でもさ、そんな素晴らしい紳士でも、いざホントに付き合うとなれば色々な障害があって然るべきだし、
乗り越え難い高さ、若しくは数多くのハードルで、思わず諦めてしまいそうになるぐらい、過酷な現実があってこそ、
それを乗り越える力強さが生まれてくるわけで、この映画にはそういったエナジーがほぼ無いと言ってもいい。
ケイトとレオポルドの恋の駆け引きや、やり取りにも面白さはあまり感じられず、映画のテンポが良くない。

これでは、魅力的な恋愛映画に仕上げることは、ほぼほぼ不可能だと言っていいと思います。
ホントはこういったところが、本作でジェームズ・マンゴールドの手腕が問われていたと思うので、
デビュー作も恋愛映画だったようですが、ジェームズ・マンゴールドはドラマ系の作品の方が合っているのかもしれない。

僕には本作を通して、ジェームズ・マンゴールドが何を描きたかったのかが、よく分からなかったのですよね。
恋愛映画にしても、SF映画にしても、どちらにしてもこの内容では悪い意味で中途半端ですしね。

物語の発想としては面白いと思うんだよなぁ。1876年のレオパルドが、100年以上先の未来へタイムスリップして、
2001年では忘れ去られていたような紳士の振る舞いをしたところ、この時代の女性の心に触れるものがあって、
更に感化された紳士までもが恋に落ちて、お互い相思相愛になるものの、1876年に戻る時間が迫っている・・・という。
繰り返しになりますが、レオパルドが2001年に順応する苦労と、ケイトとの恋が成就するまでの苦労がしっかりと
描けていれば、きっとこの映画はもっと光輝いただろうし、もっと魅力的な仕上がりの作品になっていたでしょうね。

メグ・ライアンは相変わらずの美貌なのは分かるけど、
この映画の場合は、特に前半が少々ギスギスした性格が垣間見れて、親しみにくい雰囲気を感じてしまった。
ある意味では、若さだけで“売って”いくスタイルではないと意識して役作りしたのかもしれませんが、
もう少し映画としてもライトな感覚で観れるラブコメを目指していたと思うので、キャラクター的に重過ぎない方が良い。

キャリアウーマンとしてのケイトを強調したかったという意図はよく分かるのだけれども、
映画を最後まで観ていて感じるのですが、“デキるオンナ”がこれだけのリスクを背負って、しかも現代の生活を
投げ出してまでも、1876年のレポパルドを追って行こうとするには、そうとうな覚悟が必要なはずで
映画の前半のケイトを観ていると、とてもそんな感じではない。もっと思い切って明るい性格の方がシックリ来たかな。

とは言え、この映画の場合はそういう細かい無粋なことを言っては、始まらないのかもしれない。
そういう意味では、作り手も開き直って「細かいことは気にしないぜ〜」と、もっと“振り切った”ラストにすれば、
映画自体がもっとブッ飛んだ内容になって、ラストのとっ散らかったまま映画が終わるもキマったかもしれません。

そこをジェームズ・マンゴールドも真面目に、収めようとしちゃったんですよね。。。
うーーん、やっぱり僕の中ではどうしても色々と噛み合っていない映画という印象が拭えないんだなぁ(苦笑)。

ケイトの元カレを演じたリーブ・シュライバーはもっと注目されても良かったと思うんだよなぁ。
残念ながら映画俳優としては、あまりブレイクしなかったのですが、本作でも悪くない存在感だったと思う。
この頃は何本か規模の大きな映画に出演していたので、個人的にはもっと活躍するかと期待してましたが・・・。
映画の最後にも、結構優しい性格の元カレみたいな感じになっていて、実は“おいしい”役どころだったとも思います。

そんなリーブ・シュライバーとは対照的に、一気にスターダムを駆け上がったのは、
レオパルドを演じたヒュー・ジャックマンでした。まぁ、本作の前に『X−メン』への出演で既にブレイクしていたので、
どちらかと言えば、本作もヒュー・ジャックマンの人気にあやかりたかったというプロダクションの思惑はあっただろう。

本作のヒュー・ジャックマンはそりゃまぁ・・・男から見ても、カッコ良い紳士ですよ(笑)。
映画の中で登場した、あのマーガリンのCMの芝居はクサ過ぎるけど、それでも彼がCMに起用される意味は分かる。
そういう意味でも、このレオパルド役にヒュー・ジャックマンというのは正しくベストキャストだったのでしょう。

なので、やっぱりこの映画は作り手の問題は大きかったと思うんだよなぁ。
もっとラブコメの分野で経験があるディレクターが撮っていれば、映画の仕上がりはもっと違ったかもしれないし、
場合によっては、もっとSF色の濃い映画になっていたかもしれません。そうすると、差別化も図れたと思うんだよなぁ。
映画のベクトルもハッキリしてくると思うんで、悪い意味での中途半端さが無くなり、もっと良くなったと思うのです。

ちなみに映画の中で、さり気なくオーチス・エレベーターが登場してきますが、
知らなかったのですが、この会社の創業者はエレベーターの落下防止装置を開発したエリシャ・オーチスらしい。

エレベーター自体は電気ではなく、水圧を利用したものが19世紀始めには登場しており、
そのうちに蒸気機関を動力にしたものが開発されて、いろんなところで使われていたようなのですが、
スピードがとても遅く、安全性にも問題があり、落下事故も起きていたようです。そこで落下防止装置が発明され、
同装置を付けたエレベーターが、オーチス・エレベーターとして広く普及し、エッフェル塔などでも採用され、
世界的にもとても歴史があり、信頼度の高いブランドとしてアメリカ発の世界最大のエレベーター会社になりました。

正直、僕はエレベーターって、そんなに歴史が深い乗り物だとは思っていなかったので、
このオーチス・エレベーターの歴史に驚きましたね。確かに、今でも“Otis”のロゴがついたエレベーター、ありますねぇ。

本作でヒュー・ジャックマン演じるレオパルドが、このエリシャ・オーチスをモデルとしているらしく、
映画の中でそれを“匂わせて”いるのですが、なんでそんな設定にしたのか、僕には最後の最後まで真意が不明でした。

(上映時間118分)

私の採点★★★★★☆☆☆☆☆〜5点

監督 ジェームズ・マンゴールド
製作 キャシー・コンラッド
原案 スティーブン・ロジャース
脚本 ジェームズ・マンゴールド
   スティーブン・ロジャース
撮影 スチュワート・ドライバーグ
音楽 ロルフ・ケント
出演 メグ・ライアン
   ヒュー・ジャックマン
   リーブ・シュライバー
   ブレッキン・メイヤー
   ナターシャ・リオン
   ブラッドリー・ウィットフォード
   フィリップ・ボスコ

2001年度アカデミー歌曲賞(スティング) ノミネート
2001年度ゴールデン・グローブ賞歌曲賞(スティング) 受賞