隠し砦の三悪人(1958年日本)

これは文句なしの傑作、何度観ても面白い!

まぁ、この時代にこれだけのエンターテイメント性を持って描き切った時代劇というのは、
とても希少であったと思うし、製作費の高騰に加えて、撮影期間が伸びたなどといったこともあったものの
興行的には大成功を収め、ベルリン国際映画祭でも上映されて高く評価されるなど、世界中から賞賛された。

千秋 実と藤原 釜足の2人が演じた太平と又七の農民コンビは、ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』で
R2−D2とC−3POのモデルとなったことは有名ですが、エリック・クラプトンも本作のことを敬愛しているらしく、
海外の映画人やセレブリティにも未だ愛されている、日本映画を代表する作品と言っていいと思います。

勿論、同じ黒澤 明の監督作品で言えば、『七人の侍』なども有名でハリウッドでもモデルにした映画が
誕生したので、甲乙つけ難い部分はありますが、僕はそれでも後年への影響力は本作が秀でていると思う。

映画は動乱の戦国時代を舞台に、敗国の侍である真壁 六郎太がお世継ぎの姫と、
再興のための資金を手に、敵国を突破して同盟国へ逃げるにあたって、捕虜となって埋蔵金とされる、
自分たちの資金を探していた農民二人が、口からでまかせを言った奇想天外なアイデアが気に入り、
この農民二人を水先案内人のようにして、同盟国へ姫を安全に届けようとする姿を描いた、痛快時代劇です。

これは十分なエンターテイメントであり、そしてコメディ映画としての土台も持っています。
そもそも太平と又七の農民コンビの凸凹ぶりと、強欲ぶりがコメディとして十分な役割を果たすわけですが、
六郎太の計算高くも、たまに自棄(やけ)になったかのように行き当たりばったりに立ち回る姿も面白い。

活劇シーンはそこまで多くはありませんが、映画の中盤にある六郎太と彼の宿敵であり、
心通い合うところがある敵将の田所 兵衛と、槍を使って決闘するシーンは息を呑む緊張感があって、
しかも工夫された撮影、視点をもって撮られており、正しく映画の醍醐味に溢れている大傑作と言っていいと思う。

それだけでなく、一行の素性に疑問を持った敵軍の武士を六郎太が叩き斬るために、
馬上から刀を下ろすなんて大迫力のシーンを、1958年という時代に堂々と真正面から撮っていたことに驚かされる。

こんなことを日本映画で当たり前のようにやってのけていた黒澤 明というのは、
やっぱり日本映画の監督としてはパイオニアですね。これはなかなか無い、実に素晴らしいカメラだと思います。
これを引き出したのは、やっぱり黒澤 明なのだろうし、当時のスタントや馬の調教師は大変な苦労だっただろう。

太平と又七が金を忍ばせた薪の存在に気付き、それに執着することを六郎太は利用しようと考え、
太平と又七を同行させますが、結局は欲に目が眩んでしまう太平と又七は、六郎太の言うことは全く聞かずに
ちょいちょい六郎太を裏切りますが、バレるたびに太平と又七は“お仕置き”をされたりして、戻ってきます。
普通なら六郎太がキレまくるようなことを、平然と太平と又七もやってしまうのですが、六郎太からしても姫を守るために
太平と又七にいなくなってもらっては困るので、威圧したり、いなしたりして、なんとかグループを保とうとします。

彼らのやり取りで、どことなく面白かったのは、一行が或る集落の祭り会場近くに辿り着き、
あまり村人たちに絡むことなく、太平と又七が薪を乗せた車を引っ張って通過しようとしたところ、
スゴい熱気を帯びた祭りで、規模の大きな焚火を行い、火を前にみんなで踊るという祭りが最高潮を迎えます。

それでも、知らぬ顔で薪を引っ張り、通り過ぎようとする太平と又七であったものの、
結局は村人に呼び止められて、車の荷台に積んでいる薪を、火の原料として投入されそうになって、
それを必死に止める太平と又七を見て、怪しまれることを恐れた六郎太が、割って入っていって「薪を燃やせ!」と
言い放って、村人たちが薪を奪って火にくべるシーンが最高に面白い。このシーンを観て、本作の喜劇性に気付きます。

まるで六郎太からは、「ああ! コイツらに任せちゃおけねぇ!」とでも言わんばかりに、
薪を次から次へと、まる自棄になったかのように投入していく光景に、黒澤 明の懐の深さを感じさせます。

本作で描かれる六郎太も、決して賢いとか、計算高いようなキャラクターではなく、質実剛健ではあるが、
どこか行き当たりばったりなところはある。ただ、太平と又七を利用しようとする、小ズル賢さみたいなものはあるけど。
ただ、そんな六郎太も状況を読んで、瞬時に判断するあたりがピンチに強い男を強調するかのようで、
「ええぃ! 燃やせ! 薪を燃やせ!!」と鬼気迫る表情で、まるで自棄(やけ)になったように薪を投げる姿が印象的。

僕はこの瞬間こそ、映画でしか描くことができない感覚を映像化したと捉えていて、
この六郎太の心情の変化と、瞬時に判断する能力の高さは、映画化したからこそ出来た表現であったと思う。
言わば、そんな映画の本質を黒澤 明は既に追求していたのだろうし、こういうところが本作の魅力だと感じます。

そして、田所の「裏切御免!」の一言も何とも痛快で、これはあくまでエンターテイメントなんだとハッとさせられる。

肝心かなめの姫を演じた上原 美佐は本作でデビューし、数本の映画に出演しただけで引退したようですが、
思えば、唖(お)しであるという設定でありながらも、随分と大胆で奔放なキャラクターだったと思います。
太ももをチラッと見せて眠ってしまったり、そのまま胡坐をかいて座ったり、身分が身分なだけにそういった態度を
とるという設定だったのでしょうが、時代劇の姫というよりも、現代の奔放な女性に通じるものがあるような気がする。

台詞が棒読みだとか、いろいろ言われていますけど、僕はそこまで気にならなかったけどなぁ。
それよりも、彼女のようなキャラクターを時代劇の中で堂々と登場させたというのが、当時としては希少だったと思う。
まぁ、太平と又七が彼女のことを簡単に唖(お)しだと信じてしまうのは違和感がなくはないけど、彼女の存在感は強い。
彼女自身、思い悩むものがあったのかもしれませんが、このまま映画女優を続けていたら、大女優になっていたかも。

最終的に太平と又七も、お互いを思いやる性格になっていくのも、なんとも心憎い演出だ。
最初はお互いの欲望丸出しなので、幾度となくぶつかり合い、騙し合いして思いやる気持ちなんてゼロだけど、
幾度となくピンチが連続し、なんとか生き永らえ、少なからずとも褒美を受け取り、姫からお褒めの言葉をもらえば、
お互いの欲望や自我を押し通すことよりも、どこか状況を客観視して、相手を思いやる心の余裕が生まれてくる。

2人の心変わりする様子は、少々、説教クサい部分もあるような気はするけど、
どこかギスギスした現代社会にも通じるメッセージのように感じるし、やっぱりお互いを思いやる心は大切だと実感する。

賛否はあると思いますが、個人的には黒澤の監督作品としても愛着のある映画であり、
今まで観た映画としては生涯ベスト10には入ると思っているせいか、どうしても贔屓目が入るとは言え、
黒澤 明の集大成的作品だったのではないかと思います。細部で黒澤のこだわりも強かったのではないかと思う。
前述した火祭りでの踊りのシーンにしても、エキストラを集めて教育して躍らせたというものではないようで、
キチンとした日劇のダンシング・チームを雇って、ミュージカル映画ばりに踊りの迫力を表現するなど、斬新な手法だ。

当時はいわゆるミュージカル映画ではなく、時代劇の映画でこんな融合を見せた演出は
とても希少なもので、当時の映画ファンはこの発想を見て、どう感じていたのか知りたいなぁと思いますね。

しかも、本作は初めて黒澤 明がシネマスコープ(シネスコ)で撮影しようと決めた作品であり、
ワイドスクリーンとしての良さを追求していた時期だったのかもしれませんが、ただ、映画の内容がタイトルにも
なっている六郎太が潜伏していた砦が、小高い土砂の山を舞台にした撮影が強いられることは明らかだったのに、
それで敢えてシネスコを採用した、黒澤の狙い・意図が一体何だったのか正確なところが、興味ありますねぇ。

きっと表に出てこない何かが、黒澤の狙いとしてあったのではないかと邪推してしまうのですが、
まぁ、シネスコを採用したおかげで馬上の六郎太が、逃げる敵軍の武士たちを追いかけて刀を下ろすシーンなど
戦闘やチェイス・シーンをダイナミックに見せることに成功したのでしょう。そういう意味では、シネスコも正解でした。

何度観ても、僕は日本映画を代表する大傑作だという意見に変わりはありません。
こういうクオリティの作品をコンスタントに製作していたのですから、当時の黒澤は国際的な評価が抜群に高く、
実際に数多くの映画賞で賞賛されていたわけですが、その理由は本作の中身を観れば分かりますね。

いや、面白いですもん、やっぱし。一度は観ておいた方がいい、傑作エンターテイメントです。

(上映時間138分)

私の採点★★★★★★★★★★〜10点

監督 黒澤 明
製作 藤本 真澄
   黒澤 明
脚本 黒澤 明
   菊島 隆三
   小国 英雄
   橋本 忍
撮影 山崎 市雄
美術 村木 与四郎
音楽 佐藤 勝
出演 三船 敏郎
   上原 美佐
   千秋 実
   藤原 釜足
   藤田 進
   志村 喬
   藤木 悠
   加藤 武

1959年度ベルリン国際映画祭監督賞(黒澤 明) 受賞
1959年度ベルリン国際映画祭国際評論家連盟賞 受賞