シノーラ(1972年アメリカ)

Joe Kidd

この頃のイーストウッドが出演した西部劇には、ハズレがないと勝手に思っていましたが、
それは撤回(笑)。いや、ありましたわ。本作、思わずイーストウッド自身が監督していたら、
映画の中身、見栄え、出来はどうなっていたのだろうか?と思わずにはいられない内容でした。

監督はベテランのジョン・スタージェスで、晩年の作品ではあるのですが、
正直言って、西部劇スターとしてのイーストウッドの魅力をフルに生かし切れていないのが残念。

どうやら、日本では劇場公開当時、ハリウッド版『荒野の用心棒』みたいな感じで宣伝していたようですが、
それにはさすがにこの内容では無理があって、この映画のイーストウッドはとにかくやたらと喋る。
映画の冒頭こそは、無口でベッドに横たわっているシーンから始まりますが、以降はとにかく口数が多い。

そして、相変わらずの女ったらし(笑)。
ロバート・デュバル演じる大地主ハーランに罰金を支払ってもらって、ホテルに呼び出されたので、
指定されたホテルの部屋の前に着いた主人公のジョーだったものの、隣の部屋を借りているハラーンの情婦に
色目を使われたからと言って、ズケズケと彼女の部屋に強引に入り込み、ハーランとの関係を勝手に推理し、
挙句の果てには彼女とキスしてしまうという、なんだかハチャメチャな展開がイーストウッドらしい。
(そもそも、このシーンの必要性がよく分からず、よく編集段階でカットしなかったなぁ・・・と感心した)

なんか主人公の“手の速さ”がどこか胡散臭いというか、案の上、彼のキャラクターに説得力が無くって、
冒頭の牢屋で寝ていたシーンでは、不気味さを残したアウトローなイメージでスタートしたにも関わらず、
いざ戦ってみると、本人はスゴ腕のスナイパーだけど、無用な血を流すことに反対してハーランを裏切るなど、
見かけによらず常識的なところがあって、倫理的には良いんだけど、どこか噛み合っていないように見える。

この辺は本来的には監督のジョン・スタージェスがバランスをとってあげなきゃダメだと思うんだけど、
根本的にジョン・スタージェスって、そこまで器用なディレクターではないから、やっぱりこれは人選ミスだと思う。

脚本がエルモア・レナードというのも意外だったけど、別に気の利いたシーンがあるわけでもなく、
元々西部劇のシナリオや小説を書いていたエルモア・レナードの得意分野なだけに、この特徴の無さが残念。
というわけで、僕の中ではいろんな部分で上手く機能しなかった映画、という印象で終わってしまったんですよね。

ジョン・スタージェスと言えば、何と言っても60年の『荒野の七人』が彼の代表作ですが、
イーストウッドのようなミステリアスさを残した主人公を描くよりも、善悪の構図をハッキリとさせた映画の方が
向いていたのかもしれません。本作は全体的に中途半端な内容に感じられ、どこか思い切れていない。

それから、意外なほどにガン・アクションに乏しい内容なのが寂しい。
70年代に入ると、西部劇も斜陽なジャンルになりつつある時代だったかとは思いますが、
そうなだけに新しいタイプの西部劇も何本か作られ、本作もそんな狭間で揺れ動いた企画だったのかもしれません。
時折、ハチャメチャな演出があるのは面白いですが、肝心かなめのガン・アクションがあまりに目立たない。

映画の終盤で“シノーラ”の町に戻ってきてから、激しいガン・アクションがクライマックスを飾るのかと
僕は勝手に期待していたのですが、せっかくのイーストウッドも腕前を披露せずに映画が終わる。

名優ロバート・デュバルが、悪役に立って、主人公に立ちはだかるのにも関わらず、
主人公ジョーと大地主ハーランの対決が、あまりに盛り上がらずに、これもまた寂しい。
確かに、何故か法廷で対峙するという発想は面白いのですが、どうにもアッサリと2人の対決が“処理”されてしまう。

ただ、何故か主人公ジョーが蒸気機関車に目をつけて、
故意に“シノーラ”の市街地に暴走させて、いきなり建物の中に突っ込んでくるという発想が面白い。
これは、実際にそういう意見がでていますが、まんま『ガントレット』だ。そう、本作は西部劇版『ガントレット』なのだ。
イーストウッドも、『ガントレット』のシナリオを読んで、きっと本作のことを思い出したのではないだろうか。

建物の中に機関車が突っ込んでくるシーンは、セット撮影の集大成とも言うべきシーンで、
頑張って作ったであろう“シノーラ”の町のセットを、大々的に破壊するシーンとなっていて、
おそらく本作の作り手も最も気合の入った演出を求められるシーンで、本作のハイライトと言っていいと思う。

確かに屋外での銃撃戦になって、屋内からのスナイパーがいる時なんかは、
潜んでいる建物に奇襲を仕掛けることが効果的に思えるんだけど、機関車で特攻するという発想がスゴい。
このシーン、あまりに唐突にやってくるので、主人公のジョーの思いつきでやったかのように描かれてますが、
この唐突さは、76年の『大陸横断超特急』のクライマックスの駅への突入シーンが思い出されます。

このハチャメチャさは良いんだけど、結果として映画はそこまで盛り上がりません。
個人的には、もう少しドラマ部分を掘り下げた方が、この映画の場合は良かったのではないかと思う。
ガン・アクションがあまり激しくは展開されないので、中途半端な部分はドラマ描写で埋めるしかない思います。

イーストウッドも「法廷で闘え!」ですからね。その割りに、ラストは判事の席から銃を構えますが。。。

まぁ、ジョン・スタージェスが監督ですから、ドラマ描写が得意ではないだろうし、
エルモア・レナードもそんな気はないとは思いますけど、追われる立場となる組織のリーダーである
チャマの存在なんかは、描き方が適当な感じでもっとキチッとスポットライトを当ててあげれば良かったのに・・・と思う。

このチャマは、映画の冒頭で“シノーラ”の法廷に乗り込んで騒ぎを起こすのですが、
町の警察から“お尋ね者”として追われ、大地主ハーランの反感をかって追われ、挙句の果てにジョーの家族を
チャマらが痛めつけたためにジョーの怒りもかうわけですが、町から逃げ出してからはずっと隠れている。
彼の言い分は「オレは捕まるわけにはいかない。オレが捕まったら、誰がリーダーになるんだ?」と豪語します。
確かにそれが現実かもしれないけど、こんなリーダーにカリスマ性を感じるなんて、話しに無理がある(笑)。

暴力が繰り返される西部の歴史の中で、こんなリーダーっていたのだろうか?と疑問に思える。。。

このチャマを演じたオッサン、どこかで観たことがあると、ずっと思っていたのですが、
彼はジョン・サクソンという役者さんで、73年の『燃えよドラゴン』でブルース・リーと対決した、あのオジサンですね。
1950年代から俳優として活躍したキャリアの長い役者さんでしたが、残念ながら2020年に他界されました。

とまぁ、そんなわけで映画の出来はそこまで良いとは言えません。
イーストウッドの熱心なファンであれば観ておいた方がいいかもしれませんが、単純に西部劇が好きな人や
ガン・アクションに期待する人には向かない作品で、イーストウッドが出演した西部劇としては、ハズレだったかな・・・。
(一風変わった西部劇が好きとか、イーストウッドが観れればそれで良いという人にはオススメできるけど・・・)

ただ、この映画でイーストウッドが演じるジョーも根っこは正義を信じる男で、
不条理な迫害には賛同できず、正義のためには彼自身も立ち上がる覚悟があるという男だ。
なんだか納得性に欠けるキャラクターではあったものの、根底にあるものは彼が演じ続けてきたキャラクターです。

ちなみにブルース・サーティースのカメラは相変わらず美しく、異彩を放っています。

(上映時間87分)

私の採点★★★★☆☆☆☆☆☆〜4点

監督 ジョン・スタージェス
製作 シドニー・ベッカーマン
脚本 エルモア・レナード
撮影 ブルース・サーティース
音楽 ラロ・シフリン
出演 クリント・イーストウッド
   ロバート・デュバル
   ジョン・サクソン
   ドン・ストラウド
   ステラ・ガルシア
   ジェームズ・ウェインライト