J・エドガー(2011年アメリカ)

J.Edgar

うーーん...観る前は、結構、期待してたのですが、
これはイーストウッド監督作品ということを差し引いても、正直、評価に困る映画ですね。

最近のイーストウッドの監督作品としては、見応えという観点から、パワーダウンした感は否めない。

商業的には失敗したが、僕は08年の『チェンジリング』にはいたく感動し、
今尚、イーストウッド21世紀に入ってからの最高傑作として記憶しているのですが、
本作も観る前までは、ひょっとしたら『チェンジリング』を越えるかも?と淡い期待をかけていました。
それは伝記映画だからという理由が大きいのですが、本作はテーマに溺れてしまった感が強いですね。

この映画の主人公であるジョン・エドガー・フーヴァーは、若くしてFBIの初代長官に起用されて以来、
先端を行く科学捜査の必要性を訴え、整備をして、解決困難な事件に挑むというスタイルを打ち出し、
幾多の大事件に取り組み、今や大組織となりましたが、晩年までそのFBI長官というポジションに固執し、
更に晩年はマフィアからの収賄疑惑など、様々な嫌疑の目を向けられたという、有名な人物である。

そうであるがゆえ、おそらくイーストウッドにとっても、
とても重いプレッシャーがかかる企画であり、半分、手探りで撮っていたのではないかと思える。

一見すると、慎みを持って描かれた映画のように思えるのですが、
観終わった後の率直な感想としては、伝記映画特有の重たさが今一つ希薄な印象で、
「見応えのある映画だった」という感想を抱くことができなかった。どことなく、表層的な映画に映ってしまったなぁ。

決して、「つまらない映画」と切り捨てることは僕はできないのですが、
反面、この映画を通して、感じたことと言えば、フーヴァー長官がやってきたことと彼の性格ぐらいだろう。
本来的には、この映画はフーヴァー長官の実像に、もっと力強く肉薄しなければならない作品なはずなんです。

確かにレオナルド・ディカプリオは見事な熱演です。
やはり彼は『ディパーテッド』での共演が縁で、ジャック・ニコルソンに触発されたと聞きましたが、
これはホントでしょう。本作でも、完全に熱演型の役者に変貌を遂げていますね。
役者としての仕事のペースを抑えたいとコメントしているそうですが、これからも期待したくなる存在ですね。

個人的には、特殊メイクを駆使して、晩年のフーヴァーらを表現するのですが、
これもまた、中途半端なこだわりのように感じられる。これなら、別の役者に演じさせた方が良かったと思います。
さすがに声までは加工しなかったせいか、声だけが異様に若く聞こえるのが違和感を抱かせますね。

とは言え、一つだけ一貫しているなぁと感心させられたのは、
フーヴァーの異常なまでに名声を得ること、分かり易く言えば、感謝されることに執着していることに関して、
イーストウッドは映画の最初から最後まで描き通したことですね。フーヴァーが母が亡くなるまで、
母と同居しておりましたが、映画の前半で描かれたように、フーヴァーは若い頃から母親に精神的に支配され、
僅かに歪んだ感情を内包しながら成長し、結婚適齢期になっても同世代の女性に上手くアプローチできません。

自信過剰気味に振る舞うよう、若い頃から母親に教育されてきた影響もあり、
女性との交際は全く上手くいかず、次第に彼は他人を信用できなくなってしまいます。

更に我を押し通すことに決めたフーヴァーは、仕事でイエスマンしか置きません。
彼は意見されることを激しく嫌い、採用面接にあたっても、少しでも気に入らないところがあると、
部下を片っ端から“切って”いき、自分がやりたいことを、やりたいようにできる環境を作っていきます。

まぁフーヴァーは志しは、彼なりの正義に基づいていたせいか、
彼の信念を正しく貫いていれば、そんなにおかしな結末は迎えなかったはずなのですが、
フーヴァーは周囲の助言など聞く気はなく、いち早く大衆から賛美を得られる方策にでます。
外的圧力でフーヴァーに異を唱える勢力があれば、彼はすぐに敵対勢力と見なし、彼はストレスに感じます。

賛美を得るためであれば、どんな手段でも使うという彼のスタンスは、
晩年に様々な嫌疑の目を向けられる契機となり、次第に彼はFBIに対する愛情が強いあまり、
ワンマンを通り越して、まるで独裁者のように権力の象徴として君臨しようと、FBI長官の座にすがるのです。

しかし、彼は実質的に手柄を自分のものとしてアピールすることを止めず、
次第に“裸の王様”のように変貌してしまっている現実を、頑として認めようとしません。

こういったところから、イーストウッドはフーヴァーが晩年まで貫いたスタイルが
結果的には仇(あだ)となって、彼が思い描いていた結末には辿り着けなかった原因として描いている。
この分析は、この映画独自の解釈だとは思うが、僕は極めて客観的で冷静な分析だと思う。
イーストウッドが貫いた演出スタイルとして、最後の最後まで客観的に貫けたことに価値はあると思います。

この映画は、もう一押しが欲しかった。イーストウッドだから、それはできたはずです。
そういう意味ではシナリオ段階からの見直しが必要な作品でしょうね。フーヴァーの若い頃から晩年まで、
時制をコチャ混ぜにして語ってしまったのも、結果として正解だったとは言い難いように思います。

フーヴァーが実はマザコンで、ホモセクシャルであったことに言及するのはいいが、
同じフーヴァーについて掘り下げるにしても、もっと他に掘り下げるべき箇所はあったはずだ。
せっかく、フーヴァーが現代の捜査スタイルを採り入れたパイオニアであったことを描いているのですから、
リンドバーグ事件の捜査に関して掘り下げたり、そういった近代的手法に対する反発との軋轢など、
もっともっと映画を奥深いものにするために、掘り下げるべきセオリーがあったと思うんですがねぇ。。。

おそらくフーヴァーはイーストウッドが幼い頃から有名な存在であり、
中年期を迎えるまで、ずっとフーヴァーはFBI長官として君臨したわけですから、アメリカ国民として、
特別な存在であったからこそ、イーストウッドはフーヴァーの伝記映画を撮ろうと思ったのだろう。

そういう意味で、この映画の出来は残念ですね。
こういう言い方はイーストウッドには失礼ですが、映画賞レースに無縁だった理由がよく分かる気がします。

(上映時間136分)

私の採点★★★★★★☆☆☆☆〜6点

監督 クリント・イーストウッド
製作 ブライアン・グレイザー
    ロバート・ロレンツ
    クリント・イーストウッド
脚本 ダスティン・ランス・ブラック
撮影 ジョエル・コックス
    ゲイリー・D・ローチ
音楽 クリント・イーストウッド
出演 レオナルド・ディカプリオ
    ナオミ・ワッツ
    アーミー・ハマー
    ジョシュ・ルーカス
    ジュディ・デンチ
    エド・ウェストウィック
    デイモン・ヘリマン
    ケン・ハワード
    ダーモット・マローニー
    ジョシュ・ハミルトン
    ジェシカ・ヘクト
    ジェフリー・ピアソン
    ジャック・アクセルロッド
    リー・トンプソン