黄昏に燃えて(1987年アメリカ)

Ironweed

おそらく故意にこういうフィルムにしたのだろうが、
これは87年の映画として考えると、とても古めかしい映像で、とても観づらいフィルムだ。

85年に『蜘蛛女のキス』が高く評価されたアルゼンチン出身のヘクトール・バベンコが、
意気揚々とハリウッドに渡って、ウィリアム・ケネディのピュリッツァー賞受賞の小説を映画化したものの、
その難解な内容に、評論家筋からも映画ファンからも全くと言っていいほど評価されなかった作品です。

確かに映画の出来として、そこまで良いものとは思えなかったが、
個人的にはそこまで悪くないというか、それなりに訴求するものがあって、酷評するほどではないと思う。

上映時間が2時間を大きく越えるせいか、尚更、強くそう思うのですが、
映画の序盤はノロノロ、モタモタしている印象が強くって、思わず「早くしろよ!」と言いたくなる内容で
このディレクターがこういった独特な時間の感覚でストーリーを進めることを芸術性と勘違いしているのではないかと、
尋常じゃないぐらい心配になってしまったのですが、ある意味で贅沢な時間の遣い方をした作品だと思います。

それが、映画の後半に差し掛かって、
望郷の思いにかられた主人公が、七面鳥を持参して家族の下へ帰るシーンあたりから、
映画はグッと良くなった印象で、次第に作り手が何を表現したいのかが明確になってくる。

クライマックスになると、一見すると何を主張したかったのかよく分からなくなるのですが、
ラストシーンのおかげで、また独特な味わいを残して映画を終わらせるあたりが結構、良くって、
ヘクトール・バベンコも前作での成功に酔いしれて、本作を撮ったわけではないと思いますねぇ。

主演のジャック・ニコルソンもメリル・ストリープも、
87年という時代は2人とも、演技派俳優としての全盛期とも言える時期の出演作品なのですが、
両者とも、正しく演技派俳優としてのプライドを賭けた熱演であり、とても見応えのある映画になってはいます。

人間とは罪深い動物だ。
どんなに善行に努めた人がいたとしても、必ず何かしらの罪な行いをしている。
本作の主人公フランシスは、かつて野球選手として活躍したものの、酒に溺れ、酒に酔った状態で抱き上げた、
自らの愛息ジェラルドを床に落としてしまい死なせてしまった過去を持ち、家族を捨て、放浪の旅に出る。
そこから堕落が始まったフランシスは世界恐慌の折り、経済的にも困窮し、気の合う女性ヘレンと行動を共にするが、
結局は何一つ上手くいかず浮浪者になってしまい、そこから彼は幻覚に悩まされるようになってしまいます。

訳も分からず、体制に反抗していた幼き頃。
若気の至りとは言え、ストライキデモに参加し、エスカレートした結果、
彼が投げた石が一人の大人に当たり、その大人を死なせてしまう。そんな彼は幻覚に登場する一人。

浮浪者の生活に入ってから、突然、襲いかかってきた、
浮浪者の一人に防衛行為から死なせてしまい、彼もまた幻覚に登場する一人である。

いくら理由があったとは言え、フランシスの行いは実に罪深いものだ。
しかし、幻覚に登場する彼らは、フランシスに罪をつぐなうよう要求したわけでなく、
何故、自分たちが死ぬことになってしまったのか?ということ。これは、フランシス自身の疑問を反映してるんですね。
ということは、フランシスは未だに何故、ああいった行動をとってしまったのか、よく理解できていないということ。

フランシス自身は不屈の精神で生き続けているが、
彼自身、犯した罪の大きさに耐え切れず、今にも崩れ落ちそうなギリギリのところで闘い続けている。

人間は常に後悔しながら生き続けているものですが、
フランシスは精神的に答えの出ない迷路に迷い込み、それが更に浮浪者となってしまい、
生活が向上していかない負のサイクルに拍車がかかり、彼自身、どうしたらいいのか分からなくなっているのです。

そんな彼がフッと思ったことにより、故郷での懐かしき日々を思い出し、
人生をリスタートさせたいという気持ちものぞかせるのですが、どうしても踏み込めずにいます。

それは、フランシスと同じくアルコール依存症に苦しむヘレンも一緒で、
彼女はかつての栄光に想いを馳せ、バーで歌をせがまれてはスタンドマイクの前に立ちます。
しかし、酒に溺れ、ロクに歌いもせず、浮浪者としての生活を歩んでいた彼女が突如として、
ステージに立ったところで、上手く歌えるわけがありません。それでも、彼女はかつての栄光にすがるのです。

これを人間の悲しい姿を捉える向きもあるだろうが、
僕は情けなくも、フランシスとヘレンのようにボロボロになりながらもお互いに支え合う姿、
そして過去の栄光に囚われ、なかなか前へ進めない姿こそが、言ってしまえば、人間らしさだと思いますね。

口では過去と決別と言っても、なかなか行動できないのが人間。
勿論、過去への因習をいち早く断ち切ったときに、初めて人生が前へ進むことが往々にして多いのですが、
因習を断ち切るには、決断力とタイミングの良さが必要だと思う。ただ、闇雲に行動しても失敗することが多い。
その決断力とタイミングを計ることこそが、人生で言う、“勝負のとき”なのでしょうが、
フランシスやヘレンのような状況に陥ってしまうと、そんな勝負も成り立たないときができてしまうんですよね。
(時代性を言い訳にはできないけど、僕にはフランシスやヘレンの姿を否定できないんですよね・・・)

ただ、ラストの独特な味わいは結構、良いのに、
映画の前半のなかなか進まない感満載で、最終的には大きく損をした映画だと思う。
フランシスが幻覚を見ることは重要なファクターだし、回想もとても重要なのはよく分かるが、
この映画でヘクトール・バベンコは全てのエピソードに於いて、あまりに時間をかけ過ぎなのです。
これでは、映画の余分なところで、完全に足を引っ張ってしまっている。それがつくづく勿体ないと思う。

それと、やはりこのカメラはいただけない。
敢えてノスタルジーを感じさせる質感にしたかったのでしょうが、これは完全に逆効果。
87年に製作された映画ということを考えても、フィルムの状態が悪過ぎる。これは作り手が独りよがりな気がする。

本来的には、これはもっと評価されるべき映画になったであろうと思う。
しかし、少しばかりヘクトール・バベンコも味付けを間違えてしまった映画、という印象がどうしても拭えない。

ましてや、散々な末路を辿る、アル中を演じたトム・ウェイツの存在までも、泣いてしまっている。。。

(上映時間142分)

私の採点★★★★★★★☆☆☆〜7点

監督 ヘクトール・バベンコ
製作 キース・バリッシュ
    マーサ・ナサティア
    ロブ・コーエン
原作 ウィリアム・ケネディ
脚本 ウィリアム・ケネディ
撮影 ラウロ・エスコレル
音楽 ジョン・モリス
出演 ジャック・ニコルソン
    メリル・ストリープ
    キャロル・ベイカー
    トム・ウェイツ
    マイケル・オキーフ
    テッド・レヴィン
    ダイアン・ベノーラ
    ネイサン・レイン
    リチャード・ハミルトン

1987年度アカデミー主演男優賞(ジャック・ニコルソン) ノミネート
1987年度アカデミー主演女優賞(メリル・ストリープ) ノミネート
1987年度ニューヨーク映画批評家協会賞主演男優賞(ジャック・ニコルソン) 受賞
1987年度ロサンゼルス映画批評家協会賞主演男優賞(ジャック・ニコルソン) 受賞