アイリス(2001年イギリス・アメリカ合作)

Iris

人はいつか死ぬ。これは不老不死を手にしない限り、避けられない運命なのだ。
この世に生を受け、精いっぱい生き、幾多の困難を乗り越え、幸せを手にし、いずれは死す。

哀しいことではあるが、出会いがあれば、必ず別れがある。
これは終生のパートナーを誓った夫婦にも、必ず出会いがあれば、別れがあるのです。
別れと言っても、離婚することもあるけど、どうやっても避けられないのはパートナーの喪失である。

本作は、20世紀に活躍し、実在の作家アイリス・マードックと
彼女の夫であるジョン・ベイリーの長きにわたる夫婦愛を描いた、究極の恋愛映画。

やはり、こういう映画を観るたびに感じることなのですが、
アルツハイマー病を発症した夫婦の葛藤を真正面から観るのは、とても勇気がいるなぁ。

いや、別にこういう現実から目を背けたいというわけではないのですが、
お互いに感情をぶつけ合うこともありながら、やはり最終的には介護者が愛を捧げ、
数々の日常の障害を取り払って、何度も同じやり取りを繰り返してでも、夫婦の愛を貫くのです。
冷静に観ていても、こういった痛いぐらい伝わってくる愛を直視するのは、とても重たいですね。

実在のアイリスがアルツハイマー病と診断されたのは、76歳であった1995年。
夫のジョン・ベイリーは恋多き女性であった、若き日のアイリスに一目惚れし、
次から次へと若い男性と交際していたアイリスへ、晩生な彼なりに必死にアプローチして、
苦労した結果、アイリスとの結婚にこぎつけただけあってか、晩年のアイリスへも愛を捧げたようです。

見る見るうちに症状が悪化していくアイリスで、やがて日常生活がままならなくなってきます。
夫のジョンはアイリスより6歳年下らしいのですが、当然ですが、彼女が75歳で発症してますので、
発症時にジョンは既に69歳だったわけで、今で言う、「老老介護」状態で実情はとても苦しかったようです。

01年の作品ではありますが、既に本作では「老老介護」の問題にメスを入れていて、
その証拠に、映画の終盤で家を出て徘徊してしまったアイリスを心配したジョンが警察に相談し、
彼らの暮らす家に女性警官が訪問するのですが、家の隅々を観察し、その不衛生さや荒れ果てた様子に
女性警官は唖然とした表情を見せます。こういう細かな描写で、「老老介護」の限界を象徴しているんですね。

上映時間は90分と、とても短い作品ではありますが、
これは濃度の濃い、とても充実した作品であり、観客の心を動かす力がとても強い作品だと思います。

但し、欲を言えば、この映画は老いてからのアイリスを中心にした方が良かったと思う。
かなり頻繁にフラッシュ・バックが入るのですが、正直言って、映画の流れを阻害してしまっている。
もう一つ言えば、若き日のアイリスに関する描写にそこまで特筆するものがないように思えて、
もっとアルツハイマー病の症状の進行が徐々に進んでいき、歯車が合わなくなっていく苦悩を描いて、
映画のテーマを集約した方が良かったと思いますね。どうしても出会った頃ばかりを描く理由が分からず、
夫婦生活が40年もあったわけで、もっと色々な要素で夫婦の葛藤があったはずなのですよね。

しかし、そんな欲目があるけど、本作の価値は高いと思います。
キャスティングも絶妙で、主演のジュディ・デンチは言うまでも無く、実に巧みな好演。

それと、驚きなのは、やはり年老いてからのジョンを演じたジム・ブロードベントだろう。
様々な感情が交差するジョンは難しい役どころだったでしょうが、生涯の愛をアイリスに捧げる姿を体現し、
オスカーを獲得したという高い評価も頷けるし、彼の芝居の説得力には驚かされましたね。

それと、僕はこの映画を観ている最中、ずっとアイリスが年老いた姿をジュディ・デンチが、
若き日はケイト・ウィンスレットが演じているけど、ジョン役のジム・ブロードベントは若き日も両方演じているのだと、
勝手に思い込んでいたのですが、若き日のジョンはヒュー・ボネヴィルという違う役者さんが演じているんですね。
あまりに容姿が似ているので、後から知って、あまりのソックリさんぶりにビックリさせられちゃいましたね。

若き日の奔放なアイリスを演じたケイト・ウィンスレットはさすがの存在感。
相変わらずヌードも辞さない姿勢が正しく女優魂で、当時の若手女優としても群を抜いている。
本作なんかは、彼女にうってつけの役柄で、もっともっと彼女は評価されても良かったと思いますねぇ。

どちらかと言えば、年老いたジョンを演じたジム・ブロードベントの方が光ってはいるが、
本作でのケイト・ウィンスレットの好演も、特筆に値すると言っていい。

僕はこの映画の監督、リチャード・エアーというディレクターのことを知りませんでしたが、
演出力自体は決して低くなく、一つ一つのシーンに納得性がありますね。
ストーリー上の無駄も一切なく、かなりシェイプアップした映画に仕上げたなぁという印象がありました。
欲を言えば、前述したフラッシュ・バックの使い方で、これはとても惜しい部分ですね。
もっと効果的になるように、慎みをもってフラッシュ・バックを使っていれば、この映画は更に良くなったはずです。

この映画は愛について考える映画であることは間違いありません。
時にアイリスに辛く当たってしまうジョンでしたが、最後は必ずアイリスへの愛を示します。

徘徊して帰宅したアイリスにジョンが、
「私から逃げるために家を出て行ったのかい?」と聞く、さり気ないシーンがあるのですが、
この台詞には胸を締め付けられる想いに浸りましたねぇ。こういう小さな描写がとても活きているんですね。
やはりこういう、さり気ない部分で力が感じられる映画というのは、とても力がある映画だと思いますね。

この映画で描かれたエピソードは賛否両論になるでしょう。
しかし僕は、この映画の作り手の真摯な姿勢がとても良かったと思います。最近では珍しいぐらいです。

おそらく実在のジョンも、アイリスを失わないためにと必死だったのだろうと思う。
この辺の難しさをヒュー・ボネヴィルも、ジム・ブロードベントも見事にカバーしているのですが、
この映画の作り手も、晩年のアイリスへの愛情の捧げ方について、ある意味で執拗に描いています。
でもこれって、アイリスへの愛情の深さの裏返しであることは明らかなわけで、大袈裟な言い方をすれば、
アイリスの喪失って、ジョンが生きる喜びを失うことに等しいわけで、彼はアイリスの喪失を恐れていたのでしょう。

こういうジョンの感情っていうのも、
行き過ぎてさえしなければ、実に人間的な側面であって、感動的ですらあると思いますねぇ。

この映画は、そういう人間らしさを直視して、実にストレートに描ききっている。
ここまでストレートに描いた映画は最近では珍しく、逆に新鮮に感じられる面もあったと思う。
上映時間も実に経済的な尺の長さで、とても見易い作品に仕上がっているので、とってもオススメな一作。

(上映時間90分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 リチャード・エアー
製作 ロバート・フォックス
   スコット・ルーディン
原作 ジョン・ベイリー
脚本 リチャード・エアー
   チャールズ・ウッド
撮影 ロジャー・プラット
音楽 ジェームズ・ホーナー
出演 ジュディ・デンチ
   ジム・ブロードベント
   ケイト・ウィンスレット
   ヒュー・ボネヴィル
   エレノア・ブロン
   アンジェラ・モラント
   ペネロープ・ウィルトン

2001年度アカデミー主演女優賞(ジュディ・デンチ) ノミネート
2001年度アカデミー助演男優賞(ジム・ブロードベント) 受賞
2001年度アカデミー助演女優賞(ケイト・ウィンスレット) ノミネート
2001年度イギリス・アカデミー賞主演女優賞(ジュディ・デンチ) 受賞
2001年度ロサンゼルス映画批評家協会賞助演女優賞(ケイト・ウィンスレット) 受賞
2001年度ゴールデン・グローブ賞助演男優賞(ジム・ブロードベント) 受賞