インビクタス/負けざる者たち(2009年アメリカ)

Invictus

最初に観た時はあまり感じませんでしたが、イーストウッドの監督作品として俯瞰的に見ると、
この映画あたりからイーストウッドの撮り方が、ドキュメンタリー寄りに変わっていきましたね。

人種隔離政策であるアパルトヘイトが撤廃された南アフリカ共和国で、
95年に初めてラグビーの世界大会であるワールド・カップが開かれ、当時の大統領であったネルソン・マンデラが
この大会で国民が団結するに相応しい機会であると捉え、チーム「スプリングボクス」を熱心に応援します。
映画はそんなマンデラ大統領と、「スプリングボクス」の主将であるピナールの交流を中心に描いています。

「スプリングボクス」は、明らかに低迷期を迎えつつある時期であり、
ピナールの統率力も及ばず、チームは支柱なくバラバラになりつつある雰囲気が高まっていました。

チームには黒人選手が1人しかおらず、白人の南アフリカ人が中心のチーム編成だったため、
「スプリングボクス」のチームカラーである緑と黄色は、アパルトヘイトで虐げられた黒人たちからは
人種差別の象徴であるとして、徹底して嫌われていたわけで、マンデラが大統領になった途端に
チーム名やチームカラーを変えようとする気運が高まります。これは至極当然の流れのように思えますが、
当時のマンデラのスゴいところは、「スプリングボクス」のチーム名やチームカラーを変えることに反対することです。

理由は、白人の南アフリカ人の誇りを奪いたくないからとのことで、
アパルトヘイトで黒人たちは多くの命を奪われ、生活格差も大きく広がり、不衛生な日々を強いられたけれども、
だからと言って、ここで白人たちの誇りを奪うことで“少数派”である黒人たちの支持を得ても、
結局は白人vs黒人という対立の構図は深まるばかりで、南アフリカが歩むべき道とは外れているとの考えがあるから。

要するに、過去は過去のものとして、ここから正しい歴史を築こうというメッセージなのですよね。
これは簡単に言うけれども、なかなか容易に出来ることではなく、感情的には受け入れ難い気持ちはあったでしょう。

特にマンデラは20年近く、ロベン島にある監獄に収監されていたわけで、
その他にも7年間ほど他の刑務所で囚人としての生活を強いられていました。容疑は国家反逆罪、終身刑でした。
しかし、解放運動を提唱し続けたことが大きな効果をもたらし、黒人迫害には最も強硬に実施したとされる、
ボータ大統領とも複数回の会談の場を持ち、デクラーク大統領にはアパルトヘイト撤廃のサインをさせた。

それだけの過去があるだけに、自身が政権を握れば半ば制裁的な政策を実行してもおかしくはなかった。
事実、本作の中でも触れられていますが、マンデラが大統領に就任するために彼に投票した国民には、
そういった過去の清算を目的とした人々の票も多くあったでしょうし、まだ国民は分断されていました。

そのためには、生活水準をできるだけ格差を小さくする必要があったし、
国民の精神性の時点で分断されているようでは、何も政策を進められないという彼の判断もあったのでしょう。

マンデラを演じたモーガン・フリーマンはホントによく似ている。決して、特殊メイクを施したというわけではないのに。
どうやら、本作の脚本を見つけたモーガン・フリーマンが映画化に向けて活動していたらしく、このシナリオを
イーストウッドに見せて、彼に監督をやると決断させたのは、親交のあるモーガン・フリーマンだったらしい。

映画はあまり主観的になり過ぎないように撮られており、あまりマンデラの伝記映画という感じでもなく、
とっても全体のバランスが良い塩梅にとれた作品だと思う。何度か「スプリングボクス」のランニングなどの
トレーニングを映したショットがあって、さり気なく策越しに撮ったりするのが、なんとも印象的でした。

どこまでが事実に基づいた描写なのか分かりませんが、
映画の冒頭にあるマンデラの早朝の散歩シーンで、不穏な動きを繰り返すように後方から現れる新聞配達車の
描き方なんて突如として、サスペンス映画のような描き方なんだけど、ただ観客をドキドキさせるだけという仕掛け。
しかも、思わず「こんなんでやられてしまっていたら、警備は失格なんてもんじゃない手落ちだよ!」と言いたくもなる。

決勝戦開始直前のスタジアムにジェット機旅客機が近づいてくるシーンにしても、似たようなもの。
機長が「これから起こることの全てはオレの責任だ」とカッコ良く言い放って、安全軽視上等の危険飛行。
これはイーストウッドなりのギャグなのか、なんなのか分かりませんが、映画を壊すギリギリのところまで“攻める”(笑)。

ただ、イーストウッドが自分で見つけたシナリオではないところが露呈したのか、
やや物足りないというか、違和感があった部分もあった。それは、典型的なスポ根映画だとか、
イーストウッドにしては大人しい常識的な物語とか、そんなことは僕にとってはどうでもいいのですが、
やはり「スプリングボクス」が大会で勝ち上がっていくことに爽快感を吹き込みたい映画なだけに、
チームが色々な苦難を経験して、徐々に強くなっていき、試合の中でも奇跡を起こすというセオリーが無いことだ。

プロセスとしては、地元開催のワールド・カップということもあって“地の利”があることは分かるけれども、
それでも実力差が圧倒的なのに、何故に勝ち上がることが出来て、強豪ニュージランドとも台頭に試合を運べるのか、
ということが全くと言っていいほど、この映画を観てもよく分からない。何故、チームが強くなったのかが不明なのです。

僕はこれが本作にとって最も大事なエッセンスだったのではないかと思うのですが、
イーストウッドもこの辺に愛着がないのか、ラグビーにあまり興味がないのか、真相はよく分かりませんが、
良く言えばドキュメンタリー・タッチですが、悪く言えばどこか無関心そうに“流して”撮っているように見えてしまう。
せめて、地元のキャスターに、「今のチームの選手たちに“スプリングボクス”のカラーを着る資格はない」みたいなことを
言われるくらい、チーム状況はヤバかったので、どうしても奮起したのか、どうして強くなったのかはフィクションでも
いいから、もっと丁寧に描いて欲しかったですね。これがあれば、僕の中での本作への違和感はほぼ解消されました。

強さの秘密は、マンデラの存在とでも言いたいのかもしれませんが、
さすがにそれだけでは話しに無理があって説得力がないでしょう。そういう意味では、チームのコーチを
もっとクローズアップして描くなど、何らかの脚色はあった方が良かったと思います。表立った新戦力もいなかったですし。

そういう意味では、ピナールを演じたマット・デイモンがあまり存在感強くなかったので、
彼をもっと描いても良かったかもしれません。おそらく彼自身、上位進出が望めないチーム状況にかなり悩んだでしょう。
それがマンデラ大統領からお茶に呼ばれたとか、ヘリコプターでやって来て激励されただけでは、チョット弱い。
この辺は、多少、傍若無人なところがあっても前進しようとするピナール、くらいの力強さがあっても良かったかなぁ。

言っても、試合中のシーンでもピナールが円陣でチームメイトたちを鼓舞するシーンでも、
具体的な戦術や指示を出している様子もなく、、彼が発する言葉のほとんどが精神論だったので、
ひょっとしたら、イーストウッド自身がラグビーにあまり強い思い入れはないのかもしれませんがねぇ(苦笑)。

しかし、それでもマンデラが存命中にこの映画が製作されて、ホントに良かったと思う。
残念ながら2013年にマンデラは他界しますが、きっとこの映画が製作されたこと自体は喜んだことでしょう。

僕も中学校の社会科の教科書でアパルトヘイト撤廃やマンデラ大統領の就任については、
90年代半ばに学びましたが、実際にラグビーのワールド・カップにここまで国民の団結を賭けていたことは
知らなかったですし、「スプリングボクス」の複雑な立ち位置やマンデラとチームの関係性などは知りませんでした。
そういう意味では、この原作を映画化したこと自体は、とっても有意義なことだったのではないかと思います。

ただ、敢えて言わせてもらうが、イーストウッドならばもっと高いレヴェルの映画には出来たはずだ。
決して本作の出来が悪いわけではないし、そこそこ楽しめるように仕上げた、それはそれでレヴェルの高い仕事だが、
数多くの傑作・秀作を手掛けてきたイーストウッドというブランドからすると、この映画は良くも悪くも大人しい内容だ。

タイトルにもある通り、彼らは“負けない者”なのですから、その原動力を力強く描いて欲しかった。

(上映時間133分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 クリント・イーストウッド
製作 ロリー・マクレアリー
   ロバート・ロレンツ
   メイス・ニューフェルド
   クリント・イーストウッド
原作 ジョン・カーリン
脚本 アンソニー・ペッカム
撮影 トム・スターン
編集 ジョエル・コックス
   ゲイリー・D・ローチ
音楽 カイル・イーストウッド
   マイケル・スティーブンス
出演 モーガン・フリーマン
   マット・デイモン
   トニー・キゴロギ
   パトリック・モフォゲン
   マット・スターン
   ジュリアン・ルイス・ジョーンズ
   アッジョア・アンドー

2009年度アカデミー主演男優賞(モーガン・フリーマン) ノミネート
2009年度アカデミー助演男優賞(マット・デイモン) ノミネート
2009年度ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞主演男優賞(モーガン・フリーマン) 受賞