SF/ボディ・スナッチャー(1978年アメリカ)

Invasion Of The Body Snatchers

ジャック・フィニィの古典的SF小説『盗まれた街』の2度目の映画化作品。

第1回は56年に名匠ドン・シーゲルが監督した『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』で、
しばらくDVD化されておらず、過去に数回NHK−BSで放送されたくらいで、視聴が困難な状況でした。
そういう意味では第2回映画化の本作の方が、アクセスし易くポピュラーな存在ではありました。

映画はサンフランシスコの衛生局に勤務するマシューが、同僚の女性エリザベスから
同棲している彼氏の様子がおかしく、どこか人間味が無いことが気になると相談され、知り合いの精神科医キブナーを
彼女に紹介するも、キブナーはエリザベスの妄想であって、彼女に積極的休養をとるように指示をだす。

しかし、マシューの知り合いのベリチェックが自身の経営する泥風呂エステの店で
クローンを複製している途中であるかのような繭のような物体が発見されるという奇妙な出来事があり、
急速に街が異様な光景に変貌していき、気付けばマシューたちは“追われる立場”となり、逃げ回ることになります。

本作はフィリップ・カウフマンが高く評価されるキッカケとなった出世作であり、
注目されるようになったからこそ、83年の『ライトスタッフ』の監督を任される仕事につながったので、とても意義深い。

第1回映画化作品の『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』は革新的な大傑作だったと思うのですが、
あまり直接的なショック演出ができるわけでも、グロテスクな映像表現ができたわけでもなく、
雰囲気からホラーな感じを作り上げていく工夫があったのですが、本作はかなり直接的な映像表現を行っている。

おそらく、当時としても低予算な部類に入る作品じゃないかとは思いますが、
フィリップ・カウフマンも気味の悪い泡や、繭から流れる鼻血などといったグロテスク描写に工夫して演出しています。

そして無感情的な人間が増えていった、その怠惰な空気感を出したりするのもとても上手い。
例えば、自分もあまり意識して考えたことはなかったのですが、フラスコに入れた液体中で攪拌子が
スターラーの上でクルクル回っているのを映すだけで、これだけ怠惰な雰囲気を助長する映像表現に
なっているのですから、当時のフィリップ・カウフマンが如何に非凡な目線で映画を撮っていたかを実感させられますよ。

映画の終盤には、ホームレスが犬と一緒に複製された結果、謎に人面犬となって出現したり、
少々、失笑をかうような演出もありますが、当時として出来得るホラー演出の限りを尽くしているような感じで、
繭のポッドを製造する工場の描写など、どこかシュールな描写もあったりして、カルト・ムービーっぽいなと感じる。
ジャック・フィニィがどう思っていたかは知りませんが、ラストのニュアンスなどは僕には本作の方がシックリ来る。
まぁ、このラストは70年代のアメリカン・ニューシネマの影響が色濃く残っているような気はしますがね・・・。

主演のドナルド・サザーランドはどちらかと言えば、バイ・プレーヤーとしての印象が強い役者ですが、
70年代は数本の映画で主演を務めていて、本作もその中の一本ではありますが、特徴的な顔がインパクトを持つ。
おそらく、この映画のドナルド・サザーランドはラストに“あの表情”をだしてもらうためにキャストしたのだろう(笑)。

ちなみにサンフランシスコの市街地で「ヤツらが追ってくる! 次はお前だぁ!!」と叫び逃げる男を、
第1回映画化作品で主演したケビン・マッカーシーがゲスト出演していたり、映画の終盤に登場するタクシー運転士で
やはり第1回映画化作品の監督ドン・シーゲルがゲスト出演したりと、彼らへのリスペクトがある企画になっている。
フィリップ・カウフマンからすると、第1回映画化作品への深いリスペクトを映画の中で示したかったのでしょう。

僕の中では、本作の独自性として絶望的なラストがあるのですが、
ラストシーンそのものよりも、マシューがエリザベスを連れて何とかしてサンフランシスコを脱出しようと
港湾地区に辿り着いて、船の音を聞いて希望を持って近くへ行きますが、運ばれる繭の数々を見て、
思わず柵にもたれかかってマシューがうなだれるシーンが印象的だ。どこかトボけた雰囲気で、ここだけギャグっぽい。

そこからは、悲しくも目の前で溶けていく顔を、悲壮感たっぷりの表情が炸裂したりと、
映画がクライマックスへ向けて急加速するように、一気に絶望的なラストへ駆け抜けていく力技がスゴい。

個人的には精神科医キブナーを演じたレナード・ニモイが、元々、どこか不気味な雰囲気を出しているだけに、
映画の中盤までは積極的にマシューらに関わってくるのですが、終盤の展開では途中退場してしまったように
あまり活躍の場が無くなってしまったのが残念だなぁ。中心人物であるかのように途中まで、描かれていただけに。

これはフィリップ・カウフマンの特徴なのかもしれませんが、本作は得体の知れない、
人間の理論では説明できない恐怖を大事にしていると思います。故に、全く理路整然とした映画ではありません。

そもそも繭が、何を目的に地球にパラサイトすることになったのかもよく分からないし、
生物学的にも複製を作製するプロセスも全く説明がつかないし、元々の生命体の起源もよく分からない。
でも、人々が僅かな時間で複製されて繭から無感情的なクローンを生み出され、元々の身体は無くなってしまうので
人類滅亡の危機に瀕するというわけだ。それを唯一止めようとするのが、公衆衛生局の職員というのも妙な話しだ。
この世紀末感はウィル・スミス主演の『アイ・アム・レジェンド』や、そのオリジナルの『地球最後の男 オメガマン』に
共通するものがあるような気がしますが、本作の場合はアクションには頼らない構成のため、終始地味な映画だ。

でも、物事をやるからには目的や理由を知りたくなるというのは、人間特有のものだろう。
そういう思考があるから人間なのだろうが、地球外生命体の行動に目的や理由などないのかもしれない。
俯瞰的に見れば、あるのかもしれませんが、人間の目線から見て理解できない存在だからこそ恐ろしいと感じる。
本作はチープな映像表現も含めて、そんな人間の心理を利用している部分もあって実に興味深いなぁと思いました。
(例えばジョン・カーペンターが本作のメガホンを取っていたら、どんな映画になっていただろうか・・・?)

実は本作、この後にも93年にアベル・フェラーラが『ボディ・スナッチャーズ』というタイトルで、
07年にはニコール・キッドマン主演で『インベージョン』として4回映画化されているという人気の原作なのですが、
正直言って、映画のインパクト自体は第1回映画化作品と、この第2回映画化作品には勝てないと思う。
でも、それはハッキリ言って仕方ない。だからこそ、3回目以降は、違った路線の映画にしようとしていたのでしょう。

だいたい20年に1回くらいの割合でリメークされている原作ではあるので、
ひょっとしたら、そろそろ5回目の映画化の企画が出ているのかもしれませんが、僕はこれ以上はキツいと思います。
それは実体の無い恐怖を表現する方法は、ほぼ採られ尽くした感が強く、『インベージョン』は結構キビしい内容でした。

ちなみに映画の冒頭でマシューが、衛生局の仕事として人気レストランの厨房に
いきなり強制的な立入調査に入って、厨房からネズミの糞を見つけ営業停止にすると通告するシーンがありますが、
あれだけでネズミの糞と断言できるのもスゴいと思ったが、外から来たそのままの服装で厨房に入るのがありえない。

あのシーンでは、マシューの強引な性格が垣間見れるのですが、
どこか一匹狼な雰囲気があるからこそ、エリザベスを救おうと尽力し、人類滅亡の危機に必死に抵抗しようとします。
マシューのネズミの糞の見立てがどれだけ確信があったのかは分かりませんが、あれくらいの強さは必要でしょう。

しっかし、この地球外生命体に身体の複製を作られる過程として、
就寝中にクローンを作製されてしまうというのが、なんとも巧妙ですね。寝ないわけにはいきませんから、
マシューたちも闘いの中でクスリの力に頼ったりして、なんとか寝ないように必死なのですが、これは強敵です。
交代で寝るにしても、チョットした隙に身体を乗っ取られてしまいますから、黙っていても“負けて”しまうのです。

もう僕なら、寝ないで頑張るなんてことはできずに、抵抗する気すら起きないと思います(苦笑)。

粘りに粘って、逃げ回った結果、どのようになってしまうのか?・・・というのが、本作の要点ですが、
おそらく、このラストはフィリップ・カウフマンも相当な“したり顔”で仕上げたと思う。そう思えるくらいに、キマっている。

(上映時間115分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 フィリップ・カウフマン
製作 ロバート・H・ソロ
原作 ジャック・フィニィ
脚本 W・D・リクター
撮影 マイケル・チャップマン
音楽 デニー・ザイトリン
出演 ドナルド・サザーランド
   ブルック・アダムス
   ジェフ・ゴールドブラム
   レナード・ニモイ
   ヴェロニカ・カートライト
   アート・ヒンドル
   ケビン・マッカーシー