ボディ・スナッチャー/恐怖の街(1956年アメリカ)

Invasion Of The Body Snatchers

過去、何度も映画化されている、ジャック・フィニィのSF小説の古典的名作の第1回映画化で、
名匠ドン・シーゲルがクリント・イーストウッドとのコンビで有名になる前の監督作品で、
なんと日本では劇場未公開作品という扱いなのですが、根強いファンが多いカルトな傑作。
(本作の後も78年、93年、07年と3回もリメークされている)

確かに、まだまだ粗削りな映画だ。
ドン・シーゲルも信念があって撮ったというよりも、少しビジネスライクな部分を感じさせる。

だけど、僕はこれは思わず驚かされる傑作と言っても過言ではないと思う。
さすがに56年という時代性を考えると、いくらハリウッドとは言え、特撮技術にしても
そこまで発達はしていなかったし、本作はそこまで潤沢な資金を約束された企画ではなかったはずだ。

映像表現としては限界があり、当時はこの手のSF映画は飽和状態だったので、
不遇の扱いに終わってしまった感が強いのですが、ドン・シーゲルなりの工夫が凝らされた内容だと思う。

敢えて、懸念材料を記すとすると、映画のクライマックスで本作は“救い”を描いているのですが、
果たしてマユの存在が明らかになっただけで、主人公の妄想とも思える話しを聞いていた捜査官が
動き始めるというのが、どことなく納得性に欠ける気がする。これは確かに重要なところなのですが、
プロダクションからも、まるで上映時間が80分と決められていたかのように、映画を終わらせてしまいます。

当時はハリウッドでも赤狩りと呼ばれる、共産主義封じ込め政策の一環で、
ハリウッド関係者の共産主義者を追放する流れがあって、荒れに荒れていた時期だったせいか、
映画自体もどこか暗く、知らぬうちに次々と侵略が進んでいくという恐怖を、ジワジワと描いているのが印象的だ。

映画のシナリオは、後に映画監督として大成するサム・パキンパーで、
映画の終盤にガソリンスタンドの親父役で、なんとサム・ペキンパー本人が登場するというオマケ付きで、
とにかく予算の制約が大きかったのだろうと思わせる作りなのですが、そういった制約の中でも
アッサリとこれだけのクオリティで仕上げてしまうドン・シーゲルの力量に驚かされますね。
(どうやら実際にはサム・ペキンパーは若干、手直ししただけだそうだ・・・)

本作の中で描かれていることで印象的なのは、
マユに人間の情報がコピーされ、コピーが完了するとまるで機械であるかのように
無感情になることが、“楽になる”と表現されていることで、これは意味深なセリフだと思いますね。

人間社会の軋轢とは、全てが全てそうだとは言いませんが...
人間同士の感情のぶつかり合いが、大きな軋轢となってしまうことは、よくあることです。
悪い意味で、全体主義の流れが示唆されているようで、全体主義に身を任すことは“楽になる”ことなんだと、
50年代当時のマッカーシズムに沿った流れを、全体主義的なものと捉え、間接的に批判しているかのようだ。

映画は、とある田舎町で精神科を開業している医師が、
学会出張に出ていたところ、クリニックで勤める看護師から連絡があり、急きょ町へ戻って来たところから始まる。

謎の不安にかられた町の人々が、次から次へとクリニックに訪れていて大変だとのことだったものの、
いざ主人公が町へ戻ると、ほとんどの患者は悩みが解決していて、クリニックは閑散としています。
しかし、主人公が不安にかられる人と会うと、何か胸騒ぎがして、気になって仕方がありません。

恋人と行動を共にしますが、主人公の知り合いは次から次へと無感情になっていき、
巨大なマユに人間の情報がコピーされ、人々が無感情になっていく様子を把握し、慌てて止めようと奔走します。
しかし、急速に町の人々が乗っ取られていく現実を前にして、主人公は恋人を連れて、町を脱出しようとします。

映画はそんな主人公と彼の恋人の行動を中心に、
最初は少数の人間の行動が気になっていたにすぎなかったのが、やがては町の人々全員が
主人公と彼の恋人を追ってくるという構図の恐怖を、しっかりとした緊張感を持って描けています。
これはサスペンス映画を得意とするドン・シーゲル、さすがの腕前と言っていい出来で素晴らしいですね。

プログラム・ピクチャーとしての側面があることも否定できませんが、
それでもこれだけの仕上がりにできるというのは、当時からドン・シーゲルが職人監督であったことの証明ですね。

やっと、日本でも廉価版のDVDが発売されたことから、
一気に本作を楽しめる環境が整いましたが、これまでは僅かにDVDが発売されて終売になって久しかったので、
NHK−BSなどで放送してくれない限り、本作を楽しむことができなかっただけに、これは嬉しい発売だ。
(たぶん、そんなに売れないと思うから、すぐに終売になるような気がするんだけど・・・)

ジャック・フィニィの原作のタイトル『盗まれた街』というタイトルが、
この映画の内容を巧みに表現していると思うのですが、未知の生物が地球を侵略しに来たという、
よくあるSFの定石をしっかりと踏襲してはいるものの、ありがちなグロテスクなクリーチャーが襲い掛かってくるなど、
具現化された恐怖を利用することはなく、あくまで静かに確実に忍び寄ってくる実体の無い恐怖を描いています。

ただ、「侵略者の実体が定かではないからこそ怖い」という心理を見事に突いている。

ちなみに78年にフィリップ・カウフマンが『SF/ボディ・スナッチャー』というタイトルで、
本作の2度目の映画化が実現しており、ストーリーの解釈の違いを楽しむという意味では、見比べると面白い。
僕はフィリップ・カウフマンのヴァージョンも好きで、本作とは全く異なるエンディングを迎えるのがお楽しみ。

映画の流行りの問題もありますが、1950年代当時はあまりに絶望的なエンディングの映画は
ウケなかったという事情があったとは思うのですが、フィリップ・カウフマンのヴァージョンも時代を反映している。

映画の出来からすると、十分に傑作と呼ぶに相応しい内容かと思います。
本作のカルトな人気がなければ、こんなに何度も映画化されてはいなかったでしょうね。
そういう意味では、本作の影響力はとても大きく、ドン・シーゲルのキャリアにとっても大きな作品でしょう。

(上映時間80分)

私の採点★★★★★★★★★★〜10点

監督 ドン・シーゲル
製作 ウォルター・ウェンジャー
原作 ジャック・フィニィ
脚本 ダニエル・メインウェアリング
   サム・ペキンパー
撮影 エルスワース・フレデリックス
音楽 カーメン・ドラゴン
出演 ケビン・マッカーシー
   ダナ・ウィンター
   キャロリン・ジョーンズ
   ラリー・ゲイツ
   キング・ドノヴァン
   ジーン・ウィルス
   サム・ペキンパー