“アイデンティティー”(2003年アメリカ)

Identity

激しい雨の夜に、とある田舎町のモーテルに引き寄せられるように集まった、
数人の男女がそれぞれに困った状況になりながらも、仕方なくモーテルに泊まることになる。
その夜に、次々と彼らを襲う惨劇を軸に、精神的に不安定になっていく様子を描いたサイコ・サスペンス。

監督は『17歳のカルテ』で評価されたジェームズ・マンゴールド。
まぁ・・・凄く出来の悪い映画という感じではないけれども、これはなんとも微妙な出来。
上映時間が凄くタイトで、アッという間に終わってしまうヴォリューム感であるのが、この映画最大の長所。

次々と殺人が起こって、次第に謎めいたスリルが迫りくる演出はなかなか上手い。
しかも、この手のミステリーの要素がある映画だと、謎解きに一生懸命になりがちなのですが、
この映画の場合は謎解きに重きを置くという感じではなく、それよりも心理描写に徹したのは良かったと思います。

ただ、オチありきの映画という気もしますが、それでも前半の伏線を上手い具合に回収していて、
映画としては破綻していない。しかも一切の無駄を削ぎ落した内容なだけに、全てがピンポイントである。

多重人格者のサイコパスな人格が出たり、引っ込んだりするという難しさと、
そのサイコパスな人格をあぶり出して、消し去ろうと試みる精神分析医。無理のない範囲でモーテルでのエピソードと
交互させながら描いていくのですが、僕は精神分析の詳しいことは分からないのですが、何故に分析医が
「邪悪な人格は消えた」と言い切ったのか、その根拠がよく分からず、それを審理にかけるというのが、
どうも説得力に欠けるようには感じたけれども、おそらくそういった多重人格と向き合わせるということはあるのだろう。

とは言え、分析医は単に死刑反対の立場から主張していただけなのかもしれない。
要するに、サイコパスな人格が消えたとする医学的なエビデンスは無く、単に死刑を回避するためだけに。
この辺の不透明さが何とも言えない後味の悪さを残すのですが、結局はこれもクライマックスにドンデン返しがある。
(死刑判決がくだったにも関わらず、随分と簡単に覆す審理が行われるのだな・・・と邪推してしまう)

モーテルに引き寄せられた複数人の男女は、それぞれに“秘密”を抱えている。

そこで、古くは先住民たちの墓地であった場所に建てられたモーテルに集って、
まるで“生き残りゲーム”であるかのように、殺人鬼の魔の手に脅え、殺人鬼が何処にいるのかも分からない。
そんな状況ですから当然、パニックに陥るわけですが、そこで審理のシーンが絶妙にクロスオーヴァーする。

この構成は本作にピタッとハマっていて、上手いことやりましたね。
これは下手なディレクターがやる失敗するストーリーだと思いますが、ジェームズ・マンゴールドは器用な人ですね。
『コップランド』や『17歳のカルテ』、『ニューヨークの恋人』といった監督作から、いきなりこういう映画の監督ですから。

そういえば、2022年に他界したレイ・リオッタが囚人護送途中の刑事役で出演しています。

もう、本作は彼の描き方が絶妙なのですが、レイ・リオッタは刑事のクセに最初っから怪し過ぎ(笑)。
初っ端から、アマンダ・ピート演じる売春婦がスナック菓子の自動販売機で苦戦しているところに近づき、
終始、彼女を動物的な視線で近づき、彼女もその異様さに“引いちゃう”なんて、「コイツは絶対、何かある!」と
少なくとも観客の過半数がそう思うような目つきで、刑事として前に出てきますが、怪しむなって方が無理な話し(笑)。

しかし、こういう芝居を堂々と出来る役者さんって、ハリウッドでもホントに少ないと思いますよ。
本作も主役とまでは言えない扱いではありますけど、しっかりと彼なりの仕事をしていて、良いスパイスになっている。

そういう意味では主演のジョン・キューザックがもう少しインパクトを残して欲しかったわけで、
役柄上、仕方がないことかもしれませんが、レイ・リオッタの怪しさ全開の助演に完全に喰われてしまっている。
いずれにしてもレイ・リオッタ、ホントに貴重な役者さんを失ってしまったのだと、あらためて実感させられました。

久々に映画で観た、レベッカ・デモーネイはあんまり出演シーンが少なくって、
残念ではありますが、その分だけ(?)、売春婦を演じたアマンダ・ピートは良かったですね。
そういう意味では本作のキャストたちによるアンサンブル演技はなかなかのもので、キャスティングが良かったですね。

所々、衝撃的なシーン演出がありますが、特に言葉を発さない少年の継父に
車が突撃してくるシーンにはビックリしましたね。ジワジワくる恐怖を大切にしながらも、一気にショッキングな演出をする。

しかし、この最後のオチは賛否両論でしょう。これ言ってしまうと、“何でもアリ”になってしまうから。
まぁ・・・脚本ありきの映画というよりは、キチッと作り手の演出センスが光る内容ではあるのですが、
それでも本作で最もインパクトが残るのは、このドンデン返しとも言うべきオチでしょうから、目がいってしまうところ。

映画の前半で幾度となく引いていた伏線を、上手い具合に回収してはいくのですが、
映画も終盤になると、それでも辻褄が合わず回収し切れないような様相を呈してきて、映画は急転直下します。
この辺は“何でもアリ”に近い状態にはなりますが、それでもギリギリのところで破綻させなかったのはスゴい。

これはジェームズ・マンゴールドのディレクターとしての力量の高さだと、僕は思いますね。

ただ、それでももっと見応えを出せる映画であったはずだと思います。
映画は破綻していないが、どこか悪い意味で軽い。ストーリーを追うだけなら良いけれども、
得体の知れない者なのか、モーテルに泊まっている誰かなのか、誰の仕業なのか分からない殺人鬼の恐怖と
闘いながら八方塞がりのモーテルから逃げられない心理ストレス、それらが重なり合うわけですので、
もっとストレスフルな雰囲気を作り込むことが出来たはずで、こういったところが行き届かず、どこか軽いのは難点。

僕は本作の場合は、無理をして群像劇っぽく見せなくても良かったのではないかと思う。
モーテルに集まった人々、それぞれの視点から描こうとしているのは分かるのですが、少々、散漫になってしまう。

ジョン・キューザック演じるエドが主人公なのは分かるが、恐怖に襲われる人物という点では、
エド以外の誰か一人にスポットライトを当てて描いて欲しかったが、この映画の場合はそうでもなかった。
エドのみに力点を置いた描き方になっていて、いつ誰に襲われるか分からない恐怖に襲われる人として、
中心的にスポットライトが当たる人物が不在になっていて、それを全員にしようとすると、さすがに無理がでる。

そのせいか、謎解きよりも心理描写に徹した割りには、いつ襲われるか分からない恐怖よりも、
エドの複雑な心理状態にスポットライトが当たり、もう少し観客にストレスのかかる展開にして欲しかったなぁ。
そのせいか、映画が終盤にさしかかると、「何かカラクリがあるのだろう・・・」と先読みしてしまって、
目的も正体も分からない謎の殺人鬼から逃れたいという気持ちよりが、どうにも盛り上がらずに終わってしまう。

しかし、ハリウッド映画のモーテルの描き方がなんだか興味深い。
往年の名作『サイコ』でヒッチコックが、こういう撮り方をしたから、悪夢のような夜を過ごす場所として
インプットされてしまったのかもしれませんが、本作にしてもそうだけど、必ずと言っていいほど犯罪の香りが漂う。

日本で言うなら、民宿のような場所なのかもしれませんが、それにしても泊まりたいとは思えない(笑)。

日本にも廃墟マニアっていて、Youtubeなどでも廃墟に潜入する動画が数多くありますが、
アメリカにはモーテルの廃墟って、数多くありそうだなぁ。そして、それらは心霊スポットになってそう(笑)。
現に本作も、そういうイメージを持って、モーテルを題材に語らせた物語だとしか、僕には思えません。

あんな離れた建物の暗い部屋に、コインランドリーがあったり、描き方があまりに不気味ですよね。
モーテルに“そういうイメージ”を持っていなければ、そもそもこんな描き方はしないでしょう。

(上映時間90分)

私の採点★★★★★★☆☆☆☆〜6点

日本公開時[PG−12]

監督 ジェームズ・マンゴールド
製作 キャシー・コンラッド
脚本 マイケル・クーニー
撮影 フェドン・パパマイケル
美術 マーク・フリードバーグ
編集 デビッド・ブレナー
音楽 アラン・シルベストリ
出演 ジョン・キューザック
   レイ・リオッタ
   アマンダ・ピート
   レベッカ・デモーネイ
   ジョン・ホークス
   アルフレッド・モリーナ
   クレア・デュバル
   ウィリアム・リー・スコット
   プルーイット・デイラー・ビンス
   ジョン・C・マッギンレー