ハッカヒーズ(2004年アメリカ)

I Love Huchabees

こりゃ随分と豪華な映画なんだけど、よく分かんないなぁ〜(苦笑)。

環境保護主義を全面に押し出し、大手スーパーマーケット・チェーンの“ハッカビーズ”の新規店舗出店に
反対する青年アルバートを主人公に、新規店舗出店に心血を注ぐ本部の広報担当ブラッドとの攻防のために、
お互いに実存探偵を雇って、それぞれの’自分らしさ”に疑いをかけていく姿を描いたアイロニカルなコメディ。

と、ストーリーそのものもよく分からないのですが、
これはあくまで哲学的な映画であり、凄くバカバカしい話しを高尚に取り扱ったという感じだ。

監督は『アメリカの災難』と『スリー・キングス』のデビッド・O・ラッセルで、
過去の監督作の中でアメリカに対して批判的なスタンスで描いていただけあって、
本作でもそのスタイルは変わらず、一貫してアメリカらしさに対して批判的なポジションをとっている。

ただ、この映画も微妙な部分を描いていて、
何が何でも売れればいいという主義で、目的達成のためには環境保護主義者をも利用するブラッドのやり方は
それはそれで問題なのですが、少なくともアルバートの左翼的なやり方も、今の時代には合わない。
この映画のデビッド・O・ラッセルの上手さと言えば、アルバートとブラッド、双方に中立的な立場を貫いたことだ。

今は「環境保護」というより、「環境保全」という理念が主流ですからね。
勿論、「環境保護」は必要なのですが、如何に今の状態を維持して次の世代へとバトンタッチするかが重要。
以前は「開発」と「環境保全」は対極するものと考えられてきましたが、今はそれらを両立させることが主流です。
一旦、物質的な豊かさを手に入れてしまった人間たちが、今の生活水準を落とすことは難しいからだろう。
勿論、「環境保全」をしなくては地球環境は悪化の一途をたどるだけだし、やがては破滅を迎えます。
しかし、「開発」を止めてしまっては、人類の進化がそこで停滞してしまい、文明の発達が滞ります。

この映画でアルバートとブラッドを主人公に置いたのは、その両方を過剰に描くためだろう。

アルバートは「環境保護」を推進し、「開発」には猛反対する。
ブラッドは「開発」を推進し、「環境保護」を蔑ろにする。

デビッド・O・ラッセルはこの作品の中で、両者の交わらないお互いの立場を強烈に皮肉っております。

しかし、この映画にはもう一つの大きな軸があります。
それは実存探偵を雇って図られる’自分らしさ”の否定であります。
これは哲学的に言う、「実在論」に関連する内容なのだろうけれども、あまりに難解過ぎて、
正直言って、僕にはよく分からない(苦笑)。だけど、これはひじょうにユニークな着想点だとは思う。

映像効果や編集などによって、映像表現上で様々な工夫が凝らされていますが、
皆、つながり合って存在しているわけで、存在するということは自分という単一な存在ではない。
ダスティン・ホフマン演じる探偵が言っていた、「何もかも、存在は皆、同一なのさ」という台詞が忘れられません。
これは、うろ覚えな曖昧な知識で恐縮なのですが、哲学で言う「自体的」という概念に等しいのかもしれません。

ただ、興味深い理知的な映画で着想点として面白いことは認めるけど、
果たしてこれが映画向きの題材であったか否かは、疑問視せざるをえないかな。
ハッキリ言って、かなり微妙な題材である。映画としては万人ウケするタイプではないことは明らかだ。

結局、このあまりにシュールな笑いに、どこまで付いて行けるかが大きなキー・ポイントだと思う。
フランス人思想家を演じた妙に色っぽいイザベル・ユペールの存在なんかもギャグとしか思えないけど、
主人公アルバートのオタクっぽい役作りなんかも、この映画で描かれる全てがシュールだ。
アルバートがイザベル・ユペール演じるフランス人思想家に惹かれるというのも、なんかシュールだ(笑)。

ただ、この映画の中で明らかに暴走しつつあったのは’ハッカビーズ”の専属CMモデルを演じた、
ナオミ・ワッツだろう。「ビキニを拒否したから、アタシを干したの!?」と詰め寄るシーンなんかは、
従来の彼女のイメージを大きく覆す、執念とも解釈できる異様なまでの迫力が出ていますね。

映画の出来としてはそこそこのレベルだと思うけど、
映画向きとは思えない題材を多くの観客に訴求できるほど、映画に力はないと思う。
そういう意味では、もっと強い映画の流れが欲しかったところで、結果的に力不足という印象が拭えない。
具体的に言えば、ダスティン・ホフマンとリリー・トムリン演じる実存探偵の存在なんかは、凄く中途半端だ。
(リリー・トムリンが必死にイザベル・ユペールに対抗しようとして、露出を多くしているのにはウケたが・・・)

なんかデビッド・O・ラッセルって、出来る映像作家なのかそうでないのか、よく分かんないなぁ〜。
『アメリカの災難』を初めて観た時は、これから凄い映画を撮りそうだなぁって感心したけど、
結局、『アメリカの災難』からは成長していないというか、同じ枠に閉じこもってしまった感じで残念ですね。

同じジェイソン・シュワルツマン主演の『天才マックスの世界』と似てますが、
残念ながら本作は『天才マックスの世界』ほど優れた作品とは言い難いですね。

やはり本作には訴求するものが足りなくって、作り手が何を主張したいのか分からないのが残念です。
やはりデビッド・O・ラッセルが撮りながら、映画の主張を模索していた節(ふし)があって、
結局、最後の最後まで何を描きたくて、何を主張したかったのか明確にできなかったという気がします。

ところで何でシャナイア・トゥエインがこの映画に出る気になったんだろ?

(上映時間108分)

私の採点★★★★★☆☆☆☆☆〜5点

監督 デビッド・O・ラッセル
製作 グレゴリー・グッドマン
    スコット・ルーディン
    デビッド・O・ラッセル
脚本 デビッド・O・ラッセル
    ジェフ・バエナ
撮影 ピーター・デミング
美術 K・K・バレット
編集 ロバート・K・ランバート
音楽 ジョン・ブライオン
出演 ジェイソン・シュワルツマン
    ジュード・ロウ
    マーク・ウォルバーグ
    ダスティン・ホフマン
    リリー・トムリン
    イザベル・ユペール
    ナオミ・ワッツ
    シャナイア・トゥエイン
    タリア・シャイア
    ティッピー・ヘドレン