私は告白する(1953年アメリカ)

I Confess

強盗目的で犯した殺人の罪の告白を受けた神父が、告白内容を他言しないという
神父としての信条を貫き通していたところ、殺人事件の捜査の過程で自分に嫌疑がかけられて、
ドンドン自分に不利な状況証拠が重なり、挙句の果てには逮捕されて裁判にかけられる姿を描いたサスペンス。

何度も言いますが、1950年代と言えばヒッチコックの全盛期と言っていい時期だ。

本作以降はヒッチコックの監督作品のスケールは大きくなっていき、エンターテイメント性も強くなり、
ハリウッドを代表するサスペンス映画の巨匠として、全世界的に人気を博す存在となっていきます。
本作はどちらかと言えば内省的な雰囲気のある映画という感じで、独特なシチュエーションを描いた作品だ。
数あるヒッチコックの監督作品の中でも、異色作と言っても過言ではない。それくらい個性的な映画です。

個人的には、この映画では空の撮り方が印象に残る。モノクロ・フィルムの中でも、
これだけ主張する空の撮り方をできるのかと思わせられる、映画の冒頭の撮影でインパクトが強い。
そこから始まるサスペンス劇は、陰鬱かつ重苦しい空気が漂う内容であり、このコントラストが鮮烈ですらある。

しかし、冷静に考えると、この映画は結構、謎だらけです(笑)。

そもそも、何故に殺人の罪の意識に苛まれたのか、知り合いの神父に懺悔の告白をするのか?
という疑問に始まるのですが、ヒッチコックがこの殺人犯をかなり過剰にトンデモない奴に描くのですが、
そのトンデモない人間性を映画が進むにつれてエスカレートさせていくので、尚更、この懺悔がよく分からない。

この変わり身がスゴいなと思わせられるのですが、苦しい生活で経済的に困ったドイツ系の男を
ヒッチコックは徐々にエスカレートさせていくので、よっぽどこういうキャクラターが好きになれないのか、
映画の冒頭では一見すると善良な市民という感じだったのに、いつの間にか危険人物と化していく。

そして、いくら目撃証言があったとは言え、警察が証拠固めを行う様子もなく、
もっともらしい直接的証拠があるわけでもない状況で、警察が主人公の逮捕に踏み切る理由も不明で、
いくら重大な殺人事件とは言え、こんなに簡単に被疑者として逮捕されるのかと、少々戸惑ってしまう。
そんな状況を全く易々と甘んじるように、警察に身柄を“捧げに”行ってしまう主人公の精神状態がなんとも不健全だ。

裁判もなんだかよく分からない展開だ。尋問内容も理不尽に思える内容だし、
手に汗握る法廷劇というほど白熱した部分もなく、ただ淡々と映画の中で既に描かれた部分をトレースしていて、
映画で描かれたような判決に至る理由も正直言ってよく分からない。おそらく、ヒッチコックはそんなことを
描きたかったわけではなく、神父が戒律から信条を貫かざるをえないという理不尽さを描きたかっただけに思います。

まぁ、そういう特殊なタイプのサスペンス劇なわけですから、映画にスリルが宿っているかと言われると微妙で、
映画の緊張感という観点からも、他のヒッチコックの監督作品と比較しても、全体的にユルい雰囲気だ。

ただ、こういう題材に当時のヒッチコックがトライしたというのは、
やはり創作意欲が旺盛であったことの証明でしょうし、決して出来の悪い作品にはならなかったことに凄みを感じる。
本作なんかは、ややもすると、トンデモない映画になっていた可能性があるほど、難しい題材であったと思います。

主演のモンゴメリー・クリフトも、当時は将来を嘱望された期待の若手俳優でしたが、
そんな若手俳優もいきなり苦悩に苦悩を重ねる役柄で、なんとも重苦しい役柄で起用するという荒業。
まぁ・・・ヒッチコックの映画にモンゴメリー・クリフト自身が合っていなかったような気もするのですが、
それでも上手く仕上げていますね。彼の真面目そうな雰囲気から、純愛を描くことにシフトしたのは正解でしたね。

神父の若き日の恋人を演じたアン・バクスターは元々は黒髪の女優さんで、
本作でヒッチコックがヒロイン的な役で起用する際に、彼女をブロンドベアーに変えたのが、
なんともヒッチコックらしい・・・というか、常人には理解し難いくらいのブロンドヘアーへの執着心を感じる。

まぁ、あくまでアン・バクスター演じるルースは仕事で出会った国会議員と結婚していたという設定なので、
出征したかつての恋人とは言え、神父との純愛を貫くとは言え、これは不倫の恋となります。
彼女にとっては幸運なことに、旦那が彼女の神父への想いに寛大だったために、愛憎劇の様相はありませんが、
これも違った方向にエネルギーを注ぐことになると、不倫劇からのサスペンスに転じそうなストーリー展開です。

そんな苦悩の恋心に揺れる男女に絡んでくるのが、2人の男たち。

1人はビレットという弁護士で、殺人事件の被害者。彼は彼で、神父との許されぬ恋を知って、
国会議員の妻であるルースに脱税をしたいんだと脅して、執拗に毎日のように脅迫行為を繰り返します。
結局は、神父も一緒になって脅されていたわけで、この事実は彼らは警察にも打ち明けにくくなっていくのです。

しかし、このビレットという弁護士。どうやら金を持っていた模様で、
週に1回、庭の手入れで雇っていた男ケラーに、強盗目的で不法侵入され殺害されてしまいます。

もう一人の男とは、、このケラー。前述したように何故だか、交友のある神父のところへ夜中に来て、
罪の意識から殺害を告白したくせに、その後は神父が警察に密告することを恐れて、執拗に口封じの脅しをします。
それは「神父なんだから、懺悔の告白を言いふらせるわけがない」というパワーワードで、神父はこれに苦悩します。

このケラーという男。連れ添う妻との裕福ではない生活に悩んでいたようで、
口では神父に親切にしてもらったと感謝の言葉を告げますが、神父に口封じのプレッシャーをかけるわ、
挙句の果てに突如として、「やるしかねぇ」と言って、裁判所に拳銃を忍ばせて神父の判決を聞きに行くし、
連れ添った妻だろうが、窮地に追いやられたら見境なく引き金を引くし、逃亡してホテルに逃げ込んで、
警察に追い詰められたら、それまでの穏やかな性格から豹変したかのように荒っぽい言葉で悪あがき。

ヒッチコックはこのケラーという男に何を表現したかったのか、僕にはよく分からなかったけど、
突如として狂気を見せるというエスカレートぶりが、この映画の大きな特徴であったように思いますね。
原作がどうなっているのかは未読なので分かりませんが、カナダのケベック州が舞台の映画でして、
ドイツから渡ってきた移住者が、この土地に慣れることができずに精神を病んでいったという構図なのかもしれません。

ただ、個人的にはこのホテルに逃げ込んで、神父が説得にかかるというエピソードは蛇足。
あくまで裁判所のロケーションで映画が完結するように、ヒッチコックも飛躍し過ぎないように演出して欲しかった。

それにしても、懺悔の告白を聞いて、導くことが使命である神父にとって、
犯罪行為の懺悔を聞いた場合、どこまでその秘密を守るべきなのかというテーマは、真剣に考えたことがないので、
これはこれで面白いテーマでしたね。色々と考えても、これといった答えはないのだけれども道義的には、
必ずしも戒律のために、告白者の懺悔の秘密を受けて、それを隠匿することが美徳ということではないと思う。

きっと、宗教上の難しさはあるのだろうし、聖職者としてそう簡単にはいかないということもあるのだろうが、
一方で犯罪行為の懺悔であれば、やはり被害者がいるということを忘れてはならない。大抵の場合は、
自首を促すのだろうが、必ずしもそれを聞き入れるわけではないだろうし、戒律がモラルに勝るというのは馴染めない。

ヒッチコックは敢えて、このテーマに着目して挑戦的な映画を撮った作品、と理解すべきなのでしょう。
そう思うと、野心的な作品ですが、ヒッチコックの飛躍へ向けた助走とも言える作品と言っていいのかもしれない。

(上映時間94分)

私の採点★★★★★★★☆☆☆〜7点

監督 アルフレッド・ヒッチコック
製作 バーバラ・ケオン
原作 ポール・アンセルメ
脚本 ウィリアム・アーチボルト
   ジョージ・タボリ
撮影 ロバート・バークス
音楽 ディミトリ・ティオムキン
   レイ・ハインドーフ
出演 モンゴメリー・クリフト
   アン・バクスター
   カール・マルデン
   O・E・ハッセ
   ドリー・ハス
   ブライアン・エイハーン