荒野のストレンジャー(1972年アメリカ)

High Plains Drifter

これはもう...いろんな意味でイーストウッドが好き放題やった西部劇だ。

決して支離滅裂な映画というわけではないのですが、
イーストウッド自身の師匠でもあるセルジオ・レオーネやドン・シーゲルからの系譜を感じさせながらも、
当時のアメリカン・ニューシネマな雰囲気をスパイスにして、従来の西部劇には無い作品に仕上げました。

71年の『恐怖のメロディ』に続く、第2回監督作品なのですが、
確かに各シーンの撮り方にはイーストウッドらしさを感じさせ、それでいて一種独特な斬新さを感じさせる。

もっとも、イーストウッドが演じた流れ者は実にメチャクチャな男だ。
お世辞にも勧善懲悪とは言えず、流れ着いた田舎町ラーゴで最初に訪れた酒場で早速、荒くれ者たちに絡まれて、
次に立ち寄った理髪店で顔を剃ってもらうときに、酒場で絡んできた男たちがケンカを売ってくる。

凄腕のガンマンである流れ者は、3人の男たちをアッという間に射殺し、うち1人は額に命中させている。
騒ぎに慌てたラーゴの住民たちは、流れ者を脅威として感じるが、小さな町を闊歩する流れ者に強気に絡んだ女性は
流れ者に力づくで納屋に連れ込まれ強姦される。そう、この映画でイーストウッドが演じる流れ者は最低な野郎だ。

しかし、流れ者凄腕に驚いたラーゴの住民たちは、近々釈放されるラーゴの町に恨みを持っている
3人のアウトローの復讐を恐れていて、この流れ者を用心棒として雇おうと合議し、「なんでも言うことを聞く」と言い、
流れ者に仕事を依頼するが、本心の見えない流れ者は「なんでも言うことを聞く」という住民の言葉に乗じて、
種々の指示をだしながらも、好き勝手なことをやり始めて、ラーゴの住民たちの分断を生むことになります。

この流れ者、それまでのラーゴの住民たちの生活をグチャグチャにするかのように混乱させるし、
ラーゴの住民たちも3人のアウトローを待ち伏せしたいと主張しながらも、銃の腕前は下手なのばかり。
噛み合わない彼らの姿を描いているわけですが、そんな中でも流れ者は性欲にも忠実に行動します。
この辺は如何にもイーストウッドっぽいワールドを全開って感じで、女性たちも結局まんざらではないのが彼ららしい。

まぁ・・・普通に考えれば、こんな奴が主人公の映画って、ありえないと思うんですよね。
そこをまるで「なんか文句あるのか?」と言わんばかりに自信満ち溢れた主張が、イーストウッドらしい。

映画は冒頭から、まるでブラス・ロックのチェイス≠ホりにトランペットの不穏な音色が鳴り響き、
どこかオカルトな雰囲気溢れる演出があったりして、どこか普通の西部劇ではないことを想起させられます。
一種異様な雰囲気があり、独特な映画です。映画のクライマックスが近づいて、流れ者はラーゴの町にある
全ての建物を赤色のペンキで塗らせて、まるで“血の町”に仕立て上げるというのも、なんだか奇異に見える。

この辺の何を考えているのか、その真意が見えにくい不気味さをイーストウッドは
この映画で上手く利用している感じで、かなり荒っぽい部分はあるのですが、これはこれで個性的な監督作です。

ただ、前述したような破綻した主人公を描いた映画ですので、
内容的にはコンプライアンスの意識や被害者感情を強く意識する現代社会にあっては、
この映画は賛否が沸くところであり、おそらく強い支持を得ることは難しいでしょう。この時代だから成立した作品です。

だって、架空の物語とは言え、スゴい亭主関白な映画ですからね。まるで「女は黙っとれ!」みたいな内容。

それは、流れ者に強姦された女性が突如として理髪店に乗り込んできて、
入浴していた流れ者を見境なく銃を乱射して復讐しに来るというのもスゴい話しだけれども、
それを保安官が押さえて、近くの事務所に連れてきて、抗議をしたら「我慢してくれ。ヒステリーになるな」ですからね。
それは男性目線から見ても「ええっ!?」な言葉ですよ。フィクションとは言え、スゴい展開だと驚かされるわけで。

映画の後半もホテルの経営者の妻に目を付ける流れ者のギラギラ感に閉口させられる。
この映画でイーストウッドが演じたキャラクターというのは、最も共感を呼ばないキャラクターかもしれません。
それを敢えて演じたのですから、それは勇気のいる仕事だったと思いますよ。何か惹き付けられたのだろうけど。

おかげで僕は、ジェフリー・ルイスらが演じた釈放になった3人組の存在が霞んで見えましたね。
主人公の流れ者の傍若無人ぶりがスゴ過ぎて。映画のクライマックスの決闘も、どこか軽い感じでしたし。
(ジェフリー・ルイスは言うまでもなく、イーストウッドの映画の常連なので、相変わらず良い味出してるけど・・・)

まぁ・・・この映画自体はアメリカン・ニューシネマの影響は受けていると思います。
と言うか、ニューシネマ期でなければ、この映像表現はありえなかったでしょうし、内容も然りです。
脚本のアーネスト・タイディマンは『フレンチ・コネクション』の脚本を書いた人でもありますからねぇ。

西部劇としては地味な内容であり、ガン・アクションを期待する人には物足りない作品と思います。
イーストウッドも最初っから、本作で激しいガン・アクションを撮ろうという気は、ほぼ無かったと思います。
映画の終盤でイーストウッドは少しだけ本領発揮という感じですが、それでも他作品と比べると物足りない。
終始どこか高みの見物をしているようなキャラクターで、何を考えているのか分からない不気味さが消えません。

ひょっとしたら、ずっとイーストウッドはミステリアスでイケメンな凄腕ガンマンを演じてきたから、
本作では敢えて、どこか信用ならない最低野郎を演じたのかもしれませんね。凄腕ガンマンは捨ててないけど。

そう思うと、イーストウッドの個性が前面に出た監督作品ではありますが、
かなり野心的な内容であり、70年代であったからこそ成し得た異色作という位置づけができると思いますね。
賛否はあると思いますが、僕はこれはこれでイーストウッドの作家性を確立する上で、重要な作品だと思います。
後年の彼の監督作品でも、本作ほどではないにしろ、こういう異様な表情を垣間見れるところがあります。

基本設定としては『荒野の用心棒』のようですが、そこにオカルト・ホラーな雰囲気が混じった妙味。

この映画のキー・ポイントはラーゴで、かつてダンカンという保安官が謎の拷問にあって殺害され、
その様子をラーゴの住民ほぼ全員が見殺しにして、闇の葬ったという過去があるということだ。
実際、主人公の流れ者が悪夢を見るかのように、幾度となくムチで打たれ拷問されるフラッシュ・バックが描かれる。

流れ者の傍若無人であり、最低野郎であるのはラーゴの住民に対しての報いでもあるかのようだ。
そう思って観ると、この映画のラストシーンはまた違った味わいがあって、なんとも深いものを感じさせられます。

ここまで謎めいた...言葉を換えれば、不可解な西部劇というのも珍しいのですが、
僕は本作、イーストウッドの映画監督としてのキャリアを考えると、この映画は重要だと思います。
それはやはり、イーストウッドが描く西部劇というのは、基本は復讐劇にあるということを決定づけたからです。

ちなみにホテルの主人の奥さんを演じたヴァーナ・ブルームは、どこかで観た記憶があると思ったら、
71年の『さすらいのカウボーイ』でピーター・フォンダの奥さんを演じた女優さんでしたね。
あの映画もかなり独特な西部劇で、アメリカン・ニューシネマの影響が色濃い作品でしたが、
この頃は本作もそうですけど、かなり作品選びが個性的でしたね。しかも、どことなく似たキャラクターなんですね。

イーストウッドとは、おそらく本作で起用されたことが縁でしょうけど、
82年のイーストウッドの監督作である『センチメンタル・アドベンチャー』にも出演していました。

傍若無人な流れ者に反発しながらも、仲間意識とどこか屈折した感覚のラーゴの町への反発。
その狭間で揺れ動く女性を演じており、ひじょうに難しい役どころでしたが、見事な助演になっていると思います。

(上映時間105分)

私の採点★★★★★★★☆☆☆〜7点

監督 クリント・イーストウッド
製作 ロバート・デイリー
脚本 アーネスト・タイディマン
撮影 ブルース・サーティース
美術 ヘンリー・バムステッド
編集 フェリス・ウェブスター
音楽 ディー・バートン
出演 クリント・イーストウッド
   ヴァーナ・ブルーム
   マリアンナ・ヒル
   ミッチェル・ライアン
   ジェフリー・ルイス
   ジャック・ギン
   ビリー・カーティス
   ステファン・ギーラシュ
   バディ・ヴァン・ホーン