天国と地獄(1963年日本)
文豪エド・マクベインの原作『キングの身代金』を日本映画界の巨匠、黒澤 明が撮ったエンターテイメント大作。
60年の『悪い奴ほどよく眠る』に続く現代劇の映画化ですが、本作で明らかなのは当時の黒澤
明は
明確にハリウッドの手法を目指していたということで、映画の内容はともかくとして当時の日本映画界の中でも
一際スケール感のある映画を撮っていて、他のディレクターとはまるで異なるステージで活動していますね。
映画は三船 敏郎演じるナショナル・シューズという靴製造会社の二世で重役の丘の上の邸宅で、
息子と間違われて、彼の運転手の息子が誘拐されて、身代金3000万円が要求されるという誘拐事件を描きます。
物語の都合上、映画の中盤に誘拐事件は人質である子どもが解放されて、事件の捜査がメインになる。
映画の前半もどちらかと言えば、自分の息子ではない子どもが誘拐されて、多額の身代金を要求されたことで
会社内の勢力争いに勝つために用意していた資金に手を付け、身代金を支払うか否かのやり取りで構成されている。
後半に入ると、身代金を失った三船 敏郎演じる権藤が経済的にマズい立場に追い込まれたことに同情した、
刑事たちが必死になって誘拐犯を検挙しようと、地道に捜査活動に勤しむ姿をドキュメントすることで描いていきます。
この前編と後編に分けたような感じが良くって、黒澤は本格的に推理映画を撮りたかったらしいけど、
確かに担当刑事を演じた仲代 達矢が印象的でして、前編では犯人に翻弄されながら必死についていく姿を見せ、
後編では一転して聞き込み捜査を軸に自ら足を動かして情報を集めて、能動的に犯人に迫っていく姿が印象的だ。
前編は権藤vs犯人の駆け引きだったのですが、後編では警察vs犯人という構図に変わっていくのが興味深いところ。
この映画の舞台となるのは、高度経済成長期に差し掛かった頃の日本であり、色々と活力みなぎっていた時期だ。
印象的なのは、(黒澤の趣味でもあるが・・・)ジャズが街中で流れたり、欧米人が出入りする酒場などでして、
かなり欧米化が進んでいたことが実感できる描写があって、終戦から18年で劇的に社会が変化したことを映している。
権藤の邸宅にしてもそうですが、ライフスタイルがかなり洋風になっていて、裕福な家庭の生活水準は既に結構高い。
ただ、この映画のポイントの一つでもあるのですが、権藤の丘の上の邸宅が街の様子を見下ろしていて、
反対に見れば、見下ろされている側の人間が権藤邸を見上げる度に凄まじいルサンチマンを燃やすということになる。
貧富の差という言葉は適当ではないかもしれないが、凄まじいルサンチマンを燃やされたことで
権藤は精神的に追い詰められていき、結果的にも経済的にも追い詰められる。誘拐犯は容赦なく権藤や警察に
挑戦していきますが、本作で描かれるナショナル・シューズという企業内の権力闘争も情け容赦ない様相を呈していて、
邸宅を抵当に入れざるをえなくなる権藤に同情した刑事は、なんとかして権藤に報いようと力を尽くすのが印象的だ。
コンプライアンスがうるさくなった現代の感覚とはマッチしませんが、「世論なんて関係ないですからね!」と
借金の返済を迫る債権者のオッサンたちの強気な発言がありますが、この非情さは黒澤も意図して描いてますね。
富を築いた人々の闘争というものほどえげつないものはないことも、黒澤にとっては大きなテーマだったのでしょう。
格差社会が生み出す可能性のある悲劇とも解釈できますけど、黒澤の鋭い視点が生きた作品だと思います。
黒澤が撮った現代劇としては、僕は本作がNo.1と言ってもいい出来かと思っています。
本作の前に撮った『悪い奴ほどよく眠る』も良かったけど、同作の映画の後半に納得いかなかったせいもあってか、
僕の中では本作の方が黒澤の作家性が良い方向に機能した現代劇だと思った。それくらい充実した仕上がりだと思う。
本作のハイライトとなるのは、映画の中盤にある身代金の受け渡しとなる東京〜大阪を結ぶ
「第二こだま」に乗って、熱海付近の指定された場所で身代金の入ったバッグを窓から投げ捨てるというシーンかな。
このシーンの撮影には、実際に黒澤は貸切列車をチャーターすることを選択し、幾重もの“保険”をかけて撮影を敢行。
可能な限りあらゆるルックで撮影したそうですが、限られた時間であったために、NGが許されない雰囲気になった。
そんな緊張感(?)とでも言いますか...いや、臨場感が実に素晴らしく、こんなアイデアを実行に移したディレクターは
当時の日本映画界では黒澤ぐらいでしょうし、ここまでのエンターテイメント性を追求していたのも黒澤くらいでしょう。
そういう意味では、本作は当時の黒澤が一人、まったく違うレヴェルで映画を撮っていたことの証左であったと思う。
賛否はあるだろうと思いますが、個人的には本作のラストシーンも嫌いになれない呆気なさ(笑)。
犯人が自己顕示欲を見せたかったのか、権藤を呼びつけて動機を話し始めるのですが、常軌を逸した態度を見せて
刑務官が強制的に面会終了。若き日の山崎 務の狂気的な芝居が屈折した感情を表現していて、強烈なラストだ。
一方的に犯人側から妬みのような言い訳を聞かされるわけですが、どこか釈然としないまま終了というのも悪くない。
エド・マクベインの原作がどうなっていたのかは分かりませんが、多少のアレンジはあるでしょうから、
黒澤のアプローチ自体は間違っていないと思うし、少なくともやたらと台詞でカラクリを説明させてしまい失敗した、
『悪い奴ほどよく眠る』の終盤の展開と比べると、かなり改善したと思う。こういった切り替えの速さも、黒澤の強みだ。
少々、ベタな演出ではありますが...カバンを燃やしたら、ピンク色の煙が上がるという発想も面白い。
白黒映像の作品でしたけど、ここだけ着色した映像表現になっており、あまり見ない映像表現でもある。
しかし、当時はまだ白黒フィルムにこだわって撮っていた黒澤でしたが、徐々にカラー・フィルムへの心の揺れが
あったのかもしれず、そんな黒澤の映像に対する考えが象徴されたのが本作の煙の映像表現だったのかもしれない。
変わりゆく映像技術の進展を黒澤なりの発想をプラスして、こういった映像表現になったのではないかと思います。
おりしも、高度経済成長期に入って家庭間での経済格差が広がったことで、誘拐事件も増えたようですが、
黒澤はそういったことをテーマにしながらも、一方で自分の子どもではない誘拐事件でありながらも、多額の身代金を
支払うことができるのか、言い方を変えれば会社経営に必要な資金を他人の子どもの身代金に当てられるか、
という少々意地悪なことをテーマにしていて、単純な営利目的や快楽目的の誘拐を描いた作品というわけではない。
いざ、犯人の動機を聞けば、個人的な妬みに近いものであったというのは拍子抜けするところはありますが(苦笑)、
三船 敏郎演じる権藤のリアクションを見ると、現実の不条理さを象徴したものとして受け止めるべきなのだろう。
映画の後半の刑事たちの地道な捜査活動をドキュメントしていくドラマについては、
逗子・葉山・江の島、三浦半島の土地勘があれば尚一層楽しめるでしょう。まだ風光明媚な土地という感じですが、
今現在の町の風景と比較すると、更に楽しめる。江ノ電の走行音などで場所を突き止めたりと、ローカルネタで溢れる。
僕も三浦半島は好きで、かつて東京出張に行ったときに有休をくっ付けて京急で三崎口まで行ったり、
逗子の町を歩いて海岸沿いを散歩したりしましたけど、本作で黒澤が何故にあの辺りを舞台にしたのかとなると、
やっぱり今も同様ですけど、町がコンパクトな感じがあるし、浦賀に近いこともあって米兵の町だからなのでしょうね。
それから、もう一つ本作で面白いなぁと感じたのは、三船 敏郎演じる権藤のキャラクターですね。
彼は前述したように、理不尽にも会社の勢力争いの最中に身代金の支払いを迫られ、借金の返済も迫られます。
彼の妻曰く、二世というレッテルもあったのか、かなり強引な手法で社内で出世してきたために敵も多かったが、
もともと靴の製造工場の現場たたき上げの人材であり、工場の頑固な工員からの信頼は厚く、技術も理解していた。
経営陣が流行を追おうとコストダウンし品質を下げることを提案しても、忽然と猛反対する職人気質なところがあり、
映画の中盤には身代金を収めるためのカバンを自ら細工するために加工したりと、プロ経営者とは違うところを見せる。
そんな彼も社内での厳しい状況から、映画の序盤は表情も険しく性格的にもアクが強く威圧的だったせいか、
観客も誘拐事件の被害者家族とは言え、あまり好意的に見ることができないような雰囲気で映画が始まっている。
そこから、徐々に権藤の人間らしい側面を描くことで、観客の印象を良くしていくという手法が実に賢いと思いましたね。
これが刑事たちの同情を集めて、失った身代金を取り返そうと奔走する心情とシンクロするのが絶妙に絡み合っている。
エンターテイメントをトコトン追求した作品でありながらも、黒澤は本作を戦略的に撮っていたと思います。
そんな巧妙さが板に付いていたのは、黒澤の50年代の監督作が国際的に評価され自信になっていたのもあるだろう。
(上映時間145分)
私の採点★★★★★★★★★★〜10点
監督 黒澤 明
製作 田中 友幸
菊島 隆三
原作 エド・マクベイン
脚本 小国 英雄
菊島 隆三
久板 栄二郎
黒澤 明
撮影 中井 朝一
斎藤 孝雄
美術 村木 与四郎
音楽 佐藤 勝
出演 三船 敏郎
香川 京子
仲代 達矢
山崎 努
佐田 豊
三橋 達也
江木 俊夫
島津 雅彦
伊藤 雄之助
加藤 武
中村 伸郎
田崎 潤
東野 英治郎
藤原 釜足
西村 晃
大滝 秀治
名古屋 章
菅井 きん