ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場(1986年アメリカ)

Heartbreak Ridge

クリント・イーストウッドが当時としては、珍しく軍隊を描いた軍事アクション映画。

80年代のイーストウッドは映画監督として、映画俳優として、
そして広い意味ではクリント・イーストウッドという人生として、色々な可能性を模索していた時期で、
本作が公開された86年にカリフォルニア州カーメル市の市長に当選し、2年間務めました。

もっとも、イーストウッドはハリウッドでも有名な共和党支持者ですが、
90年代以降は同じ共和党でもイーストウッドの理念に合わない政治家は支持をせず、
時には民主党を支持する発言をしているようで、結構、政治には積極的な姿勢を持っている。

本作で描かれた時代の流れに翻弄され易く、
ベトナム戦争や湾岸戦争のように、米軍兵士を派兵することには断固反対の立場ということもあり、
それだけあって、本作で描かれた若者たちを戦地へ送り出す訓練の描写には、思い入れもあったのでしょう。

本作の後に、キューブリックが『フルメタル・ジャケット』を撮っていて、
米軍兵士たちの常軌を逸した強烈な訓練シーンが話題になっただけに、本作は陰に隠れた存在ですが、
イーストウッドの監督作品ということもあって、安定感ある実に良くまとまった作品だと思います。

タイトルになっている“ハードブレイク・リッジ”とは、
戦場で地が張り裂けるように、大きく隆起した地帯という意味で、戦争の激しさを象徴する言葉だ。

この映画には『フルメタル・ジャケット』のような常軌を逸した訓練シーンはなく、
イーストウッド演じる厳しい教官が施すカリキュラムをこなす姿を、比較的、平坦に淡々と描いています。
(「ライフルの銃声を覚えておけ!」と実弾を使って、若き兵士たちに向って発射するのは異常ですが・・・)

この映画で面白かったのは、
映画の冒頭で退役前に若い兵士たちに教育することが決まって、
主人公が任地へハイウェイバスを使って向かうシーンで、たまたま豪雨の途中から、
隣の席に乗り合わせることになった、チャラチャラした若い黒人を煙たがっていたものの、
明朝のドライブインで朝食をとっていて、油断した主人公が騙され、ドライブインに置いて行かれる。

実はチャラチャラした黒人は、主人公が教育する若き兵士の一人だったという展開で、
この黒人兵士を演じるマリオ・ヴァン・ピーブルズのウザったいぐらいの絡みが、なかなか面白い。

この映画は、グレナダ侵攻の時に地元の抵抗軍の待ち伏せにあって、
窮地に陥った第82空挺師団の兵士が、クレジットカードを使って長距離電話を行って、
逃げ込んでいるポイントを伝える火力支援要請に成功し、窮地を脱したというエピソードが基になっていて、
本作の終盤でもしっかりそのことが描かれています。ウソのようなホントの話しとはこのことで、
どうやらベテラン軍人が彼らに教育するという話し自体は、後から加わった脚色のようですね。

そうなはずなのですが・・・本作も『フルメタル・ジャケット』と同様に、
映画の前半と後半で分けて考えると、どちらかと言えば、前半の方が面白かったように思います。
映画の後半はグレナダ侵攻のエピソードに移っていくのですが、ここで映画はトーンダウン。
戦場の迫力、臨場感という意味で、正直言って、他の戦争映画と比べると見劣りしてしまう。

『フルメタル・ジャケット』の場合も、僕は前半の強烈な訓練シーンが印象深いのですが、
同作品は決して映画の後半がトーンダウンしたわけではありませんからねぇ。
戦場の迫力、臨場感、緊張感、異常性、どれをとっても『フルメタル・ジャケット』は見劣りしませんでした。
(そういう意味では、本作の強化版が『フルメタル・ジャケット』なのかもしれません)

結局は若き兵士たちの心を引き寄せたのは、主人公の腕っぷしの強さというところでしたが、
一方でハイウェイバスの中から既にそうでしたが、主人公は女性雑誌を愛読して、
現代の女性の心を必死に読もうとするというのも、どこかユニークで面白い。

どれもこれも、主人公はマーシャ・メイソン演じるアギーと離婚したことが痛手で、
それを引きずりながら生活していて、任地にやって来てもアギーのことが気になって仕方がない。
それが原因で教官だというのにトラブルを起こすというのだから、実に生々しい姿と言える(笑)。

まぁ・・・映画の中ではアギーがどれだけ魅力的な女性なのか、
彼女に関しては、ほぼ言及されないのでよく分からないまま終わってしまうのが、実に勿体ない。
(それと...イーストウッドの同世代という設定での相手役として、マーシャ・メイソンは若過ぎないか?)

イーストウッドが鬼軍曹というイメージには程遠い、
甘いマスクではありますが、それでも突如としてドライブインのウェイトレスの中年女性に
誘惑的な表情で見つめられたり、別れた妻からも最後まで見捨てられない“イイ男”ぶりを
自分で堂々と演じちゃうあたりが、イーストウッドらしい自信が見え隠れする描写で、思わずニヤリとさせられる。

これでグレナダ侵攻がもっと上手く描けていれば、もっと映画は評価されたでしょう。
それでも、十分に充実した映画に仕上がってるあたり、当時のイーストウッドが既に完成されていた証拠だと思う。

ただ、この頃からイーストウッドは“男の去り際”を自分で演じることに固執しています。
撮影当時、50代後半という年齢でしたので、まだ映画俳優としてはバリバリの現役だったわけで、
政治家への転身など、新たなチャレンジを試みていた頃ですので、精神的には“去り際”を演じるには
若かったのではないかと思うのですが、これはこれでイーストウッドの一つの美学なのでしょうね。

そんな“去り際”を本作あたりから、約20年間は演じ続けていたようで、
これはこれである意味、スゴいですね。イーストウッドのスターたる原動力でもあったのかもしれません。

まぁ・・・イーストウッドの理念もあるでしょうが、やはり軍を持ち上げるニュアンスでは描いていません。
かと言って、戦争の恐ろしさを強調する内容というわけでもなく、あくまで映画俳優クリント・イーストウッドとして、
彼なりの美学を、軍を描いた映画というフォーマットを下地に貫いた映画と捉えた方がいいでしょう。

それゆえ、やや中途半端な部分があるのは勿体ないですが、
やはり戦火の中でも、甘いマスクに叫び散らさず、そんな中でも彼の美学を貫く、初志貫徹な作品だ(笑)。
そういう意味でも、イーストウッドの映画のファンであれば楽しめるという条件付きかもしれません・・・(苦笑)。

(上映時間129分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 クリント・イーストウッド
製作 クリント・イーストウッド
脚本 ジェームズ・カラバトソス
撮影 ジャック・N・グリーン
編集 ジョエル・コックス
音楽 レニー・ニー・ハウス
出演 クリント・イーストウッド
   マーシャ・メイソン
   マリオ・ヴァン・ピーブルズ
   エヴェレット・マッギル
   モーゼス・ガン
   アイリーン・ヘッカート
   ボー・スヴェンソン

1986年度アカデミー音響賞 ノミネート