ハノーバー・ストリート/哀愁の街かど(1979年アメリカ)

Hanover Street

77年に『カプリコン・1』で話題となったピーター・ハイアムズが、
第二次世界大戦下、いつ戦地で命を落としてもおかしくない状況下、
日々の過酷な任務を遂行し続ける軍人と、何一つ不自由のない生活を送りながらも、
軍人の夫と愛娘との生活から逃避するように、若き軍人との不倫の恋に夢中になる姿を描いた戦争映画。

若き日のハリソン・フォードが主演で、今となっては忘れられてしまったかのような作品ですが、
妻に不倫される軍人の役で、クリストファー・プラマーが出演していたりと、結構、豪華な映画です。

ただ、これ、基本的にダメ(笑)。
最終的には戦争映画なんだって感じなんだけど、そもそも映画の中で一番表現したかったのが、
一体どこにあるのか分からないというところが大きな難点で、しかもメロドラマの部分の出来が悪過ぎる。

映画の冒頭から、ハリソン・フォード演じるハロランとレスリー・アン=ダウン演じるマーガレットが、
お互いに電撃的な出会いであったかのように惹かれ合っているのですが、ここも納得性に欠ける。
2人の出会いがそれぐらい衝撃的であったということが、キチッと表現できていないのが致命的だ。

こういう言い方は申し訳ないけれども、
映画の前半に2人のベッドシーンもあって、随分と時間をかけてネットリと描くのですが、
この唐突なベッドシーンへの展開もよく分からないし、どうしてここまで時間をかけるのかも分からない。
こういうのを観ると、やはりピーター・ハイアムズに恋愛を描くのは難しいことなのかもしれない(苦笑)。

で、結局、映画のエンジンがかかるのはクライマックスの30分前(笑)。

ハリソン・フォードとクリストファー・プラマーが堂々とゲシュタポ本部へ潜入して、
重要書類を盗み出して、本部から逃げ出すというエピソードが始まって、ようやっとエンジンがかかる。
ハッキリ言って、それまでは映画としてイマイチ盛り上がらず、何を描きたいのかハッキリしないのが続きます。

それでいて、映画のクライマックスでは無理矢理、悲恋っぽくしようとするので、
なんだか居心地が悪い部分が出来てしまって、最後の最後まで首を傾げたくなる部分がありましたねぇ。

ただ、今回は『カプリコン・1』とは違って、飛行シーンに関してはそこまで良くない。
『カプリコン・1』で描いた、セスナを使ったチェイス・シーンはインパクト絶大でしたが、
本作で描かれたドイツ軍の攻撃を交わしながら飛ぶシーンの迫力は、そこまでではないですね。

その代わりに、ドイツ軍から追われる陸地でのチェイス・シーンはやはり素晴らしいですね。
スピード感、緊張感共に満点と言っていい出来で、やはりピーター・ハイアムズはこういうのが得意なんですね。
そういう意味では本作も、ピーター・ハイアムズ自身がカメラを担当していれば、更に良くなったのかも。
どうしても良い部分と悪い部分の落差が大きいというか、それ故、弱点が際立ってしまった印象がありますね。

ハリソン・フォードも当時から、アクション・スターとしての方向性はあったと思うのですが、
元々はキャリアの長い役者であり、いろんなジャンルの映画に適応できるはずなんですが、
どうも、本作の場合はハリソン・フォードの不器用な一面が悪い意味で、目立ってしまった気がします。

しかし、この映画に違和感を覚えるのは、
いくら戦禍という状況とは言え、不倫を美化して描いている側面があるように感じられるからでしょう。
しかし、おそらくピーター・ハイアムズはそんなことまで考えて、映画を撮っていないですよ(笑)。

まぁ・・・決して、“美化”しているというほどではないんだろうけど、
ハロランにしても、おそらくマーガレットが他人の妻であることを勘ぐれただろうし、
それでも全く躊躇することなく、マーガレットに強く押して、なんとか自分のペースに持ち込もうとします。

マーガレットにしても、どんなに心に隙間があったとしても、
どんなにハロランが自分の好みのタイプだったと言えど、自分の家庭環境を清算することなく、
不倫関係になることを分かっていて、ハロランとの肉体関係に燃えるというのですから、
思わず、通常の日本人の感覚から言えば、「なんだ、ただの不倫じゃん」と落胆しちゃうところはあるかも。

以前、02年の『運命の女』でも似たようなテーマがありましたけど、
満ち足りた、何不自由ない生活であるにも関わらず、不倫の恋に燃え上がってしまう。

まぁ・・・そこまでであれば、本人たちがなんとかバレないようにして、
すぐに関係を断ち切れるのであれば、まだ映画を純粋な気持ちで観れたのかもしれませんが、
クライマックスに至っても、やっぱり結ばれない2人の不倫が、あたかも悲恋であるかのように描かれるのが、
ハロランとマーガレットの関係が“美化”されているかのように描かれることに違和感を覚えるのでしょう。

こういう部分って、ピーター・ハイアムズはかなり背伸びして撮ったのだろうけど、
やっぱり彼はそんなに細かい部分までケアして、映画を撮れているという感じがしませんねぇ。

オマケに映画の最後にしても、なんだか都合の良過ぎる結末のような気がしてしまい、
全体的にシナリオも良いとは言えないし、映画の前半にしてもメロドラマの出来が悪過ぎますね。

まぁ、しかし...そういったチャレンジ精神があるからこそ、
ピーター・ハイアムズは息の長い映像作家として、長くハリウッドで活動できているわけで、
少しでも幅を広げていきたいという意図がよく見えた作品として、好意的に考えたい作品でもありますね。
映画の出来こそ良くなかったけれども、後年の監督作を観ると、本作での経験は決して無駄ではなかったと思う。

もう少し、映画の要点を整理して、しっかり描けていれば、
映画の印象は大きく変わっていたでしょうが、それは贅沢を言い過ぎなのでしょう。
それができていれば、ピーター・ハイアムズはもっと高く評価されていたはずなのですから・・・。

まぁ、ピーター・ハイアムズって不器用なんだけど、
ホントは彼自身、もっと幅の広い映画を撮っていきたいという意気込みはあるディレクターなだけに、
どうにも少しずつ、パート、パートで足りない部分が蓄積されて、殻を破り切れない印象が強いんですよね。
それがずっと続いてしまって、時折、面白い映画は撮れたけれども、90年代以降は低迷した印象が強いです。

40年の『哀愁』をモチーフにした映画らしいが、残念ながらその片鱗は見えていない。。。

(上映時間108分)

私の採点★★★★☆☆☆☆☆☆〜4点

監督 ピーター・ハイアムズ
製作 ポール・N・ラザルス三世
脚本 ピーター・ハイアムズ
撮影 デビッド・ワトキン
音楽 ジョン・バリー
出演 ハリソン・フォード
    レスリー=アン・ダウン
    クリストファー・プラマー
    アレック・マッコーエン
    リチャード・メイサー
    マイケル・サックス
    パッツィ・ケンジット