奴らを高く吊るせ!(1968年アメリカ)

Hang'em High

のっけから、いきなりイーストウッドが首吊りの刑になったりして、
当時のハリウッドを席巻していたニューシネマ・ムーブメントからの影響を色濃く感じさせる、
ある意味では異色な西部劇ですが、本作はイーストウッドの西部劇のベースとなっている貴重な一本だ。

監督はイーストウッドがTVドラマ『ローハイド』に出演していた頃からの友人であり、
後に『ダーティハリー2』を監督することになるテッド・ポストで、時折、彼の映像感覚を疑いたくなるような、
デリカシーの無い演出が散見されるのですが、これはこれで一見の価値ある作品と言っていいと思いますね。

個人的には首吊りを映画の中で実際に見せられることは嫌いなのですが、
本作でいきなりイーストウッドが吊るされるという展開は、良い意味でも衝撃的だったのは否定できませんね。

また、これまでの西部劇では正義と悪の構図をハッキリと描くというのが通例でしたが、
本作では一転して、正義と悪の感覚を曖昧に描いており、主人公が正義だと感じていたことであっても、
映画の中では全てを肯定的には描かず、それどころか大きな勢力には従わざるをえないという、
ある意味では“大人の事情”を西部劇に取り込むという、当時としては斬新なスタイルだったと思う。
それと、この抽象的で見方によっては中途半端に映るラストシーンのあり方にもビックリさせられましたね。

こういうラストが評価されたというのは、やはりアメリカン・ニューシネマの時代であったことが大きいでしょう。

イーストウッドはTVシリーズ『ローハイド』で全米のお茶の間の人気俳優となった後、
セルジオ・レオーネを慕ってイタリアへ渡り、僅か数年間でマカロニ・ウェスタンのスターになりましたが、
実質的には本作がハリウッドへ凱旋してきて、最初に出演した作品であり、そういう意味でも価値ある作品です。

繰り返しになりますが、この映画はオープニングが素晴らしい。
やはり何度観ても、いきなり唐突にリンチから始まって、挙句の果てには観客も訳が分からないうちに、
主人公が首吊りの刑になって、ようやっとオープニング・クレジットが始まる。ここまで開始から10分以上経過。

まぁ実に衝撃的なオープニング・クレジットの入り方ですが、
決して的外れではなく、これは43年のヘンリー・フォンダ主演の『牛泥棒』のオープニングを
モデルにしたらしく、イーストウッド自身、今尚、強く影響を受けた西部劇として『牛泥棒』を挙げています。
そういう意味では、戦時中に劇場公開され、半分、プロパガンダの道具に使われてしまった感が残る、
『牛泥棒』という作品の存在に再びスポットライトを当てるキッカケを作った映画と言うことができると思いますね。

確かに西部劇映画と言えば、50年代中頃からジョン・フォードとジョン・ウェインが
彼らの黄金期を作っただけに、それまでのスタンダードは彼らが作る西部劇にあったんですよね。
そんなスタンダードをも変えて、イーストウッドがイタリアで学んできたことを活かして、
新しい西部劇の時代に突入しようとしていたことが、よく分かる作品だと思いますね。
そういう意味で、やはりイーストウッドは当時から時代のパイオニアの一人だったと感じますね。

ちなみにジョン・ウェインは遺作となった76年の『ラスト・シューティスト』に
監督としてイーストウッドの盟友ドン・シーゲルを迎え、アメリカン・ニューシネマの影響を色濃く残した
作風にして、まるで自分でそれまでジョン・フォードらと作り上げてきた西部劇の息の根を止めるかのように、
自らが演じることによって、終息させているというのが実に興味深い時代の変遷なんですよねぇ。

強いて言えば、悪役キャラクターが物足りないんです、この映画。
僕が思うに、この悪役のインパクトの弱さによって、この映画は大きく損をしています。

例えば、売れる前のブルース・ダーンが憎たらしい役柄で出演しているのですが、
あと一歩のところで強い存在感を出すところだったのに、その“あと一歩”のところでアッサリ退場してしまう。
テッド・ポストはTVドラマの演出家として長いキャリアを持っていたはずですから、こういうバランスのとり方は
分かっていたと思うんですよね。そうなだけに、この中途半端な悪役造型はあまりに勿体ないなぁ。

全く同じことが言えるのは、主人公を吊るして恨みをかってしまうエド・ベグリーで、
彼は古くは『十二人の怒れる男』などで印象を残した名バイプレイヤーなだけに、
本作での扱いは悪過ぎるような気がしてなりません。彼ならば、もっと強烈な悪役になれたはずです。

彼に言わせた、
「オレたちは3つの間違いをおかしたようだな」
「吊るしたこと、金で解決しようとしたこと、そして...殺しそこねたこと」という台詞が傑作なだけに、
この映画は悪役キャラクターをキッチリ描くことさえできていれば、映画の印象は大きく変わっていたでしょうね。

映画は総じて、この悪役の弱さが最後の最後まで克服できないまま終わってしまった印象が強いんですよねぇ。

同じことが言えるのは、ベン・ジョンソン演じる保安官で彼もまた、チョットだけ登場して退場してしまう。
オマケにどうなったかは、台詞で語られるだけという、ある意味では酷い扱いの悪さでビックリしちゃいましたね。
こういうのを観ちゃうと、「なんか撮影途中に契約の話しとかで、プロダクションともめたのかな?」と思っちゃうなぁ。

おそらく本作はイーストウッドにとって一つの試金石となった映画でしょうね。
言ってしまえば、92年の『許されざる者』へのプロローグともなる作品であり、
イーストウッドが確立したウェスタンの中で、復讐劇を成立させるというスタンスが本作から始まってしますね。
『牛泥棒』でメインテーマとして扱った、冤罪を本作でもテーマとして掲げ、アメリカへ凱旋したイーストウッドが
今後、どのように映画を撮っていくかをアピールする方向性を示した作品として、一つの指標です。

当時から、相変わらずイーストウッドには何故か美女がくっ付いてくるという展開があるのにも、
思わずニヤリとさせられてしまうが、本作ではまだイーストウッドも我慢した方だろう(笑)。

惜しむらくは、映画の冒頭で主人公が縄で引きずられるシーンで、
イーストウッドとは似ても似つかないスタントマンがスタントしていることが観て明らかなことかな。
仕方がない部分もあるけど、あまりに観て明らかなので、もう少し何とかして欲しかったですね。

チョット異色な西部劇が好きな人には是非ともオススメした一本。

(上映時間114分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 テッド・ポスト
製作 レナード・フリーマン
脚本 レナード・フリーマン
    メル・ゴールドバーグ
撮影 レナード・サウス
    リチャード・クライン
音楽 ドミニク・フロンティア
出演 クリント・イーストウッド
    インガー・スティーブンス
    エド・ベグリー
    パット・ヒングル
    ジェームズ・マッカーサー
    ブルース・ダーン
    チャールズ・マックグロー
    ルース・ホワイト
    デニス・ホッパー