真実の瞬間(1991年アメリカ)

Guilty By Suspicion

1950年代、ハリウッドの映画産業従事者を中心に、
共産主義者を密告させるために非米活動委員会が行った、強烈なまでの弾圧活動、
通称“赤狩り”の実態をドキュメントし、その犠牲となった人々を描いた、シリアスな社会派ドラマ。

監督は本作以前は、主にプロデューサーとして活躍してきた、
アーウィン・ウィンクラーで本作が監督デビュー作となりました。主演のデ・ニーロとは旧知の仲で、
かつて80年の『レイジング・ブル』などでも仕事を共にしており、名匠マーチン・スコセッシがチョイ役で出演。

アーウィン・ウィンクラーはとても恵まれた監督デビューではありますが、
少し真正面から行き過ぎた感があり、映画としての魅力はあまり生かすことができなかったかなぁ。

クライマックスの裁判所で、主人公が非米活動委員会から選出された調査員から
詰問にあうシーンは、なかなか緊張感があって良かったと思うのですが、もう少し周辺事情は
描いた方が映画としての幅は広がったでしょうね。どうも本作は、“赤狩り”をまともに描き過ぎました。

今や“赤狩り”はハリウッドでも恥ずべき出来事として扱われており、
今となっては信じられない言論統制のようなことが公然と行われていたことに驚かされるのですが、
主人公のデビッドのように、自分を貫いた人間もいるだろうし、逆に信念なく証言をした人間もいる。
そんな彼らは、十人十色の悩みを抱えていたはずで、“赤狩り”が吹き荒れた時代以降にも、
それぞれに痛みを抱えながら生活していたはずで、それが1970年まで続いたというのは大きな悲劇だ。

だからこそ、本作にはいろいろな側面から“赤狩り”を描いて欲しかったなぁ。

おそらく保守的な政治思想もあるハリウッドですから、
アーウィン・ウィンクラーも“赤狩り”を映画の中で描くことに大きな抵抗はあったのではないかと思います。
ひょっとすると、配給会社にしてもこの企画に難色を示す会社はあったはずで、容易な企画ではなかったはず。

だからこそ、これはとても勇気のある映画であり、
もっと懐の深い映画にして欲しかったなぁ。勿体ないなぁと思ったのは、あまりに正直に描き過ぎたこと。

とは言え、映画の出来は決して悪いわけではなく、
むしろアーウィン・ウィンクラーも経験は豊富な人だったとは言え、本作が監督デビューということを鑑みれば、
本作の出来は十分過ぎるほどの充実度と言ってもいいような気がするし、周囲が上手くサポートしていますね。

思えば、ロバート・デ・ニーロとマーチン・スコセッシも、
この“赤狩り”に対しては興味が強かったはずで、私の記憶にあるのは98年度のアカデミー賞でのことだ。

この年のアカデミー賞で、“赤狩り”で業界人で共産主義者を証言したとして、
実に数多くの名作を手掛けたにも関わらず、60年代以降は完全に“干されて”しまったエリア・カザンに、
アカデミー名誉賞と授与することが決まって、授賞式ではデ・ニーロとマーチン・スコセッシがプレゼンターでした。

このときの授賞式会場はとても異様な雰囲気になったことを今でも、よく覚えています。

やはりエリア・カザンは「仲間を売った業界人」としてのイメージが定着しているようで、
それで彼のキャリアがつながったとは言え、彼のことを良く思わない映画人が数多くいたようで、
アカデミー名誉賞の通例である、スタンディング・オベーションしている人もいれば、座ったまま拍手している人、
そしてエド・ハリスらなんかは、座ったままムスッとした表情でステージに無言の抗議をしている様子でした。

この際のプレゼンターを務めたということは、少なくともデ・ニーロとマーチン・スコセッシには、
エリア・カザンの功績を称えたという気持ちがあったからでしょうし、皮肉も本作では証言を拒否して、
自分を貫いた映画人を演じたのですが、証言せざるをえなかった人の心情も理解をしているということなのでしょう。

本作の内容をエリア・カザンがどう見たかまでは分かりませんが、
デ・ニーロのような人が、エリア・カザンのような存在の人に理解を示したというのは意外と言えば意外だし、
でも、そういう柔軟な考え方、大局的な見方をしているということに彼の人間性を感じさせますね。

上映時間はそこまで長くはありませんが、映画の見応えは十分にあります。
前述した、“赤狩り”をもっといろんな角度から描いていれば、当然、上映時間は長くなったでしょうし、
個人的には上映時間が長くなってもいいから描いて欲しかったのですが、それでも決して悪い出来ではないです。

この“赤狩り”は上院議員ジョセフ・マッカーサーが共産主義を封じ込めるために考案したことから、
今ではマッカーシズムという言葉で知られていますが、こういった過激な方法によって、
実質的にハリウッドを去ることを余儀なくされた中に、チャールズ・チャップリンがいたことでも有名だ。
更にハードボイルド作家ダシール・ハメットも、その犠牲者の一人であり、彼は徹底抗戦したためか、
体力が落ちていたにも関わらず服役刑に処され、実質的に死期を早めてしまったのではないかと言われている。

そんな歴史的な暗部にスポットライトを当てるとなると、
往々にして政治思想を主張する映画、つまりはプロパガンダの道具となりがちなのですが、
本作はそういった風潮は避けており、それっぽいのはラストシーンのテロップのみで留めている。
対照的に81年にウォーレン・ビーティが撮った大作『レッズ』は彼の政治的主張が強い内容であり、
映画の出来そのものは素晴らしいものでしたが、どうしても僕は純粋な気持ちで観れなかったなぁ・・・。

まぁ結果的にエリア・カザンのような証言台に立った者も、
「密告者」というレッテルを貼られて、60年代にはハリウッドを“干されて”しまい、仕事を失いました。
その他にもブラックリストに名前が載った者、実質的にハリウッドを追放された者が発生してしまい、
誰にとっても恵みをもたらせた政策にはならなかったという顛末が、とても皮肉に思えてなりません。

前述しましたが、映画はラスト10分、デビッドが非米活動委員会の証言の場で
不当なまでの詰問にあうシーンは緊迫感があって、実に素晴らしい。

多少、贔屓目かもしれませんが、アーウィン・ウィンクラーがこういうシーン演出ができるということを
しっかりと証明できたというのは、大きな収穫でしょう。だからこそ、デ・ニーロも翌92年にすぐに撮った、
第二回監督作品である『ナイト・アンド・ザ・シティ』に出演する気になったのでしょうねぇ。

何故、高い評価を得られなかったのかは分かるような気がしますが、
個人的には過小評価な傾向がある作品だとは思いますね。もう少し注目されても良かったのになぁ・・・。

(上映時間104分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 アーウィン・ウィンクラー
製作 アーノン・ミルチャン
脚本 アーウィン・ウィンクラー
撮影 ミヒャエル・バルハウス
音楽 ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演 ロバート・デ・ニーロ
    アネット・ベニング
    ジョージ・ウェント
    パトリシア・ウェティグ
    サム・ワナメーカー
    ルーク・エドワーズ
    ベン・ピアッツァ
    クリス・クーパー
    マーチン・スコセッシ
    アダム・ボールドウィン
    トム・サイズモア