グレート・ボールズ・オブ・ファイヤー(1989年アメリカ)
Great Balls Of Fire!
“史上最強のロクデナシ”と世間からのバッシングに苛まれたジェリー・リー・ルイスの
デビューから強烈なバッシングを浴びるキッカケとなったイギリス・ツアーまでを描いた伝記ドラマ。
監督は『ブレスレス』のジム・マクブライドで、本作も“キラー”の異名をとった
伝説的ロックンローラーでありながらも、当時13歳だった自分の従兄弟の娘マイラと結婚したことで、
強烈な世間からバッシングに遭い、ヒット・チャートから無縁になってしまったというシリアスな経緯を描いているのに、
映画は底抜けに明るく、ジェリー・リー・ルイスの音楽の勢いそのままに、映画も最後まで一気に突っ走ります。
ジェリー・リー・ルイスは21世紀に入ってから、老体に鞭打って音楽活動を続ける姿が
彼の過去の偉業を再評価するキッカケとなりましたが、彼の全盛期である50年代の映像はあまり残っていません。
それでも、まるでピアノの鍵盤を刺すような仕草でピアノを、文字通り弾き倒すというのが彼のスタイルであり、
デビュー当時は、アメリカのティーンたちを夢中にさせたエルヴィス・プレスリーとは一線を画する路線でした。
ただ、彼のような音楽スタイルというのは、別に彼が独自に始めたということではなく、
例えば49年にデビューしていたファッツ・ドミノ、55年にデビューしたリトル・リチャードの方が先なんですよね。
だからジェリー・リー・ルイスの功績が小さいというわけではなくって、やっぱり50年代ってまだ人種差別が
社会的に露骨にはびこっていたアメリカ社会ですから、映画の冒頭に描かれている通り、黒人が偏見に苛まれ、
苦しんでいた時代であり、やっぱり白人社会では強い拒否反応があったわけですね。それも社会を分断する強さでした。
ジェリーにそんな気持ちは無かったとは思いますが、結果的にジェリーが黒人音楽への憧れとして、
彼なりのロックンロールを一つのフォーマットとして演奏したことで、白人社会に受け入れられ易い土台は
作ったと思うんですよね。おそらくジェリーの音楽を楽しんだことがキッカケで、黒人ミュージシャンの音楽が
日常的に愛聴するという流れがあった白人たちは、多くいたはずです。これはこれで功績はデカいと思いますね。
しかし、あまりに型破りなジェリーの生き方や価値観が、社会とは相容れないものがあり、
自分の従兄弟の娘マイラと結婚するという驚愕の事実がスキャンダルとなり、一気に落ちぶれていきます。
当時のジェリーは何故、世論がそんな大騒ぎするのか、全く理解できていなかったようで、
「余計なことに口出しすんな!」というのが彼の言い分で、彼は自分の音楽でそういった雑音を
完全に封印することができると信じていたようですが、残念ながら当時の世論によっては彼は冷遇される時代を迎える。
彼の感覚は、やっぱりロクデナシと言うか、大きく常識から乖離していたことは事実で、
彼が契約していたレーベルである、サン・レコードもジェリーの私生活を大きく危惧していたようですね。
それでも、周囲の反対を押し切って、ジェリーはマイラとの結婚をマスコミに“宣伝”し、それが致命傷となるわけです。
火の吹くようなピアノの鍵盤の連打と、時にファルセットを利かせてテンポ良く歌い上げるジェリーは、
ピアノの椅子が蹴っ飛ばすわ、鍵盤に乗っかるわ、挙句の果てにはコンサート中にピアノに火をつけるわと、
当時の彼のパフォーマンスはやりたい放題で、あまりに刺激的なステージングで、後年に影響を与えます。
おそらくジェリーのパフォーマンスは黒人音楽への反抗心もあったでしょうし、彼の過激なステージングは
間違いなくジミ・ヘンドリクスやピート・タウンゼントのステージ・パフォーマンスへ影響を与えたと思います。
(まぁ・・・当の本人はピアノに火をつけたという“伝説”は否定していますけどね・・・)
映画としては、シリアスなエピソードも底抜けにパワフルでスピード感満点に突き進むのが楽しい。
脚本自体が良く書けていたというのもあるとは思うけど、ライヴ・パフォーマンスも含めて、一つ一つの演出が的確だ。
ジム・マクブライドも持ち前の勢いで映画を撮るところは相変わらずですが、本作は全体のバランスも凄く良い。
欲を言えば、ジェリーを演じたデニス・クエイドの地声が、なんとかならなかったものか・・・と。
あくまで映画だからと割り切らなきゃいかんところもあるんだけど、デニス・クエイドの声って、結構ハスキーでね。
似てないこともないんだけど、あまりにシワ枯れ過ぎていて、もう少し声に張りがある方がジェリーに近いかな。
ライヴ・パフォーマンスのシーンでは、如何にもリップシンクって感じになってしまったのが、チョット残念かな。。。
とは言え、ジェリー自身が映画の企画に携わっているだけあって、
デビュー当時のエピソードを細部にわたってキチッと描けていますし、ジェリーの動きもよく研究してますね。
演じるデニス・クエイドは指の動きは勿論のこと、ジェリーの日常的な動作も含めて、ほぼ完全にコピー。
ジェリーのピアノ・パフォーマンスは、特に彼自身がミュージシャンとしての名誉回復を
本格的に図った60年代以降の映像は、YouTube等で見ることができますが、当時のジェリーは指の動きが凄い。
だから必然的に手数が多くて、バンドで演奏していても、とにかくジェリーのピアノも主張しまくるのが特徴だ。
本作はこういうジェリーの特徴、一つ一つを逃さずに実に丁寧に描けているのには、とても感心しました。
本作で描かれるジェリーはラフな格好で演奏しているシーンが多いですけど、
全盛期のジェリーは収録用のカメラが入っているステージでは正装して、割りと大人しい様子のが多いです。
どうやら、ステージングが派手になっていたのは、汚名返上に躍起になっていた60年代だったようですね。
本作でも描かれていますが、ジェリーとマイラの結婚が人々のひんしゅくを買うことになったのが、
初のイギリス・ツアーだったのですが、今でもYouTubeにアップされていますけど、その汚名返上を狙った、
64年のイングランドでのモノクロのコンサート映像を観ると、その異様なまでのテンションの高さと、
観客を煽るように叫びまくる姿に、観客も暴動寸前くらいのカオスで、パンク・ロックの前駆体のように観えます。
そういう意味でも、ジェリー・リー・ルイスというミュージシャンは明らかに“早過ぎたミュージシャン”の一人です。
彼のデビューが仮に15年遅かったら、もっと高く評価される存在になっていたかもしれませんね。
(まぁ、それでも自分の従兄弟の娘との結婚は、どの時代でも理解はされないと思うけど・・・)
チャック・ベリーの前座を務めたときに、ジェリーはまだデビュー仕立てだったのに、
当時既に大スターだったチャック・ベリーへのライバル心を露骨に示し、ピアノに火を放つパフォーマンスで、
客席を大熱狂させたジェリーが、ステージから下がるときに「これが出来るか?」と言わんばかりの表情なのが笑える。
これはジェリーの過去の行いを見聞きするに、事実だろうと思います。チャック・ベリーがどう思っていたかは謎ですが。
まぁ、それでも80年代にはチャック・ベリーの殿堂入りのコンサートで共演してますからね。
実際にはそこまで仲が悪かったわけではないと思いますがね。言わば、“戦友”という感覚なのかもしれません。
ジム・マクブライドはヌーヴェルバーグを志向して、83年に『ブレスレス』でゴダールのリメークをしたのかと
思っていましたが、本作を観ていて感じましたが、ひょっとしたら、ただ単に1950年代後半好きということなのかも。
ヌーヴェルバーグのようなニューシネマ・ムーブメントの影響を受けた作家性というほどでもなく、カリスマ性も無い。
映画の勢いだけはスゴくって、独特なスピード感でハチャメチャな物語でも押し切ってしまう強さという印象です。
チャック・ベリーもメチャクチャな人だったとは聞きましたが、映画になるくらいの破天荒さ、
非常識さというのはジェリーには敵わないでしょう。“キラー”と呼ばれる所以は色々とありますが、
確かに50年代〜60年代にかけてのジェリーは、何をしでかすか分からない危うさと隣り合わせの雰囲気でした。
この映画は道徳を説いたり、常識的なことを訴求する内容ではありません。
それがロックだみたいなことを言うつもりはありませんが、ジェリーに人間的な魅力を感じていなければ、
この映画を楽しむことは難しいでしょう。今の時代だったら、ジェリーは評価されることはなかったでしょうね。
(上映時間107分)
私の採点★★★★★★★★★☆〜9点
監督 ジム・マクブライド
製作 アダム・フィールズ
ジム・マクブライド
脚本 ジム・マクブライド
ジャック・バラン
撮影 アフォンソ・ビアト
音楽 ジェリー・リー・ルイス
出演 デニス・クエイド
ウィノナ・ライダー
アレック・ボールドウィン
リサ・ブロント
トレイ・ウィルソン
ジョン・ドゥー
スティーブン・トボロウスキー
スティーブン・アレン