グラン・トリノ(2008年アメリカ)

Gran Torino

一応、劇場公開当時はイーストウッドの俳優引退作品と言われていた作品。
しかし、2012年に『人生の特等席』、2018年に『運び屋』にそれぞれ自ら出演しているので、
その謳い文句は今になって思えば、一体何だったんだろうかと思えるが、もう敢えてそれは触れない(笑)。

映画はかつて朝鮮戦争に従軍にし、13人もの現地人を戦争の名目をもとに殺した過去に苦しみ、
帰国後はフォード社で長らく勤め上げた80歳を超える頑固老人コワルスキーが主人公で、
妻を失い孤独な毎日を過ごすも、彼の隣家に暮らすアジア系の一家と交流するにつれて、
彼らが悩まされる親戚が属するアジア系ギャングの襲撃に、怒りを持って対応する姿が描かれます。

これはある意味で、西部劇である。
いや、映画のジャンルはともかくとして、イーストウッドが自身の監督作品でしつこく描いてきた、
守るべきものを侵されたことに対する怒りを、どう表現するかということに徹した作品と言えます。

そういう意味では、一見するとどこかで観たことがあるような内容の映画ではあるのですが、
そこは違和感なく、そして新鮮味をもって見せくれるのがイーストウッドの凄いところだ。

特に2000年代以降のイーストウッドは凄くって、本作は撮影当時77歳という年齢で、
彼自身が監督も兼任して選んだキャラクターにしたって、明らかに晩年を迎えた老人だ。
しかし、彼は本作の後も映画監督と実に精力的、というか驚異的なペースで映画を撮り続けている。

先ほど、ショーン・コネリーが亡くなったとのニュースが駆け巡った。
確かショーン・コネリーはイーストウッドと同じ年齢であったはずで、2020年現在、御年90歳なはずだ。
ショーン・コネリーは晩年、しばらく体調が悪く、03年の『リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた闘い』で
映画への出演を最後にし、2006年に俳優引退宣言をしてリタイア生活を送っておりましたが、
イーストウッドはまるでそんな気配がなく、以前にも増して猛烈なペースで映画を撮り続けています。

かなりの高齢ではありますが、イーストウッドにも元気でいて欲しいですねぇ。

しかし、西部劇のフォーマットを現代劇に持ち込んだイーストウッドですが、
決して違和感のある内容にはなっておらず、地域に暮らす頑固な高齢者なりにギャングに対抗する姿に、
彼なりの美学と、ある意味で彼らしくない新鮮なエッセンスの込められた、実に骨太な芯の強い映画になっています。

これがイーストウッドが若ければ、映画のクライマックスはこんな在り方ではなかっただろう。
「力には力をもって制す」という考え方だけが全てではなく、年齢にあった方法論があると言わんばかりで、
どちらかと言えば、保守的な思想を感じさせてきたイーストウッドから、これまでとは違ったメッセージを感じます。
それは別に心変わりしたとか、政治的に“右”から“左”になったということではなく、物事の多様な見方ができることを
映画を通して表現したという感じで、イーストウッドなりに良い意味で熟成してきたという感じなのではないでしょうか。

しかし、本作あたりからイーストウッドは
「いつ遺作になってもいい」という気構えで映画を製作しているようにも見えるのも事実です。
おそらく映画監督としての野心を忘れることなく、それでいながら自身のキャリアも意識しているでしょう。
本作なんかは、確かに当時、俳優としての引退作になるというのは、十分に納得できるキャラクターでした。

まぁ、本作の後にまた俳優として映画出演していることから、
おそらく彼の中でも常に揺れ動くものがあるのでしょう。そんな複雑な感情が垣間見れる作品ですね。

この映画で最も印象的だったのは、仲良くなった隣人のモン族の少年タオが
階下へ行く隙に階段の扉を閉めて、復讐を誓うシーンだ。このシーンは映画の中で出色の出来だと思う。
別にコワルスキーはタオを戒めるつもりでも、なんでもないのですが、カメラは下から見上げるように扉越しに、
まるで看守のように立ち振る舞うコワルスキーを映していて、彼の怒りを最大限に象徴する最高のアプローチだ。

このシーンで見せるイーストウッドの姿は、とてつもなく恐ろしく、
文字通り怒りに震え、実際に行動に移す覚悟を決めた人間の衝動的な姿を捉えた素晴らしいシーンだ。

そして、映画のクライマックスで自ら棺桶に入るという発想も凄い(笑)。
これはこれで76年の『ラスト・シューティスト』で西部劇の大スター、ジョン・ウェインの最期を敢えて描いた、
イーストウッドの師匠であるドン・シーゲルへのオマージュとばかりに、自分の葬儀を劇中で描く。
決して感傷的な葬儀というわけではないし、作り手に観客の涙を期待する雰囲気は感じられませんが、
こういうコワルスキーの最期を敢えて描くというのは、イーストウッドだからできたことなのかもしれません。

さすがに00年代のイーストウッドは、『ミスティック・リバー』、『ミリオンダラー・ベイビー』、『チェンジリング』と
素晴らしい出来の作品が続いていましたし、これらと比較すると映画の出来は及ばないかと思いますが、
それでも本作のような作品を80歳間近にして、アッサリと撮ってしまうというのは、実に凄いことですね。
やっぱりイーストウッドは00年代以降、ハリウッドでNo.1の映画監督であると言っても過言ではありません。

エンドロールで流れるイーストウッドの枯れた歌声が心に染み入るラストで、
何をやらせても多芸で上手いと唸らせられ、まるで観客に「どうだ!」と見せつける、そんな静かな力強さを感じます。

それにしても、映画のタイトルにもなっている、“グラン・トリノ”はとても美しい。
私は別にカー・マニアではないし、車に対するこだわりも正直言って無いので、「乗れればいい」という程度なんですが、
この“グラン・トリノ”はヴィジュアルとしても美しく、主人公コワルスキーがこだわって整備していた理由が分かる。
こんな頑固じじいで、家族(息子)ですら手を焼いているというのに、この“グラン・トリノ”だけは欲しがるという、
その理由も分かるぐらい、車好きでなくともその価値が分かるぐらい、映画の中で見事に表現できています。

こういうヴィジュアルにイーストウッドのこだわりが生んだ凄みを感じさせられますね。
こういった部分はドン・シーゲルやセルジオ・レオーネには無かったことで、イーストウッドは師を超越している。

この映画では多民族国家であるアメリカという国の特徴が凝縮されています。
そして困ったマイノリティを助けるイーストウッドの姿は、さながら名作『シェーン』のようだ。
しかし、ただの助け人の復讐を描くというコンセプトに留まらず、しっかり訴求する映画に仕上げるところが素晴らしい。

この辺りがイーストウッドがハリウッドで貫禄を見せつける所以であり、
おそらく彼のような背景をしっかり持った力のある映像作家は、しばらく登場しないのではないでしょうか?

(上映時間116分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 クリント・イーストウッド
製作 クリント・イーストウッド
   ロバート・ロレンツ
   ビル・ガーバー
原案 デビッド・ジョハンソン
   ニック・シェンク
脚本 ニック・シェンク
撮影 トム・スターン
編集 ジョエル・コックス
   ゲイリー・D・ローチ
音楽 カイル・イーストウッド
   マイケル・スティーブンス
出演 クリント・イーストウッド
   ビー・ヴァン
   アーニー・ハー
   クリストファー・カーリー
   コリー・ハードリクト
   ブライアン・ヘイリー
   ブライアン・ホウ
   ジョン・キャロル・リンチ
   ドリーマ・ウォーカー
   ジェラルディン・ヒューズ
   スコット・リーブス
   ブルック・チア・タオ