愛は霧のかなたに(1988年アメリカ)

Gorillas In The Mist : The Story Of Dian Fossey

アフリカ大陸のルワンダの山中の森林地帯で、野生のゴリラの保護に身を捧げた、
女性生物学者のダイアン・フォッシーの半生を描いたヒューマン・ドラマで、これはチョット凄い内容の作品だと思った。

まぁ・・・本作で描かれるダイアン・フォッシーの行動を“愛”とか“野生動物保護”と言えるのか、
なんとも微妙なところの気がしましたが、監督のマイケル・アプテッドも絶妙な塩梅で彼女を描いているのは確かだ。

僕はこの映画を観終わった後、「そもそも、この映画って、どうやって撮ったんだ?」と
不思議に思っていました。主演のシガニー・ウィーバーも、いくら演技とは言え、ゴリラと完全に触れあっていて、
信じられないくらい近い距離でダイアン・フォッシーになり切っているので、これはかなり訓練された動物だと思いました。

が・・・、これはリック・ベイカーがメイクを施した着ぐるみだったんですね(笑)。
いやぁ、あまりに本物っぽいで、それはビックリしましたよ。これが本作最大の見どころと言っても過言ではないくらい。
おそらくリック・ベイカーも何度も何度も動物園のゴリラを観察したりして、相当な研究を重ねたのでしょうねぇ。

映画は、ダイアン・フォッシーがルワンダでの現地調査に立候補する形で乗り込み、
突如として現地の黒人から案内人を選び、誰も近づかないような森林地帯で暮らし始めるという、
なかなか現実には無いことから始まるのですが、実話とは異なる点が幾つかあるようで、かなり脚色されている。

映画はダイアンが人類学の権威でゴリラの研究者として名を馳せていたリーキーの講演で、
自ら売り込むようなエピソードから始まっているのですが、現実にはダイアンはプライベートでアフリカ旅行をし、
その時点でリーキーとは知り合いの関係で、帰国後に再会したことで正式に研究チームに加わったそうだ。

映画を観ていると、リーキーは空港でダイアンを迎えるも、どことなく現地人には権威を振るうような態度で
ダイアンの付き人を仲介したら、その場で実はダイアンには同行しないことを告げ、彼女をいきなり独りにするという、
あまりに過酷な仕打ちをするボスという感じなので印象が良くはないのですが、実在のリーキーは彼の妻と共に、
人類学の研究で多大な功績を残した人なので、この辺も映画の中では少々脚色している部分はあると思います。

最初はメイク道具がないと、山奥なんかには行かないと宣言していたにも関わらず、
いつしかゴリラや大自然を愛し、野生動物保護区域とされながらも、密猟者の“乱獲”によって絶滅の危機に
瀕するまでに個体数が激減したことに憤慨し、彼女なりにゴリラの行動や生態を研究し、保護活動を強めていきます。

しかし、僕の中では本作で描かれるダイアンの行動にはかなり微妙な部分はあったと思う。

それは劇中、リーキーとの手紙のやり取りの中にもあったのですが、
原則的には「人間と野生動物は一定の距離をとらなければならない」ということなのだろうと思うんですよね。
ダイアンはあまりに野生動物に近づき過ぎました。これでは野生動物が本来出会わないであろう、
人間という他の動物と生活エリアが交差するようになり、どうしても野生動物の環境を荒らす存在になるからです。

昨今、日本全国で野生動物であるヒグマやツキノワグマの個体数が増加しているとの調査結果があって、
そのせいか、人間生活の場の近くまで接近することが盛んに報じられており、遭遇して被害にあう事例も増えている。
実際問題として、野生動物の中には人間がまともに生態系のピラミッドに入ってしまうと、下層にきてしまって、
食物連鎖の中では「食われる立場」になるなんてことも、あり得る。勿論、人間には知恵があって道具を使う。
そのために、「食われる立場」ではなく「食う立場」になり得ているわけで、まともに生態系のピラミッドに入らないように
自ら立ち位置を決めている。だからこそ、どうしたら共生していけるか?というテーマが重要になってくるのです。

まぁ・・・僕はまともにやったら、野生動物との共生は極めて難しいことだと思う。
だからこそ、明確な棲み分けの意識と、(人間のロジックにはなってしまうが・・・)節度を持った個体数管理だと思う。
これがないまま、闇雲に野生動物保護と言っても、どこかで過剰になり、大規模な政策が必要になってしまう。

確かに人間の自分勝手なロジックかもしれないが、絶滅させないように共存するために、個体数管理を行う。
しかし、そのためには人間の生活圏と野生動物の生活圏の明確な区分けとは、必要不可欠なものと思います。

保護区と聞いていたはずの区域でゴリラの密猟が行われ、
一部の富裕層の勝手な論理で、ゴリラは殺害され、生け捕りにされたゴリラは他国の動物園へ売り払われる。
ゴリラの個体数が激減していた時代は、ゴリラの剥製製作のためであったり、手の灰皿にしていたというのだ。
確かに、そんな人間の残酷な道楽のために、野生のゴリラが捕獲され、殺されていくなんて耐え難い。

そんな現実に憤慨したダイアンは、次第に強く感情移入するようになり、動物保護に入れ込みます。
次第に彼女の発想はエスカレートし、僕も映画を観ていてビックリしたのですが、絞首刑を模した罰を与えます。
この有り様は、既に動物生態学の研究者ではなく、完全に“活動家”です。こうして冷静さを失っていくのですね。

彼女の“暴走”が始めると、まるで監督のマイケル・アプテッドも彼女を突き放すかのように描き始めます。
密猟を繰り返す現地人に対して、より強い対処が必要であると、次第に手段や方法を選ばずに排除し始めます。
そうすると、ダイアンは常にイライラしているような言動や態度になり、当初の様子から全く様変わりしてしまう。

本作の主題がどこにあったのか、僕には映画を観終わった後も定まらなかったのですが、
それでもダイアンの行動や思想がエスカレートして、精神的に孤立を深めていく様子が実に印象的でしたね。

動物保護を謳っていても、現地政府や自治体からすると、「どこの独裁者なんだ?」という目線になります。
そのとき既に冷静さを失い、周囲が見れなくなっているダイアンは、イエスマンだけを信頼するようになり、
自身の研究チームに加わった若者たちからも、信頼を集められずに、ドンドン孤立を深めていくようになってしまう。
本作はこのエスカレートしていくプロセスを巧みに描けていると思います。ハッキリ言って、それ以外は中途半端で
ダイアンの活動の様子を雑誌社の依頼で撮影しに来た、ブライアン・ブラウン演じる写真家の存在なんて、
あまりに中途半端に描かれ過ぎていて、一体何のために登場してきたのか分からないなんて、映画として致命的だ。

徹底的にダイアンの実像を追求したシガニー・ウィーバーは素晴らしいが、彼女以外の部分は良くない。
これでは彼女の頑張りが報われないので残念ですね。そうならば、余計なエピソードは描かない方が賢明でした。

勿論、この写真家との恋愛は実話に基づいたものなのだろうけど、映画に馴染んでいない。
つまり、ダイアンの活動をドキュメントするにあたって、必要なエピソードになり得ていないのです。
まぁ、考え方によってはルワンダでの生活の中で、まだ行き過ぎた動物愛護に傾倒していなかった時期で、
ダイアンが精神のバランスを整えられていたのは、この写真家の存在のおかげだったという見方もできなくはないが、
それならば、もっとダイアンの苦悩を描いても良かったと思う。映画の終盤で、ダイアンの調査に同行することを
立候補してきた若き研究者が現地入りしてきますが、男女が恋愛関係にあるのを知って、ダイアンは激怒します。

これは既にダイアンが冷静さを失っていた時期だからこそ起きた、大きな自己矛盾だったと思いますが、
こうして怒鳴り散らして、彼らを追い出してしまうことにも、ダイアンなりの苦悩があったのかもしれません。
ダイアンがエスカレートしていくプロセスを俯瞰して描くのは良いのだが、細かな彼女の内面はもっと描いて欲しかった。

結局、こういったことが積み重なって、せっかくタフな映画の骨格が出来上がっているのに、
どこか残尿感というか...悪い意味での中途半端さが露呈してしまう。これは実に勿体なかった点だと思う。

とは言え、僕はしっかり楽しませてもらったし、どこまで本物なのかと心配になるゴリラの造詣などは素晴らしい。
行き過ぎた動物愛護や環境保護には同調・同意できないが、今ある自然との調和、適度な開発ということは
人間生活を営む上で必要なことになると思う。ダイアンの貫く生き方があったからこそ、ゴリラは絶滅を回避し、
ゴリラの生態の解明にもつながったことは否定できない。後発的なものだったとは言え、彼女の情熱は真似できない。

それにしても、ゴリラの手が富裕層の白人たちに“灰皿”として使うことが人気で、
動物園で飼育する目的ではなく、この手を入手するためだけに、野生のマウンテンゴリラを捕獲していたなんて、
個人的には驚いてしまった。それに強烈に反発するダイアンも、相当な喫煙者で健康を害していたというのも皮肉だ。

そして、そのエスカレートしたダイアンを演じたシガニー・ウィーバーの表現する狂気が、なんとも強烈でした。

(上映時間129分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 マイケル・アプテッド
製作 アーノルド・グリムシャー
   テレンス・クレッグ
原作 アンナ・ハミルトン・フェラン
   タブ・マーフィ
脚本 アンナ・ハミルトン・フェラ
撮影 ジョン・シール
音楽 モーリス・ジャール
出演 シガニー・ウィーバー
   ブライアン・ブラウン
   ジョン・オミラ・ミルウィ
   ジュリー・ハリス
   イアン・カスバートソン
   イアン・グレン

1988年度アカデミー主演女優賞(シガニー・ウィーバー) ノミネート
1988年度アカデミー脚色賞(アンナ・ハミルトン・フェラン、タブ・マーフィ) ノミネート
1988年度アカデミー作曲賞(モーリス・ジャール) ノミネート
1988年度アカデミー音響賞 ノミネート
1988年度アカデミー編集賞 ノミネート
1988年度ゴールデン・グローブ賞主演女優賞<ドラマ部門>(シガニー・ウィーバー) 受賞
1988年度ゴールデン・グローブ賞音楽賞(モーリス・ジャール) 受賞