グッドフェローズ(1990年アメリカ)

Goodfellas

「幼い頃から、ギャングになりたかった」

映画は主人公のナレーションによって語られる、この台詞から動き始める。
バイオレントな内容でとっても怖い映画でもあるのですが、これは引き締まった出来の良い映画だ。

正直に白状すると、僕は最初にこの映画を観たときの印象はあまり良くなかった。
明確な理由はないのだけれども、強いて言えば、中途半端なフラッシュ・バックが好きになれなかったこと。
何となくではあるのですが、映画を最後まで観ると、出だしの編集を間違えているとしか思えなかったのです。

ただ、それでも何度か観るうちに僕はこの映画の価値を再考するようになった。
この映画で最もシビれるのは、オスカーを獲ったやたらと短気なジョー・ペシ演じるトミーの存在でも、
マーチン・スコセッシらしくロックをガンガン流しながら人間模様を描き出す演出でもなく、
デ・ニーロ演じるジミーを尋ねた主人公ヘンリーの妻カレンが、ジミーから「ドレスを持って帰っていいよ」と言われ、
人通りの少ない路地裏へと入っていくよう指示されるシーンだ。このシーン演出が本作の決定打と言える。

2時間は大きく越える映画だし、ギャングの世界を延々と描いているせいか、
テンポの良い演出も、映画の根底に流れるダラダラした空気に相殺されてしまいますが、
このラストの演出で一気に映画の緊張感を高めたのは、お見事としか言いようがありません。

さりとて、出演者も立派なもんです。
本作で初めて高く評価されたレイ・リオッタも、ベテラン俳優に囲まれながらも堂々と渡り合っていますね。
キレてしまったら見境なく人を殺すトミーを演じたジョー・ペシが本作で初めてアカデミー賞を受賞しましたが、
確かにこれはインパクトある芝居で、強烈な存在感を発していますね。

ただトミーに関して理解できないのは、
デ・ニーロ演じるジミーのような影の実力者が、何故、トミーのような厄介者を支えたのか?ということ。
確かにジミーはアイルランド系の人間であり、組織のボスになることはできない。
しかしながら29歳にして伝説のギャングとまで言われたジミーが、何故、どんな厄介事を押し付けられても、
どんなリスクを背負ってでも、トミーを支え続けたのかが、今一つ僕には理解できなかった。

まぁ映画の出来そのものは、あとチョットで傑作といった具合かとは思うのですが、
それにしてもカッコ良い画面の映画なんですよね。これだけキマってるのは、そうそうありません。
さすがはミヒャエル・バルハウスのカメラって感じで、ライティングも抜群に素晴らしい。

特に映画の終盤でカツラの男を説得して、ジミーに金を要求しないようにヘンリーが説得した後、
再びバーで飲むジミーを映すシーンでのカメラの何とも言えない浮遊感は何物にも替え難い。
バックで流れるクリーム≠フ『Sunshine Of Your Love』(サンシャイン・ラヴ)が最高にカッコ良い。

マーチン・スコセッシのあぶり出し方が見事なのですが、
その中でも会話劇の中から、映画の空気に起伏を付けていく手法が見事ですね。

それを象徴しているのが、ジミーらがカードゲームに興じていたところで、
若い青年給仕にトミーが因縁を付けて、終いにはトンデモないことになってしまうシーンですね。
勿論、これだけでなく映画全体に言えることなのですが、登場人物の会話から映画のリズムを刻んでいくのが、
とっても上手くって、観客も思わずトミーが出てくると、「また何かあるのでは?」とヒヤヒヤさせられます。

観客に少しでも、こう思わせられるだけでマーチン・スコセッシの狙いは成功なんですよね。
本作の生命線って、正しくマーチン・スコセッシの人間描写の鋭さにあると思うんです。

それにしても、本作には数々の料理がカメラに収められていますが、
これほどまでに料理を感情に訴えるかのように、美味しそうに撮れている映画というのは稀少だろう。
イタリアの食文化はアメリカでも異彩を放っているものであることは間違いないだろうし、
“スローフード”と呼ばれる食の概念も(←日本で言う「地産地消」)、イタリアがルーツである。
そういう意味で如何にイタリアのファミリーは食卓を囲むことを重要視しているのかがよく分かる。
僕は本作を観終わった後、思わずイタリアンが食べたくて仕方がなかったですね(笑)。

本作でのマーチン・スコセッシはこういった側面も見逃していないことに、大きな功績があると思うのです。

早い話しは、彼はイタリアのファミリーが何を大切にしていて、何を重んじるのか、
ディティールにわたってよく分かっていることが大きいということなのです。
だからこそ彼が撮る映画というのは、その物語の本質を常に見失っていないと思うのです。

本作でかなり映画界の頂点に近づいたかのように思えたマーチン・スコセッシでしたが、
皮肉にも本作で彼は最高の栄誉を手にすることはできず、06年の『ディパーテッド』で手にすることになります。

敢えて僕の本音を言わせてもらうと、確かに僕は本作がマーチン・スコセッシのベストだとは思わない。
しかし『ディパーテッド』で評価するなら、何故、本作でもっと評価してあげられなかったのか大いに疑問だ。
映画としてのカッコ良さ、トータル感、そして完成度、それを取っても僕は本作の方が優れていると思う。
(ちなみに僕の中でのマーチン・スコセッシのベストは80年の『レイジング・ブル』であることは、ずっと不変です)

こう思えるだけ価値がある。本作はそれだけ刺激的なフィルムだということ。

(上映時間145分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 マーチン・セコセッシ
製作 アーウィン・ウィンクラー
原作 ニコラス・ピレッジ
脚本 マーチン・スコセッシ
    ニコラス・ピレッジ
撮影 ミヒャエル・バルハウス
編集 セルマ・スクーンメイカー
出演 ロバート・デ・ニーロ
    レイ・リオッタ
    ジョー・ペシ
    ロレイン・ブラッコ
    ポール・ソルビーノ
    クリストファー・セロン
    ジュリー・ガーフィールド
    サミュエル・L・ジャクソン
    フランク・シヴェロ
    イリアナ・ダグラス

1990年度アカデミー作品賞 ノミネート
1990年度アカデミー助演男優賞(ジョー・ペシ) 受賞
1990年度アカデミー助演女優賞(ロレイン・ブラッコ) ノミネート
1990年度アカデミー監督賞(マーチン・スコセッシ) ノミネート
1990年度アカデミー脚色賞(マーチン・スコセッシ、ニコラス・ピレッジ) ノミネート
1990年度アカデミー編集賞(セルマ・スクーンメイカー) ノミネート
1990年度ヴェネチア国際映画祭監督賞(マーチン・スコセッシ) 受賞
1990年度全米映画批評家協会賞作品賞 受賞
1990年度全米映画批評家協会賞監督賞(マーチン・スコセッシ) 受賞
1990年度ニューヨーク映画批評家協会賞作品賞 受賞
1990年度ニューヨーク映画批評家協会賞主演男優賞(ロバート・デ・ニーロ) 受賞
1990年度ニューヨーク映画批評家協会賞監督賞(マーチン・スコセッシ) 受賞
1990年度ロサンゼルス映画批評家協会賞作品賞 受賞
1990年度ロサンゼルス映画批評家協会賞助演男優賞(ジョー・ペシ) 受賞
1990年度ロサンゼルス映画批評家協会賞助演女優賞(ロレイン・ブラッコ) 受賞
1990年度ロサンゼルス映画批評家協会賞監督賞(マーチン・スコセッシ) 受賞
1990年度ロサンゼルス映画批評家協会賞撮影賞(ミヒャエル・バルハウス) 受賞
1990年度シカゴ映画批評家協会賞作品賞 受賞
1990年度イギリス・アカデミー賞作品賞 受賞
1990年度イギリス・アカデミー賞監督賞(マーチン・スコセッシ) 受賞
1990年度イギリス・アカデミー賞脚色賞(マーチン・スコセッシ、ニコラス・ピレッジ) 受賞
1990年度イギリス・アカデミー賞衣装デザイン賞 受賞
1990年度イギリス・アカデミー賞編集賞(セルマ・スクーンメイカー) 受賞