グッドモーニング、ベトナム(1987年アメリカ)

Good Morning,Vietnam

この映画はやはりロビン・ウィリアムスの強烈なまでのエナジーに圧倒される作品ですね。
これはオスカーにノミネーションされるほどのインパクトを持った作品として、納得の芝居ですね。

後に『レインマン』で一気に評価を上げるバリー・レビンソンの監督作品であり、
実に落ち着いた、質の高い演出で構成されている。映画の内容はともかくとして、出来は良いと思います。

泥沼化するベトナム戦争の戦火に揺れる1960年代半ばのサイゴンが物語の舞台で、
他の地域で兵士たちの士気を高揚させるための米軍が放送するラジオDJで人気を博した、
クロンナウアーが戦況が悪化するサイゴンへ派遣され、飛行機から降り立つシーンから映画が始まります。

検閲を受けた情報のみが放送される情報統制も厳しく行われ、
ポピュラー・ミュージックの放送は禁止されるなど、娯楽性や喜劇性も皆無であった放送を変えるために
派遣されたクロンナウアーでしたが、頭の固い軍部の人間からは、軍の統制を乱す存在として、
次第に“マーク”されていくクロンナウアーででしたが、クロンナウアーはサイゴン市街で見かけた、
現地の若い女性に夢中で、なんとかして彼女をクドこうと現地社会に溶け込むが、残酷な現実に直面します。

あまり、戦地で流れるラジオなんて気にしちゃいなかったけど、
勿論、兵士の士気高揚と情報伝達のために存在しているのは知っていたし、兵士たちがリラックスするためにも、
ある意味で唯一のエンターテイメントとして成立していたのも認識はしていました。しかし、注目はしていなかったですね。

これは映画の中で、ここまで大々的に戦場のラジオDJにスポットライトを当てたのは、初めての作品ではないかと思います。
実際にモデルになった軍専属のラジオDJがいて、おおまかにノンフィクションの映画化ということではありますけど、
戦争の最中にこういった役割を担うことの重要さを伝えるという意味で、戦争を多角的に考えるキッカケにはなりますね。

戦争を違った視点で捉えた映画という意味では、別に戦争の悲惨さや政治的メッセージを伝えることに
力点を置くわけではない、ということも分かりますが、おそらくこの姿勢自体が賛否あることでしょう。

実際、この映画の中でもクロンナウアーが「オレたちはこの国を助けに来たんだ!」と言い放ちますが、
現地の人々はそうは思っていないという人が大多数だったわけで、結果としてもベトナム戦争は長期化して、
長引いた分だけ大国アメリカが掲げた民主化の理想は達成できず、半ば“負け戦”となってしまったわけです。
その後、ベトナムは社会主義国として立ち直り、国としてはどこかの国の従属国となることなく独自の道を歩み、
自立した歴史を刻み始めていますが、そう思うと尚更、アメリカの当初理念がベトナムを救うことにあったわけでなく、
ある意味で現地の方々から見れば、“侵略者”にしかすぎなかったのかも・・・と解釈できる部分はあると思います。

アメリカにはアメリカなりの大義はあったのでしょうが、こういう社会性高いテーマであるがゆえに、
ベトナム戦争を違う視点から描いたとは言え、この内容を賛美することに抵抗感があるという人もいるでしょう。

しかし、僕はそれでもこの映画は秀でたものを持っているとは思う。
勿論、主演のロビン・ウィリアムスのマシンガン・トークが、クロンナウアーを演じるには十分な“武器”であって、
コミカルさも良い塩梅で、バリー・レビンソンのバランス感覚の良さが光る内容にはなっていると思います。
そういう意味で、この映画はクオリティが高く、観ていて安定感が違います。話しの運びが、抜群に良いです。

クロンナウアーの過激やトークや、軍規を無視するスタイルに嫌悪感を示す、
少尉を演じたブルーノ・カービー、上級曹長を演じたJ・T・ウォルシュも適度にストレスになる存在で、丁度良い塩梅だ。
今となっては、ロビン・ウィリアムスもブルーノ・カービーもJ・T・ウォルシュも他界してしまい、なんとも悲しいですね。

特にブルーノ・カービー演じるホーク少尉は印象的で、
初対面の時は自分のユーモアに自信があって、クロンナウアーに協力するかのようなアピールをするものの、
実際は枠をはみ出ない範囲での、どちらかと言えば古臭いトークに終始するスタンスで、全くウケないタイプ。
まぁ、ポルカにも良さはあると思うし、ホークの笑いも全否定するまでもないとは思うけど、最前線に命を懸ける兵士には
多少アブノーマルであっても、通常のエンターテイメントに匹敵する楽しみが必要だというのは、一理あると思いますね。

今となってはスマートフォンを使ってインターネットにアクセスできますから、
誰だって必要な時に、必要な分だけの情報をゲットすることが簡単にできるとは言え、
ラジオって、いろんな意味で無くなりませんからね。ラジオもタイムフリー機能をつけたり、変わりつつあることと同時に
不変的な防災情報の提供、枠にハマらない自由なトークなど、テレビとは違う展開を期待できますからねぇ。

要するに、ラジオって、いつの時代でも時にはエンターテイメントであり、時には生活必需メディアになりえる。
僕も数年前に胆振東部地震で、北海道全域ブラックアウト(停電)という、非常事態を経験しましたけど、
あのときに、ラジオというメディアのありがたさというのを痛感しましたもの。おそらく、戦地でも同様なのでしょう。

戦争というのは、往々にして国家vs国家(若しくは宗教vs宗教...)、地域vs地域という構図になりがちだが、
情報戦の様相を呈そうが、武力行使される局面にもなれば、当然、兵士たちが命がけで闘うわけですね。
その過程で一般市民が巻き添えになって命を落とすことは、とても悲しいことです。それはさておき、そんな兵士たちに
束の間を楽しみを与えようと、軍の上層部はクロンナウアーのマシンガン・トークには比較的、寛容的に描かれる。
実は軍部で、クロンナウアーの放送に反対しているのは、むしろ少数派であるように描かれているわけですね。
と言うことは、少々拡大解釈かもしれませんが...当時の軍部もクロンナウアーのトークは黙認しようとしていたわけだ。

日常的な娯楽を兵士から取り上げたり、制限をかけることが戦争にはマイナスになることに気付いていたからでしょう。

僕はホントはこういった軍側の複雑な感情や、軍内部での葛藤はもっとクローズアップして描いて欲しかった。
個人的にはベトナム戦争に対する社会的な姿勢よりも、クロンナウアーを当時の軍部がどう評価し、どう扱い、
それらが軍全体にどのような影響を与えたかを描く方が、遥かに建設的で意義深いところだと思う。
正直言って、本作はこういった描写は弱い。映画の後半は、中途半端にシリアスになってしまったようには観えた。

まぁ、本作はベトナム戦争を真正面から描いた作品なだけに、
ジャンルとしては戦争映画だと思うのですが、ここまで全く戦闘シーンが無いというのも珍しいですね。
この辺はバリー・レビンソンの構成力をもってキチッと描ける力量のおかげですね。なかなか無いタイプの作品です。

この映画で描かれるクロンナウアーは、終始、ハイテンションでマシンガン・トークを繰り出しますが、
時にシリアスな表情を見せるのが印象に残る。特にサイゴンで自分の目の前で爆破テロがあり、
複数の犠牲者が発生したのを目の当たりにして、大きなショックを受けたのか、次第に彼の表情は曇り始めます。
特にルイ・アームストロングの名曲を、何か想いを馳せながら放送する彼の表情は、台詞で表現できない感情だ。

やはり、激しい戦闘シーンがなくとも、戦争を描いた映画というのは多くを語りますね。
クロンナウアーも賛否あるアメリカの正義を持って、サイゴンの地に降り立った一人ではあるが、
あまりに過酷な現実にショックを受けるのは、それは当然のことでしょう。でも、目を逸らしてはならない現実なのです。

まぁ・・・この辺は押しつけがましいプロパガンダが無いあたりが、本作の良さですね。
ショックを受けるクロンナウアーの姿を観ると、本作は勉めて中立的に描こうという意思は感じられる作品です。

ショックを受けて意気消沈していたクロンナウアーも、現地の人々との交流を通して、
次第に精神的な立ち直りを見せていくのも、何とも勇気づけられる部分は大きい映画だと思う。
今は特に、ロシアのウクライナ侵攻に世界が揺れているだけに、本作で描かれた内容は、とても意義深い。

(上映時間120分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 バリー・レビンソン
製作 ラリー・ブレズナー
   マーク・ジョンソン
脚本 ミッチ・マーコウィッツ
撮影 ピーター・ソーヴァ
音楽 アレックス・ノース
出演 ロビン・ウィリアムス
   フォレスト・ウィテカー
   チンタラー・スカパット
   ブルーノ・カービー
   ロバート・ウール
   J・T・ウォルシュ
   リチャード・エドソン

1987年度アカデミー主演男優賞(ロビン・ウィリアムス) ノミネート
1987年度ゴールデン・グローブ賞主演男優賞<ミュージカル・コメディ部門>(ロビン・ウィリアムス) 受賞