007/ゴールデンアイ(1995年イギリス・アメリカ合作)

Goldeneye

89年の『007/消されたライセンス』の興行的失敗を受け、
新たな路線を模索せざるをえなくなり、約6年間という当時、シリーズ最長のブランクを経て製作された第17作。

スタッフはじめ、キャストも一新された作品でありますが、
この映画からの“007シリーズ”はさすがに90年代という時代性に合わせるために、
デジタル機器が片っ端から登場してきており、正しく新時代の“007シリーズ”という感じがしますね。

おそらく多くの方々が感じるとは思いますが、
本作からは従来の“007シリーズ”とは同じ感覚では観れないと思います。
どこが変わったとハッキリ指摘することは難しいのですが、全てのシーン演出に於いて、
どことなく映画で描かれる時代観が一気に20年ぐらい進んだようで(笑)、ここからは新たなステージに突入だ。

これまでMを演じてきたロバート・ブラウンが死去したことを受け、
本作からは後のオスカー女優となるジュディ・デンチが配役されており、新たなMは女性であるという設定。
彼女に関しては、まだ映画の中での存在感はあまり強くはありませんが、映画の序盤で語られていますが、
従来のMはコニャック派であったものの、今回のMはバーボン派であるというマイナー・チェンジぶりが面白い。

本作は前作の不入りを受けて、プロダクションはそうとうに気合を入れて製作したはずで、
その気合を裏切ることなく、世界中で大ヒットとなり、“007シリーズ”が名実ともに新たな一歩を歩みました。

けれども、敢えて最初に厳しいことを言いますが、
僕は本作の出来自体は、あくまで及第点レヴェルだと思います。キャストを入れ替え、
映画でデジタル機器がバンバン登場してきて、CGを使ったアクション・シーンがあったからと言って、
突然、映画が傑作になるわけがなく、これは作り手の問題もありますが、少々、映画が雑になった部分もあります。

監督のマーチン・キャンベルはニュージーランド出身で、
70年代〜80年代にかけて、テレビドラマの分野で活躍した映像作家であり、
本作を世界的に成功させたことをキッカケに規模の大きな劇場用映画の企画が舞い込むようになり、
06年には『007/カジノ・ロワイヤル』で“007シリーズ”の監督をもう一回、担当することになるのですが、
元々、あまり細かい仕事ができるタイプではないせいか、本作のようなエンターテイメントに徹する作品は
得意だと思うのですが、どうも何かが足りない感じなんですよね。見せ場も畳み掛ける感じではないし。

アクション・シーンも単発的にはそこそこ面白いとは思うのですが、
流れとしての面白さは希薄であり、特に機関車で逃走する悪党どもをボンドが戦車で追いかけ、
トンネルの入口で戦車を置いて、進路を妨害するというシークエンスにしても、どことなく盛り上がらない。

こういった部分は経験値の違いも影響するかとは思いますが、
“007シリーズ”のビジョンの問題も大きいと思うんですよねぇ。今一つ、ハッキリとしない印象です。

せっかく5代目ボンドのピアース・ブロスナンはスマートなスパイというシルエットでカッコ良いのに、
例えば初代ボンドのショーン・コネリーの頃のような、スパイ業務そっちのけで女性をクドいたり、
3代目ボンドのロジャー・ムーアのように、無理矢理にでもギャグを入れなければ気が済まないみたいに、
ピアース・ブロスナンが演じるボンドが構築する、シリーズの方向性といったものがハッキリとしません。

そうそう、ロジャー・ムーアの頃からすっかりお約束となったギャグ路線が
完全に無くなってしまったことは特徴ですが、贅沢な意見を言えば、これはこれで寂しいかも(笑)。

但し、あくまでキャスティングという観点から言えば、
多くの方々が言う通り、ピアース・ブロスナンはかなり理想に近いボンド像を作っている。
Qを演じたデスモンド・リュウェリンが生前、「ショーン・コネリー以降のボンドとしてはベスト」とコメントしますが、
この言葉は正しくピッタリで、しかも90年代流に上手く焼き直して演じているのには、思わず感心させられた。

今回の主題歌はティナ・ターナーなのですが、
なんか僕の勝手な先入観で、過去に1度ぐらい主題歌を担当していたような気がしていたのですが、
意外にも本作が初めての“ボンド・ソング”みたいで、映画のオープニング・タイトルで勇壮に歌い上げてます。

ボンド・ガールとしては、やたらとボンドに襲いかかるファムケ・ヤンセンの
ワイルドな姿は言うまでもありませんが、ナターシャを演じたポーランド出身のイザベラ・スコルプコが良い。
撮影当時、25歳という若さだったのですが、本作以降、あまり目立った活躍が無いのが残念ですね。
如何にも“007シリーズ”っぽく、異国情緒溢れる風貌で、ハリウッドでも活躍できそうなのになぁ・・・。

気になったのは、ボンドを手助けするアメリカ人ウェイドとして登場したジョー・ドン・ベイカーで、
彼は87年の『007/リビング・デイライツ』で軍事マニアの悪党ウィテカーを演じたことがある(笑)。
確かに、かつてモード・アダムスが2回、違う役柄でボンド・ガールを演じたことがありますが、
ここまで近い作品で、敵と味方の両方を演じるというのは、ある意味で珍しい話しですねぇ。

クライマックスのアクション・シーンはチョット分かりづらかったかなぁ。
あまり詳細に説明するタイプの映画ではないのですが、アラン・カミング演じるプログラマーが
一体、何をやろうとしていたのか、かなり進まないと分からないせいか、局面がどれぐらい切羽詰っているのか、
観客に伝わりにくい感じがあって、どうも最後の最後までフルに盛り上がらなかった印象があるんですよね。
おそらく、もっとキッチリ説明しておけば、敵・味方の位置関係がハッキリして、盛り上がったと思うんですよね。

とは言え、シリーズが新時代に突入したことを象徴する作品として、
一つのターニング・ポイントになると思います。ここからは映画の表現技術の目覚ましい発達により、
“007シリーズ”も猛烈な加速度を持って、進歩を遂げていきますので、プロダクションの体質も変わっています。

この辺りはオールドな“007シリーズ”のファンには賛否両論でしょうが、
僕はこれは、このシリーズにとって必要な変化であったと、必ずや数十年後に回顧されるだろうと信じています。

(上映時間129分)

私の採点★★★★★★★☆☆☆〜7点

監督 マーチン・キャンベル
製作 マイケル・G・ウィルソン
    バーバラ・ブロッコリ
原案 マイケル・フランス
脚本 ジェフリー・ケイン
    ブルース・フィアスティン
撮影 フィル・メヒュー
特撮 デレク・メディングス
編集 テリー・ローリングス
音楽 エリック・セラ
出演 ピアース・ブロスナン
    ショーン・ビーン
    イザベラ・スコルプコ
    ファムケ・ヤンセン
    ジョー・ドン・ベイカー
    チェッキー・カリョ
    ゴッドフリード・ジョン
    アラン・カミング
    ミニー・ドライバー
    セレナ・ゴードン
    ジュディ・デンチ
    デスモンド・リュウェリン
    サマンサ・ボンド