解夏(2003年日本)

02年に歌手のさだ まさしが発表した、故郷である長崎を舞台にした短編小説を映画化。

賛否はあるだろうが、僕はこの映画、出来は結構良いと思った。
日本映画ができることの最大限の良さを、無意識的かもしれないが、引き出そうとしている。

確かに難病という問題にブチ当たった、恋人同士の葛藤を特に大きな起伏もなく、
ただただパーソナルに淡々と描いただけと言えば、それは否定しないけれども、
映画としては、その淡々とした日常を重層的に描写し、故郷の街並みを脳裏に焼き付けたい、
愛する恋人の表情を脳裏に焼き付けたいとする想いを、切々と綴ったことに意味があると思う。
この内容ならば、性愛に走る映画になっても不思議ではないし、それはそれで一つの選択肢であっただろうけど、
そもそも原作があるし大きな脚色は避けて、敢えて重層的に淡々として描写を重ね、目が見える日常を
惜しむように、そして次の(失明した)未来を受け入れる過程を表現することは、映画ならではのアプローチだと思う。

加えて、やっぱり石田 ゆり子は良い。こういう映画のヒロインにはピッタリだし、
本作では比較的、過剰に演じようとせずに、自然体で映ろうとしていたことが良い。
主演の大沢 たかおも徐々に表情を失っていく芝居なども、派手さはないが悪くないと思う。

映画はペーチェット病という、徐々に視力を失っていく難病に侵された、
長崎出身で東京で小学校教師を務める男性の物語。自身がペーチェット病と診断され、
教員を辞してまでも、恋人と共に故郷の長崎へ帰郷し、少しでも脳裏に焼き付けようとしながら、
同時に徐々に視野が狭くなり、見えづらくなっていく現実を受け入れることの難しさを描いていきます。

視力を失う可能性を宣告されて、とる行動は人によって違うでしょう。
その中で生まれ育った実家や故郷の街並み、母親含む親族に恋人を脳裏に焼き付けたいと願う気持ちが沸くことは
ごくごく自然な感情でしょう。人によっては現実逃避をしてしまうかもしれませんが、本作の主人公は
確かに失明という運命を受け入れる難しさとの葛藤はあるのだけれども、すぐに故郷の長崎へ行こうと
決意したこと自体、失明という運命と向き合おうとする覚悟はできていたことの裏付けだと思います。

これが自分ならと考えると、ここまでスピーディーに覚悟が決まるかと言われると、なんとも微妙だ・・・。

それと、個人的に同調したくなる、思わず感情を揺さぶられるシーンがあった。
それは映画の終盤に、長崎の実家で担任していたクラスの子たちの手紙を読んでもらうシーンだ。
別に僕はこの手紙の中身に、感情を揺さぶられたわけではない。このシーンで敢えて、ヒロインを聞き手にして、
カメラはヒロインを手前に、そして主人公を奥に撮る。そこで行われることは、手紙の中身を聞いて、
主人公が嬉しそうに止めどなく、一人一人の児童のことを喋り始めるシーンだ。このシーンは素晴らしい。

いや、これは僕の個人的感情が思いっきり入った感想なんだけど、
教員を志し、“かじった”人間として、この主人公の気持ちは痛いほどよく分かる。
自分の場合は、10数年経った今、さすがに全員のことは無理だが、一部の印象深い生徒たちのことはよく覚えている。

これが生徒たちの“生の声”を聞くとなると、表情は思わず緩み、
「この子はああだったんだ、こうだったんだ」と、止めどなく喋りたくなる。これは教員の性(さが)かもしれない。
本気で教職に携わっている教員であれば、どのような関わりであれ、こういう思い入れはあるはずなんです。
この映画はそこまで意識していたかは分からないけれども、このシーンは僕の中でのハイライトです。

その中に、イジメに苦しむ児童の声もあり、無力さに嘆く気持ちもよく分かる。
ただ、ここは教育のことは無視すると、あくまで映画の中でみれば、ハガキの内容は大きな問題ではない。
退職しても尚、受け持っていた児童たちの“生の声”が主人公に届くということ自体に、大きな意味があるのです。

僕自身も、生涯、数少ない宝物として教育実習に行ったクラスでもらった寄せ書き、
実は15年以上経過した今も尚、大切に持っていて、大事にずっと飾ってあるんです。
その後も、非常勤講師として別な学校で教壇に立ち、まったく力不足の教師失格者で1年で辞めましたが、
今、民間企業で働くにあたって、この経験は確実に生きていると感じています。あの日々がなければ、
おそらく今の会社で、ここまで粘ることはできなかっただろうし、働くということはどういうことか分からなかったでしょう。

民間企業への就職後も、いつかは教職へと思っていましたが、
さすがに気力・能力ともに夢も色褪せ、教壇に立つことは現実的ではありませんが、
教育実習含め、あの日々は一生忘れ得ぬ貴重な経験だったと今でも思います。
この映画で描かれた、あの終盤のシーンは...そんな思いを再確認させられたシーンでしたねぇ。

長崎は行ったことがない街だし、この映画の中ではほど良く魅力的に映っていますね。
観光映画化していない点も優れていて、長崎の素朴な一面を映すに留めています。
これは主人公のヴィジョンで描きたいからこその画面だと思いますが、往々にしてこういう映画は観光映画化します。
そこを見失わずに最後まで撮れたという点では、これも日本映画が得意とする素朴さの表現だと思いますね。

そういう意味では、作り手も意識しているのかは分かりませんが、まるで小津 安二郎の映画のようだ。

やはり、街を意識させる映画は良いですね。
本作なんかも、さだ まさしの原作がどのようになっているかは読んでいないので分かりませんが、
長崎という歴史、文化ともに語るべきものがある街を舞台にしたからこそ、成立した内容かもしれません。

劇中でも松村 達雄演じる寺院に勤め、地元の大学で郷土史を教える老人の存在など、
歴史ある土地柄だからこそ、存在だけで表現できる大きなアドバンテージがあると思います。

やはりこういう強みを持った映画は、もっとたくさん出てきていいと思うんですがねぇ。
そういう意味で、本作の良さを味わいにくくさせているのは、ストーリーの基軸に置かれるロマンスが
どこか中途半端というか、ホントのところで二人が難病に立ち向かう困難を深彫りできていないからかもしれません。

確かに淡々と重層的にエピソードを重ねることに、この映画はストロング・ポイントがあると
思うのですが一方で、何かしらの決定打があっても良かったかと思いますが、その決定打がありません。
僕は二人が、本当のところで分かり合えるポイントを、東京に一度戻るシーンで作るべきだったと思います。
そこはどうしても、傑作になり損ねた映画と言わざるをえない、大きな岐路だったように感じています。

でもまぁ・・・近年の日本映画界では、極めて真面目に正攻法に作られており、
最終的な映画の出来自体も悪いものではなく、もっと高く評価されても良かったのではないかと思っています。

(上映時間114分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 磯村 一路
製作 亀山 千広
   見城 徹
   島谷 能成
   遠谷 信幸
   桝井 省志
原作 さだ まさし
脚本 磯村 一路
撮影 柴主 高秀
編集 菊池 純一
音楽 渡辺 俊幸
照明 豊見山 明長
出演 大沢 たかお
   石田 ゆり子
   富司 純子
   林 隆三
   田辺 誠一
   古田 新太
   柄本 明
   松村 達夫