フルメタル・ジャケット(1987年アメリカ)

Full Metal Jacket

80年の『シャイニング』以来、7年ぶりの監督作となった鬼才キューブリックが描く強烈な戦争映画。

特にこの映画は冒頭約45分にも及ぶ、教官ハートマンの凄まじいまでの罵声が飛び交う訓練シーンが圧巻。
これは映画史に残るインパクトがあったと言っても過言ではないですね。確かに戦地ベトナムに行ってからの
戦闘シーンも悪くはないし、クライマックスの何とも言えない異様さも印象には残るのですが、それでも前半が凄過ぎる。

キューブリックは反戦のメッセージを映画に込めずに、戦争の現実を映しただけだという意図。
その現実を映したいという意向から、演技指導で呼ばれたR・リー・アーメイがハートマン役にスイッチしたり、
実際の撮影現場でも色々とゴタゴタがあったようですが、やはりキューブリックはかなりの頑固者だったようだ。

確かに結果として、R・リー・アーメイをキャストとして起用したのは英断で大正解でした。
あまりに迫真の演技で、スラングや卑猥な言葉、中傷する言葉ばかりで兵士役の俳優を怒らせたこともあったようだ。

“微笑みデブ”とハートマンから蔑称を付けられたビンセント・ドノフリオ演じる新兵についてクローズアップされ、
ハートマンから執拗に侮辱を受けて、肉体的にも凄まじい過酷な扱いを受け、挙句の果てには彼の失態は
連帯責任で周囲の兵士たちにも、その責任を負わせるということになった結果、周囲の新兵たちも次第に彼を恨み、
やがては就寝中に固形石鹸を靴下に包み、兵士全員で殴打するという集団リンチを加えるという悲劇に見舞われる。

そんな彼から慕われていた、主人公のジョーカーも苦悩の表情を見せながらも、
結局は彼に殴打を喰らわせる。結局はハートマンの訓練の屈折したものが、全体を狂わせていくのが分かる。
しかし、この狂いこそが戦地に送り込むために必要であると信じていて、落ちこぼれを排除すると言い切っていたので、
こういう人道的に悪いことでも躊躇せず出来る人間を戦地に送り込むというのが、使命だとでも思っているのだろう。

結局、“微笑みデブ”は精神に異常をきたし、トンデモないことをしでかしてしまうし、
そんな一連の出来事を経験しながらも、戦地に赴いたジョーカーは従軍記者としての任務よりも、
早く戦地で敵軍を倒したいという気持ちばかりが先行し、いざ戦地に立つと興奮したような表情を浮かべます。

これこそ、ハートマンが作り上げた“戦う姿”なのだろうが、結局は狂気的な人間に作り変える洗脳なのだ。

映画は一転して、ベトナムに移してからはそこまで激しい戦闘シーンがあるわけではない。
決して悪い出来ではないのですが、他の映画に比べれば平凡にも見えるし、キューブリックならばもっと違う視点で
ベトナム戦争の現実を映せたのではないかと思えるだけに、この平凡ぶりに逆に驚かされるくらいだと思います。

しかし、それがクライマックスになって急激にカタルシスすら感じさせる、異様な感覚が蘇ってくる。
ここで映画の前半に持っていた強烈なインパクトが戻ってくるように、狙撃兵に狙われるジョーカーの部隊を描きます。
どこからともなく撃ってくる恐怖から、形勢が逆転すれば、死にゆく狙撃兵をただ見るだけで無感情的に傍観します。

この辺の人間味の無さというのがキューブリックの得意とするところなのかもしれませんが、
このラストの無感情的に傍観する兵士たちの感覚が、なんとも非現実的な空気感に感じられて異様さが増します。

但し、キューブリックのこれまでの監督作品と比較すると、確かに凡庸な作品に見えるかもしれません。
映画の冒頭から、平凡な青年たちがベトナムへ駆り出されるために、訓練所に入る前に丸刈りにされる様子を
これもまた無感情的に淡々と映す。キューブリックにしては平凡な出だしなので、少々意外ではあったのですが、
これもこれでキューブリックなりに過剰に演出するのではなく、最初っから最後まで現実感を基調にしたかったのだろう。

そういう意味では、やはり新兵たちの訓練施設でのハートマンの罵声も現実にあったということなのだろうか?
いくら軍隊の訓練とは言え、さすがに現代社会ではここまでの発言であれば、立派なハラスメントと言われるだろう。
しかも、このハートマンは“微笑みデブ”が常軌を逸した行動に出た時も、「どうせ脅せば引き下がる」と踏んだのか、
相変わらずの調子で“微笑みデブ”を恫喝して、事態を収拾しようとしますが、結局これも彼の訓練の成れの果てだろう。

トンデモない結末を迎えるわけですが、こんなことが現実に起きれば、いくらアメリカ合衆国と言えど、
おそらくスキャンダラスな大問題となっただろう。果たして、こんなことがベトナム戦争下の時代に起きたのだろうか?

実際、この映画でも描かれていますが、“微笑みデブ”は徐々に常軌を逸した兆候を見せていた。
本来であれば、教官であるハートマン自身がこの兆候に気付かなければならないのですが、具現化したときには
既に手遅れだったというわけで、演じるビンセント・ドノフリオの目が座ってきているのが実に上手いですね。

次第に狙撃の腕を上げていき、ハートマンからも「お前の唯一の取柄を見つけてやったぞ!」と褒められますが、
時すでに遅しだったというわけで、気付けばライフルに話しかけるようになったりと、精神に異常をきたしていました。
その副反応であったのか、“微笑みデブ”はライフルの扱い方だけではなく、狙撃の腕も上げていたという皮肉だ。

これは、ある意味では映画のラストでも大きな伏線となっていたわけで、
少なくともベトナム戦争の戦地では、有能なスナイパーがいれば部隊を全滅させるくらいの勢いで襲いかかり、
歩兵隊という立場では為すすべなく、一人ずつまるでゲームのように殺されていくというのが、なんとも印象的だ。
これは、ひょっとすると“微笑みデブ”がいれば、戦地で活躍したかもしれないし、ベトナム軍の狙撃兵の存在を
“微笑みデブ”をクロスオーヴァーさせるように描くという、キューブリックの巧妙な仕掛けであったと思いますね。

ただ、敢えて言わせてもらうと、本作はキューブリックの監督作品としてベストな出来というわけではないと思う。
微妙に普通の戦争映画というわけではなく、前述したように映画の前半のインパクトはもの凄いものがありますが、
とは言え、強く訴求力のある映画というわけではないと思う。確かに圧倒される戦闘シーンがあるわけでもない。

但し、これはこれで戦争が生み出す人間のエゴと狂気を描いた作品であることには変わりなく、
そのインパクトを戦地で活動する人間で表現するよりも、それを訓練という形で生み出す間接的なものに
フォーカスするというのは、それまでの映画ではあまり見られなかった当時としては、斬新なアプローチだったと思う。
そういう意味では、この訓練を描くシーンについてキューブリックは妥協がなく、徹底して教育という名の洗脳を描いた。

個人主義が行き過ぎた社会はどうかと思っている反面、本作は集団心理の恐ろしさも描いてる。
訳の分からない理由で連帯責任にされることに当然不服に感じるわけですが、集団リンチを加えることに反対はせず、
それ以前に誰一人もハートマンの教えに異を呈さない。おかしいと分かっていながらも、逃げ出す者すらいない。
それはベトナム戦争に出征することを目的していたわけだから当たり前のように見えるが、個別に生活していれば、
このおかしさに気付いて声を上げたこともあっただろうが、結果的に集団からはみ出ることを嫌がるようになるのです。

とすると、黙っていた方が賢明であるという考えに至り、誰も声を上げなくなってしまうわけですね。
厳しい合宿生活の中ですっかり洗脳されてしまえば、次第に陰口をたたく兵士すらいなくなってしまうわけですね。
こうなってくると、集団リンチだって躊躇しないし、部隊からはみ出す者を徹底して排除しようとするわけです。
ですから、“微笑みデブ”のような極端な結末に至ってしまう事例だって起こり得るし、戦争が生み出す狂気そのものだ。

べつにキューブリックが好戦的な人だったとは思わないし、イギリス人して俯瞰的にベトナム戦争を
見ていたのかもしれませんが、本作は反戦映画というわけではないと思う。単純にベトナム戦争に送り込む兵士が
作られる施設の様子と、そこから派遣された新兵たちがどう戦地で過ごすのかという点を、淡々と描いているだけです。

さり気なく描かれていますけど、ジョーカーが取材するヘリコプターから、逃げ惑うベトナム人の市民を
機関銃で笑いながら連射する兵士なんて、その感覚が同じ人間とは思えぬものです。が、こういう兵士、いたのだろう。

そう思わせるくらい真に迫った感覚が、本作でも健在だと思う。さすがはキューブリックだと思った。
まるで、けむに巻くようにエンド・クレジットはローリング・ストーンズ≠フ Paint It Black(黒く塗れ!)が
フルコーラスで流されるのですが、それとシンクロするようにキューブリックの監督作品がしばらくの間、途絶えます。

待たされることなんと12年、トム・クルーズとニコール・キッドマン夫妻が出演した『アイズ・ワイド・シャット』でした。
しかし、同作が劇場公開される直前にキューブリック自身が他界してしまうなんて、実に劇的な最期でしたね。
まだまだたくさんのことを描きたかったのではないかと思うのですが、そのこだわりが強いことが災いしたのかも。
なんせ強烈な完璧主義者だったようですから、本作も日本語吹替版の翻訳にまで口を出してきたようですね・・・。

(上映時間116分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 スタンリー・キューブリック
製作 スタンリー・キューブリック
原作 グスタフ・ハスフォード
脚本 スタンリー・キューブリック
   マイケル・ハー
   グスタフ・ハスフォード
撮影 ダグラス・ミルサム
美術 キース・ペイン
   ロッド・ストラットフォード
   レス・トムキンス
編集 マーティン・ハンター
音楽 アビゲイル・ミード
出演 マシュー・モディン
   アダム・ボールドウィン
   ビンセント・ドノフリオ
   R・リー・アーメイ
   ドリアン・ヘアウッド
   アーリス・ハワード
   ケビン・メイジャー・ハワード
   エド・オロス
   ジョン・テリー
   キーロン・ジェッキニス
   カーク・テイラー

1987年度アカデミー脚色賞(スタンリー・キューブリック、マイケル・ハー、グスタフ・ハスフォード) ノミネート