フィールド・オブ・ドリームス(1989年アメリカ)

Field Of Dreams

未だ日本では、人気の高い野球を題材にしたファンタジックな野球映画。

若き頃にメジャーリーガーを目指した父ジョン・キンセラの息子であるレイ・キンセラは、
父の夢であるメジャーリーガーという夢を託されたものの、10代の頃に早々に諦めて、
自由を求める60年代を学生時代として過ごし、脱サラ後は30代半ばでトウモロコシ農場を経営していました。

そんなレイが度重なる夢と、“幻聴”とされる自分にしか聞こえない天の声に導かれて、
赤字経営のトウモロコシ畑の一部を大胆に刈り取り、無我夢中で野球場を作ったことから、
父と同じ時代に野球選手として活躍した往年の名選手たちが、グラウンドで野球を始めます。

レイは更に父に近づくためにと、ボストンに暮らす作家のテレンス・マンを探し出し、
父の足跡を辿りながら、天の声に導かれるようにミネソタを旅し、テレンスを連れて家に帰宅するものの、
銀行から抵当権を買ったレイの妻の弟から、野球場の土地を売り渡すよう迫られます。

ケビン・コスナー自身も野球が大好きな俳優ですから、本作の前年にも『さよならゲーム』やら、
99年には『ラブ・オブ・ザ・ゲーム』といった野球映画に好んで出演しています。本作もその一貫なのですが、
自分自身でプレーヤーを演じる一連の作品とは少々毛色が違っていて、本作はあくまでファンタジーであって、
一種の奇跡を垣間見る野球好きの一介の農業経営者を演じていて、どこか肩の力が抜けた印象があります。

まぁ・・・これは未だに日本でも根強い人気がある理由は、なんとなく分かる作品なのですが、
大規模のトウモロコシ農場を経営する身で、手作りで野球場を作るというスケールの大きさ自体に
日本人としては憧れを持つというのは、とてもよく分かる。日本は特に、アメリカのような大規模農場はないですしね。

何とも言えない余韻と後味のある作品ではあるのですが、
僕の中ではどことこなく感動というには弱いというか、ノスタルジーというのは作り込みが甘いというか、
悪い出来の映画というわけではないのだけれども、どこか“押し”の弱い、決め手に欠ける映画という印象なんですね。

映画はいわゆる“ブラックソックス事件”と呼ばれる、1919年のワールド・シリーズで起きた
八百長事件で野球界を追放された選手たちを題材にしているのですが、この事件について描いた映画と言えば、
88年の『エイトメン・アウト』の方が詳しいので、別に八百長事件に肉薄した映画というわけではありません。

本作の原作は、その中でもジョー・ジャクソンというプレーヤーにスポットライトを当てた内容で、
彼の愛称は“シューレス・ジョー”といって、当時はとても人気があったためか、同情的な世論があったようです。
当時のコミッショナーが、「八百長を知りながらも報告しなかった選手たちは永久追放にする」と公言し、
ジョーは永久追放を言い渡され、メジャー・リーガーとしての道を諦めざるをえなくなってしまいました。
この辺の事情は『エイトメン・アウト』で詳細が描かれていますが、本作は永久追放された選手たちが
帰ってくる場所を作った主人公に起こるファンタジーであって、おそらく原作者がジョーのファンだったのでしょうね。

本作でジョーを演じたのが若き日のレイ・リオッタで、90年の『グッド・フェローズ』の前年に出演しており、
彼がハリウッドでブレイクする直前の出演作であり、やっぱりレイ・リオッタが目が印象的ですね。
(残念ながら先日、レイ・リオッタは若くして他界されてしまいましたが・・・)

言ってしまえば、本作は幽霊と対話している人たちを描いている作品ですので、
ややもするとオカルトな内容になってしまいそうなところですが、それを敢えて淡々と描くことで、
フィル・アルデン・ロビンソンは静かに映画を構成し、煽動的な内容にならないように配慮しながら描いている。

当時、ハリウッドでも人気絶頂だったケビン・コスナーをキャスティングできたことが大きかったのでしょうが、
前述したレイ・リオッタに、ベテランのバート・ランカスターやジェームズ・アール・ジョーンズなど、脇役も良い。
だからこそ、彼らが畑の向こう側に帰って行く描写には、もっと名残惜しさのような感覚があってもいいかなぁ。

映画のラストシーンは、莫大なエキストラを雇って野球場から遠く離れた町から続く、
トンデモない台数の車のヘッドライトの行列を空撮から収めるなど、実に素晴らしい演出なだけに、その前が惜しい。

主人公のレイは、父との不和がありながらも、何故に家族を経済的な危機にさらしてまで、
トウモロコシ畑を野球場に変える決意をしたのか、全く合理的な説明がつく行動ではありません。
用心深い、将来のリスクに備えるという国民性の日本人の感覚からすると、全く理屈ではない彼の決断は
理解に苦しむ部分があるかもしれません。しかし、こういう理屈や感情ではない、何かに突き動かされたように
壮大な夢を具現化するということは、アメリカ人のスケールからすると、彼らの理想でもあるのかもしれません。

ある意味で、彼らの歴史観とも言うべきところなのかもしれませんが
テレンスが畑に入っていく行動にしても、まるで説明がつかないところでありながらも、
彼もまた、何かに突き動かされるように心が変わってしまう。でも、これってスゴく人間らしい姿なのかもしれない。

父との和解というのも、本作の大きなテーマだと思うのですが、それはラストのキャッチボールに凝縮されている。
ただ、このラスト・シークエンスはハリウッド特有の強引さが悪い方向に働いているような気がします。
無理矢理に父との和解を描くよりは、そのままでも十分に示唆的に描けたと思うので、違うアプローチをして欲しかった。

それにしても、こういう野球映画ってアメリカならではだなぁ・・・という感じがする。

日本でも、第二次世界大戦に絡みますけど、沢村 栄治やスタルヒンなど、
偉人的な野球選手って、何人もいるのですが、国技ではないというせいもあるのかもしれませんが、
彼らの伝記映画を作ろうみたいな気運って、そう高くはないですよね。日常生活にどれだけ馴染んでいるかも
あるでしょうし、勿論、アメリカにも野球に興味がない人もいるのでしょうけど、映画化されるのはアメリカならではだ。

監督のフィル・アルデン・ロビンソンは本作で高い評価を得たことをキッカケに、
92年に『スニーカーズ』を撮りましたが、本作に続く評価を得る映画を発表することはできませんでした。
02年の『トータル・フィアーズ』はヒットしましたが、どこか掴みどころのない映画を撮るという印象で、
本作の成功を生かすことはできませんでしたね。本作にしても、もっと出来る映像作家だとは思うのですがねぇ。

趣味や職業を通り越して、自分の家に壮大なスケールのものを自作するという話しはありますけど、
さすがに野球場を作ったという話しは聞きません。しかも、レイが作った野球場はナイター設備も完備(笑)。

現実を考えてしまうというのは、なんだかイヤな話しですが...
グラウンドの維持費も、ナイター照明の光熱費もスゴいだろうなぁ・・・と心配になってしまうのは、
完全に大人の世界に毒されていますかね(苦笑)。でも、ここまで振り切れてやってしまうということは、
経済性のことを考えてしまっては、前に進めないと思うんですよね。そういう意味で、レイが思わず口走ってしまう。

「オレは何も見返りを求めずに、やってきたのに!」...と。

レイがこの映画の中で唯一、感情を前面に出したシーンでした。それまで何かに突き動かされ、
行き着く先が、どんなゴールであるかも分からぬまま無我夢中でやってきたレイでしたが、急に感情的になる。
それは、彼自身が答えを急ぎ過ぎてしまったせいなのかもしれない。ジョーも「見返りを求めているのか?」と諭します。

僕はこのやり取りに、どことなく宗教的なニュアンスを感じてしまったのですが、
「努力は必ず報われる」といったようなメッセージ性を含ませたかったのかもしれませんね。

内容的にはファンタジックで魅力はある題材であるとは思うけれども、
僕の中ではそこまでの傑作というほどでは、正直言ってないかなぁ。もっと良い仕上がりに出来たはずだ。
この辺は、作り手も敢えてそうしたという感じではなく、感動の押し売りを嫌ったわけでもないと思うのですが、
やっぱり、映画としての決め手に欠けると思う。人気作だから、あまり声を大にして言いにくいところですがね。。。

(上映時間105分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 フィル・アルデン・ロビンソン
製作 ローレンス・ゴードン
   チャールズ・ゴードン
原作 W・P・キンセラ
脚本 フィル・アルデン・ロビンソン
撮影 ジョン・リンドレー
美術 レスリー・マクドナルド
編集 イアン・クラフォード
音楽 ジェームズ・ホーナー
出演 ケビン・コスナー
   エイミー・マディガン
   ギャビー・ホフマン
   レイ・リオッタ
   ティモシー・バスフィールド
   ジェームズ・アール・ジョーンズ
   バート・ランカスター
   フランク・ホエーリー

1989年度アカデミー作品賞 ノミネート
1989年度アカデミー脚色賞(フィル・アルデン・ロビンソン) ノミネート
1989年度アカデミー作曲賞(ジェームズ・ホーナー) ノミネート